59話、賢人たちの逆襲22
ベルフェゴルは幾多の扉を渡り歩き、本能の赴くままに『魔王の残骸」を追い求めていた。
だか、果てのない冥府はあまりに広大。
そもそも『魔王の残骸』が実在するのかさえ不透明なまま探索は虚空を掴むような徒労を強いる。
苛立ちを隠さぬまま、彼は再び扉の外へと踏み出した。
そこに広がっていたのは、本来ならば若葉色の空と瑞々しい緑が息づく青々とした自然の世界だった。 ……しかし、その美しい光景はすでに変わり果てていた。
彼が放った《魔言悪器 》から溢れ出す闇が、波紋のように世界を侵食していたのだ。 若葉色の空は濁った墨色に染まり、青々としていた草木は、触れたそばから黒く腐り落ちていく。
ベルフェゴルが歩く後に残るのは生命の息吹が絶えた、ただの虚無であった。
「・・・・・・そうか、いっそここを真っさらにしてしまった方が、『”魔王の残骸”』も見つかりやすいのかもしれんな」
世界を更地にする――。
そのあまりに短絡的で、かつ怠惰な思考から導き出された「純粋な悪意」にベルフェゴルは足を止めた。 彼はただ無感動に滅ぼすべき虚空を眺めている。
「ベルフェゴルッ!」
その名を裂帛の気合で呼ぶ声が響いた。
満身創痍ながらも武器を構えるアリアとフリード、その隣にはアランを通して真実を知らされたジェラルドとウィリアムは鋭い魔力を練り上げる。
さらには別の扉から真実を抱えたエドラとアランが駆けつけていた。
以前まで反目し、殺し合っていた彼らが今、この一点において「呉越同舟」の陣を敷く。
冥府の世界を無に帰そうとする悪魔を阻むべく、散り散りだった絆が一つに束ねられた瞬間だった。
そして別々の扉からナタリア、エイワス翁、リーラが入ってくる。
「・・・・・・本当に、目障りだな。どいつもこいつも、寄ってたかって・・・・・・」
ベルフェゴルの口から漏れ出たのは氷のように冷たく、それでいて火傷しそうなほど熱い拒絶だった。
彼はただ、純粋に”魔王の残骸”を手に入れたいだけなのだ。
その「神聖な目的」を邪魔する有象無象 への苛立ちは、ついに彼の理性を焼き切ろうとしていた。
「お前らのような下等生物が、俺の領域に踏み込んでくるなと言っているんだっ!」
その咆哮と共に、彼の周囲の空間がミシミシと音を立てて歪み始める。
ただの苛立ちはもはや世界そのものを拒絶するような暴力的な魔力へと変貌していた。
《爆ぜろ》
吐き捨てられた低音の言霊が、空気を媒介にして一気に膨れ上がる。
「逃げろッ!」
アランの鋭い警告に、エドラたちは即座に地を蹴って圏外へと逃れた。
しかし、前線で構えていたジェラルドとウィリアムはその凄まじい爆圧の起点から逃げ切ることができなかった。
爆音と共に、衝撃波が二人を飲み込む。
吹き飛ばされる体――。
彼らの頭上に浮かんでいた光沢のリングが悲鳴を上げるように砕け散った。
「………しまった……!」
伸ばした手は空を切り、二人の姿が歪み始める。
リングを失った者は、この死者の世界に留まる資格を失う。
世界の理による「強制反転」が発動して二人の肉体は光の粒子となって、無慈悲に現世へと引き戻されていった。
「ジェラルド!ウィリアム!」
「落ち着け!現実世界に返されただけ! あいつらは死んでない!」
二人の離脱に動揺するアランにリーラは一喝する。
爆炎が晴れ切るよりも早く、その「白い壁」を突き破って二つの殺気が躍り出た。
「逃がさない・・・!
エトラが剣に激流を纏わせて巨大な水の槍へと変貌させる。
それと呼吸を合わせるようにアリアもまたその手に握った槍を一点へと研ぎ澄ませた。
二人は吹き荒れる風圧を背に受けながら、弾丸のごとき速度で肉薄する。
「「――はあああっ!」」
右からはエドラの水槍が、左からはアリアの鋭い刺突が、逃げ場を塞ぐように同時にベルフェゴルの急所でもあり攻撃の要である喉を狙い撃った。
《止まれ》
しかし、寸前で言霊によって二人は石のように動きを止められる。
《吹き飛べ》
ベルフェゴルが放った言霊の重く硬い空気の塊が、二人の刺突を力ずくで跳ね返した。
エドラとアリアが吹き飛ばされ、再びベルフェゴルに余裕が戻りかけた――その時。
「後ろがガラ空きだよ!」
アランの空間魔法により、一瞬で背後へ転送されたリーラが叫ぶ。
彼女は着地と同時にベルフェゴルの無防備な背中に掌を叩きつけた。
ゼロ距離からの光槍生成。
「ぐ、ああああああああああああああッ!!」
突き刺さった光の槍がベルフェゴルの肉体を焼く。
この戦いで初めて悪魔の絶叫が戦場に轟いた。
その確かな手応えに一瞬愕然としたリーラだったが、すぐに表情を引き締めて仲間たちへ声を張り上げた。
「みんな! こいつには光――聖属性が効く! どんなに偽装していても、根源は悪魔・・・・・・・光こそが弱点!」
「リーラを援護しろ! 奴を叩くぞ!」
エイワス翁の鋭い号令と共に彼とナタリアが弾かれたように前進した。
弱点を突かれたことでわずかに生じたベルフェゴルの硬直。
その一瞬の隙を百戦錬磨の二人が見逃すはずもなかった。
地を這うような俊足で、一気に間合いを潰す。
「もらった・・・・・・っ!」
左からは、エイワス翁が雷光を纏わせた「帯電する拳」を――
右からは、ナタリアが全身のバネを乗せた「重量級のメイス」を―――
逃げ場を断つ左右からの同時連撃が逃れようのない死角からベルフェゴルの肉体を捉えた。
《串刺せ!》
ベルフェゴルの喉から血の混じった怒声が漏れる。
彼の足元から無数の黒い棘が獲物を狙う大蛇のように爆発的な勢いで突き出した。
「くっ……!」
猛攻を仕掛けていたエイワスとナタリアは、本能的な危機感に従って地を蹴った。
だが、全方位から迫る影の棘は回避を許さぬほどに鋭く、そして速い。
咄嗟に防御姿勢をとったナタリアだったが、その頭上で不吉な硬質音が響く。
――バキリ、と、
「………!?!」
衝撃に目を見開いた彼女の視界の端で、冥府に留まるための命綱――光のリングに深い亀裂が走っていた。
「クソ....ここまでか...」
ナタリア肉体は光の粒子となって、現世へと引き戻される。
使用回数を超えて立て続けに言霊を放った代償はベルフェゴルの肉体を内側から破壊していた。
逆流した血が喉をせり上がり、口内に溢れる。
彼は耐えきれずに激しく咳き込み、どす黒い鮮血を地面にぶちまけた。
「……ハハ、これで三人目だ」
激痛に顔を歪めながらも、悪魔はその唇は吊り上がったままだ。
溢れ出る血を拭うことさえせず、ベルフェゴルは不気味なまでの笑みを浮かべて獲物を追い詰めた愉悦に瞳を細める。
その姿には、余裕を超えた底知れぬ執念が宿っていた。
《剣》
吐き出された血にまみれた言霊が、虚空で形を成す。
溢れ出した闇が凝固し、身の丈ほどもある漆黒の両手剣が生成された。
(言霊の再詠唱までは三分……。この剣で、邪魔な下等生物どもを叩き潰す)
ベルフェゴルは溢れる血を手の甲で拭い、昏い瞳で一行を見据えた。
「俺はさ・・・・・・心底めんどくさがり屋なんだ。本気で動くのは疲れるし、何よりかったるい。だが、お前らを排除しない限り静寂は訪れない。なら……もう、なりふり構ってはいられないな」
怠惰の悪魔が、その重厚な剣を静かに構える。
その一動作だけで空気が震えたエドラたちは背筋を凍らせて再び武器を握り直した。
「そうか....だったら何度でもお前の邪魔をしてやるよ!お前ら悪魔が悪意を持って世界壊すならいくらでも俺たちが邪魔してやるよ!」




