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勇者の弟子  作者: ヤス
賢人たちの逆襲
55/96

55話、賢人たちの逆襲・『ワールド・ウォーフェア』1

徐々に広がる闇が、神秘的な情景を無慈悲に塗り潰していく。

その飛沫(しぶき)に触れれば、たちまち肉体は腐食し、命は霧散する。

それは存在そのものを否定するような暴力的なまでの「死」であった。


幸いだったのは、元凶たるベルフェゴルが現世から来た異物であること。

この冥府の地では『輪廻逆転』のルールにより冥府の住人たちにまではその毒牙が届かないことだった。

だが、同じく現世から足を踏み入れたエドラたち生者にとってはそれは触れれば終わりの「死の奔流」に他ならない。


エイワス翁は、意識を失い横たわる二人の口元へ手慣れた動作で傷薬を流し込んだ。


「う、うう……」


喉を焼くような薬液の苦味にアランとエドラが相次いで激しく咳き込み、意識を浮上させる。

二人が真っ先に確認したのは、互いのそして己の頭上であった「光沢のリング」の存在であった。そこには冥府の闇に抗うように変わらぬ輝きを放つ「光沢のリング」が浮かんでいる。


「…………無事か。強制送還(ロールバック)は免れたようだな」


エドラが掠れた声で呟き、ようやく一つ大きな溜息を吐き出した。


「案ずるな……おぬしらのリングは健在じゃ。世界の(ことわり)に弾かれることはない」


翁の力強い言葉にエドラとアランは安堵の溜息を漏らす。

だが、周囲を侵食し続ける闇は待ってはくれない。


アランは意を決したように顔を上げてエイワス翁の瞳を真っ向から見つめた。


「エイワス翁……教えてください。あの日、一体何があったのか。あの忌まわしき事件の真実を……全部話してください!」


迫りくる死の(はざま)を背にアランの声が震えながらも響く。

翁は遠い過去の残像を追うようにゆっくりと目を閉じてやがて、重く閉ざされていた唇を静かに開いた。


時を同じくして、冥府の静寂に包まれた扉の奥。

ナタリアは一人の女性と対峙していた。


アランの実姉、セシルだ.


「あなた……あの人の……アレイスターの友人でしょう?」


予期せぬ名に、ナタリアの眉がわずかに跳ねた。


「……アレイスターを知っているのか?」


「ええ。彼は今、どうしているの?」


セシルの問いは穏やかだったがその瞳には祈るような切実さが宿っている。


「分からない……我々も今、彼の足取りを追っている最中なんだ」


ナタリアの答えにセシルは寂しげに目を伏せた。


「教えてくれ、お前は一体何者で彼とどんな関係がある? そもそも、彼に何があったんだ!」


詰め寄るナタリアの叫びが、静寂な空間に波紋のように広がる。


セシルはナタリアの訴えを受け止めて、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「そうね。まずはそこから話すべきだわ……。私の名前はセシル。アレイスターの……婚約者(フィアンセ)だった女よ」


その一言にナタリアは息を呑んだ。

セシルはどこか遠くを見るように視線を逸らして背を向けた。


「すべてはあの日……アレイスターが、私たちの長であるエイワス翁に呼び出されたことから始まった」


時は、エルフの里がまだ穏やかな陽光に包まれていた頃に遡る――。


その日もアレイスターは、里の外れにある静かな森で魔法の研究に没頭していた。

将来を嘱望される若き魔導師であった彼をエイワス翁は静かに自宅へと招き入れた。


「エイワス翁、お呼びでしょうか。何か急用でも?」


扉を叩き入ってきたアレイスターの顔には若さゆえの純粋な知性と未来への希望が宿っていた。


「よく来てくれた。まあ、そう硬くならずに腰を掛けたまえ」


「はい、失礼します」


当時のエイワス翁は、建国されたばかりの軍事国家『アレス』の動向に胸騒ぎを覚えていた。

その真意を確かめるべく、エルフの長は若き知能であるアレイスターに意見を求めたのである。


「……最近、近隣の森が騒がしくてな。アレイスター、おぬしはどう見る?」


「アレスのことですか……」


アレイスターは思索にふけるように目を細めた。


「左様。近隣諸国へ侵攻を繰り返し、急速に版図を広げるアレスの動き。人間であるおぬしの目から見て、あの国の在り方をどう思うかね?」


翁の問いに、青年は淀みなくかつ慎重に言葉を選んで答えた。


「強引な領土拡大が国を豊かにする最短ルートだと信じ込んでいるのでしょう。……ですが、私に言わせればそれは短視眼的です。国を豊かにする(すべ)は、流血の他にもいくらでもあるというのに」


アレイスターの真っ直ぐで純粋な眼差しを前にエイワス翁は静かに胸を撫で下ろした。

この青年は人間の持つ可能性を誰よりも信じていたのだ。


「人間である私とエルフの民がこうして手を取り合い、そして共に歩めている……。それこそが答えです。アレスもまた、暴力ではなく対話を選ぶべきです。私たちのように知恵を出し合い、分かち合うことで国を豊かにする道を探すべきなのです」


その言葉に迷いはなかった。

種族の壁を超えて里に受け入れられた彼にとって、平和な共存は決して夢物語ではなかったのである。


「おぬしのような者がもっと居たら世界は更に平和になるというのにのう……」


翁の呟きに彼は照れたように笑った。

エイワス翁の元から戻ったアレイスターは、それからというもの取り憑かれたように新たな術式の構築に取り組み始めた。


「平和的な魔法?」


セシルの少し不安げな問いに彼は自信に満ちた顔で頷いた。


「ああ。魔王がいなくなって世界が平和になったというのに、今度は人間が魔王や悪魔たちと同じ轍を踏もうとしている。俺は、魔法の力でその連鎖を止めたいんだ」


「アレイスター、そんな魔法……本当に作れるの?」


セシルが覗き込むように尋ねるとアレイスターの手がわずかに止まった。


「正直に言えば、分からない。この術式は『世界の理』に触れることになる。一歩間違えれば、取り返しのつかない失敗をする可能性だってある」


アレイスターの言葉に珍しく弱気が混じった。


無理もない。

彼が挑もうとしていたのは、争いの根源を断つという神の領域にも等しい壮大な夢物語なのだから。


「弱気を吐くとか、らしくないなアレイスター! 翁の知恵だって借りてやればいい。俺たちだって全力で協力するからさ!」


快活に笑い、アレイスターの背中を力強く叩いたのはセシルの従兄クロウリーだった。


「そうよ、一人で背負い込まないで」


セシルの優しい声が重なる。

仲間たちの温かな信頼に、アレイスターの強張っていた表情がようやく和らいだ。


「セシル、クロウリー……。ああ、そうだな。ありがとう」


三人の間に流れる、穏やかで希望に満ちた時間。

それはまるで永遠に続くかのような錯覚を覚えさせるほどに美しかった。


それから一年の歳月が流れた。


彼らは文字通り寝食を忘れ、互いの知恵と魔力を注ぎ込み、未知なる術式の構築に心血を注いだ。

聡明なクロウリーの理論、好奇心旺盛なセシルの発想、そしてアレイスターの比類なき魔法の才。


そしてついに、その結晶は一冊の重厚な魔導書として結実した。


机の上に鎮座したその本は微かな、しかし抗い難い威圧感を周囲に撒き散らしていた。

アレイスターは震える指先でその漆黒の表紙を撫で、噛み締めるようにその名を口にする。


「これが、すべての戦争を終わらせ、争いの根源を断つ魔法――『ワールド・ウォーフェア』」



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