58話、賢人たちの逆襲21
「――以上が、ワシの知る事件の真相じゃ」
語り終えたエイワス翁の声が、静かに溶けていく。
語られた「真実」の重さにアランはただ愕然と立ち尽くしていた。
「アレイスターは・・・・・・あいつは、最初から僕たちを救おうとしていたのか? なのに僕たちは、僕は・・・・・・!」
これまで自分を突き動かしてきたのは、人間――アレイスターに対する燃えるような憎悪だった。
だが今、その炎が冷たい氷へと変わっていく。
憎むべきは同族を想い戦った男ではなかった。
あの日すべてを裏で操り、人々の心を喰らった化け物。
ジェイコブという皮を被った悪魔、ベルフェゴル。
復讐心という唯一の支えが、足元から音を立てて崩れていく。
アランは自分の拳を見つめて声にならない叫びを飲み込んだ。
横で静かに消の話を聞いていたエドラが、耐えきれなくなったようにアランの肩を強く掴んだ。
「これで分かっただろ。アラン! お前はまた、あの悪魔の掌の上で転がされてるんだよ!」
「僕は…………僕は一体、何を信じて…」
視線を彷徨わせながら弱々しく声を漏らすアラン。
その胸ぐらを引き寄せるようにして、エドラは至近距離で吠えた。
「しっかりしろ! いま、この場所であいつをぶちのめさないとまた同じ悲劇が繰り返される! 爺さんやアレイスターが命を懸けて守ろうとしたものを今度こそ本当に壊させていいのか!?」
「・・・・・・いいわけないだろっ!」
叩きつけるような叫びと共にアランはエドラの腕を振り払うようにして自らの足でしっかりと大地を踏み締めた。
「・・・・・・あいつは、僕たちの手で必ず仕留める。あの日から止まったままの時間を、僕が僕たちが動かしてみせる!」
エドラの叱咤を受けたアランの瞳の奥に宿った小さな火種が、激しい爆炎となって燃え上がった。
その双眸にはもう迷いも、自分を見失うような憎悪もなかった。
アランは懐から通信魔具を掴み出すと仲間たちへ一斉に回線を繋いだ。
「…………………全員、聞いてくれ。エイワス翁からエルフの里襲撃事件の『真実』を聞いた」
呼びかけるアランの声には、先ほどまでの迷いは一切ない。
彼は一気に語った。
アレイスターが孤独な守護者であったこと、そして、自分たちが憎むべき声の敵は今この地にいるジェイコブに変装しているベルフェゴルであるということを。
通信の向こう側で、息を呑む気配が伝わってくる。
「あいつは僕たちの憎しみさえ利用して笑っているんだ・・・・・・、もう、あいつの思い通りにはさせない。今ここで、すべての因縁に決着をつける!」
その頃、アーサーと彼に勝手についてきたマーリンは扉の先にある終わりのない回廊を探索していた。
十数年ぶりの再会。
本来ならば手を取り合って喜ぶべき状況だが、二人の間に流れる空気は鋭利な刃物のように剣呑であった。
「アーサー、元気にしてた?」
「ああ」
「娘を――イスカを助けてくれてありがとう」
「ああ」
「しかし驚いたなぁ。あのアーサーが、今やギルドを束ねる団長様だなんてね」
「……ああ」
マーリンが何を語りかけてもアーサーは視線すら合わせず、無機質な相槌を返すのみだった。
その拒絶の厚さは、二人が過ごした空白の時間の重さを物語っていた。
「・・・・・・ねえ。なんでこっちを見てくれないの?」
マーリンの震える問いにアーサーは凍りついたように足を止めた。
「やっぱり、私があの時いなくなったこと・・・・・怒ってるんだよね?」
「……それ以外に何がある」
低く、地を違うようなアーサーの声。
彼はゆっくりと振り返り、その瞳に宿る暗い炎をマーリンにぶつけた。
「アーサー、聞いて! あれは・・・・・・」
「分かっているさ!病人を放り出して消えるような屑に愛想が尽きたんだろ。だから俺を見捨てて森を出て、他の男と子供を作って、幸せに暮らしていたーーそうだろ!」
「違うの、あれは――」
「俺が、どんな思いでお前を探し続けたと思っている・・・!」
咆哮に近いアーサーの叫びが静寂を切り裂く。
たが、その激情を気だるい声が塗り潰した。
「はあ……まさか勇者様までこの冥府に迷い込んでいたとはな」
間の奥から現れたのは、不快な表情を浮かべるベルフェゴルだった。
二人の間に横たわる愛憎劇は怠惰の悪魔からしたら茶番に等しかった。
「……チッ。まあ、ここは冥府だ。殺したはずの悪魔の一人や二人、地獄の底から這い出してきたところで驚くには当たらないか」
アーサーはベルフェゴルを吐き捨てるかのように強く睨み、口論を力ずくで脳の隅へ追いやった。
隣のマーリンもまた魔力の余波を孕んだ鋭い視線を敵へと向ける。
ベルフェゴルは面倒そうに頭を掻くと深く、長く、ため息を吐き出した。
「まったく……俺はただ、静かに『”魔王の残骸”』を探したいだけなのにどうして人間ってのは、こうも他人の邪魔ばかりするのかねぇ」
「知るかよ」
怒声と共にアーサーの体は踏み込んだ。
瞬時に肉薄し、空気を引き裂く重戦車のような拳をベルフェゴルの顔面へと叩きつける。
その拳が悪魔の肌に触れる直前、ベルフェゴルが低く呟いた言霊が盾となって展開された。
《盾》
鈍い衝撃音が響く。
アーサーの渾身の一撃は鋼鉄よりも硬い盾に阻まれた。
だが、その拳は止まらなかった。
ベルフェゴルが展開した堅牢な盾を紙細工のように大きく凹ませてその衝撃波が背後の空間までをも震わせる。
(・・・・・・俺の血が騒いでいる。いや、俺の中の『聖剣』が騒いでる)
拳から伝わる禍々しい魔力を察知したアーサーは鋭く地を蹴って間合いを取った。
「お前………………ただの悪魔じゃないな。魔王の一部か?」
「流石は勇者。気持ち悪いくらい察しがいいな」
ベルフェゴルが薄笑いを浮かべる。
アーサーはその視線を真っ向から受け止めると右手を左の前腕へと添えた。
「だったら、ここで大人しく消えてもらおうか」
力を込めてゆっくりと引き抜く。
驚くべきことに彼の手が引き出したのは肉や骨ではなく美しく輝く黄金の剣だった。
左から溢れ出した光が形を成して闇を焼き払う神聖な輝き――聖剣『エクスカリバー』がその姿を現す。
(これが・・・『エクスカリバー』。かつての旅で軽く聞いていたけれど、実物を見るのは初めてだわ)
その神々しい輝きに、マーリンは思わず目を奪われていた。
一方で先ほど笑みを浮かべるほどの余裕があったベルフェゴルの額には、一筋の冷や汗が流れる。
(――不味いな。あの刃に刻まれた神気・・・・・まともに喰らえば、いかなる高位の悪魔とて魂こと消滅する)
アーサーは無言で剣を構える。
《魔言悪器》
「だが、この場で出し惜しみをする選択肢などない」
ベルフェゴルが呻くように唱えた。
再び生成された禍々しい魔剣が地へと突き立てられて聖剣の輝きを喰らい尽くさんとする底なしの「闇」が渦を巻き始めた。
「悪いが、お前の相手を悠長にしている暇はないんだよ」
ベルフェゴルが冷酷に呟くと同時に、蠢く「闇」が質量を持った大波となってマーリンへと牙を剥いた。
「マーリン伏せろ!」
アーサーは咄嗟に身体を割り込ませて剣を握っていない左手でその奔流を強引に薙ぎ払った。
だが、悪魔が呼び出した闇はあまりに毒々しい。
剛腕と謳われたアーサーの肌が瞬時にジュクジュクと焼け爛れて肉の焼ける嫌な臭いが立ち込める。
「くっ……!?」
激痛に顔を歪めながらも彼は退かない。
このままでは二人とも飲み込まれると判断したアーサーは、手にした聖剣を躊躇なく大地へと突き刺した。
「マーリン。俺の傍から離れるな!」
突き立てられたエクスカリバーを起点に、濁流を押し返すほどの強力な光の結界が展開される。
黄金の光がドーム状に広がり、迫りくる間の波を激しく火花を散らしながら弾き飛ばした。
「じゃあな勇者様」
「待ちやがれ!この野郎!」
勇者の怒声を上げるも悪魔にはもう届かない。
ベルフェゴルはアーサーたちを後にして扉の外に再び出て『”魔王の残骸”』を探しに出た。




