第005話 父娘のコミュニケーション
「レジーナ?」
翌朝のことである。
トーマスが目を覚ますと、リビングのストーブが点いていないことに気づいた。
いつもなら早起きするはずのレジーナが、部屋の中に見当たらないのだ。
まだ眠っているだけならいいのだが、そうでなかったら……と思うと胸がざわついた。
(まさか、悪い男にさらわれたのか? いや、散歩中に崖から落ちて、川の底に……?)
親バカを発揮し、悪い想像がどんどん膨らんでいく。
こうなるともう、居ても立っても居られなかった。
トーマスはコートを着込むと、勢いよく外に飛び出した。
「レジーナー!」
叫びながら森の中に目をやる。
一瞬、この中をさまよい歩くレジーナのイメージが浮かんだ。
けれどさすがに、それはないだろうと思い直して街へと向かう。
娘が行きそうな場所はどこだろう? 真っ先に浮かんだのは、廃材屋だった。
近頃はアンカーを弄っているようだし、何か用事があるかもしれないと思ったのだ。
「レジーナを見ませんでしたか?」
廃材屋に声をかけると、
「見てませんね」
と答えが返ってきた。
「娘さん、また徹夜で何か作ってるんじゃ?」
「そうだろうか……」
「レジーナ様なら大丈夫。きっと何か面白いことをしてるはずですよ」
「年頃の娘は、何を考えてるのかわからなくてな」
「トーマス公爵だって、急に家から出てこなくなった時期があったでしょう」
「ああ、あったな」
「そして久々を顔を見せたら、国にかけあって税金を下げてくれた」
廃材屋はまるで、今見てきたように思い出話を語る。
「それと同じですよ。レジーナ様は何か大きなことをなさろうとしているのでしょう」
トーマスは誇らしいような気恥ずかしいような気持ちになった。
「……俺の考えすぎだったのかな」
「そうですよ。昨日だって元気そうでしたし。また私たちを驚かせてくれますよ」
街の人々は、トーマスが思っている以上にレジーナを信頼しているらしかった。
(婚約破棄の件もあって、俺は神経質になっているのかもな)
少し心配しすぎたか、と頭を冷やして帰宅した。
するとリビングでコーヒーを淹れているレジーナと目が合ったではないか。
「レジーナ」
声をかけようとしたところ、何やら忙しそうに部屋に戻ってしまった。
仕方ないので、トーマスは徴税官の報告書に目を通すことにした。
だが娘のことが気になって、ちっとも集中できやしない。
そんな状態が続き、ついにお昼過ぎになった。
痺れを切らしたトーマスは、レジーナの様子を見に行くことにした。
娘の部屋の前まで足を運び、ドアをノックすると、
「取り込み中」
と返事がきた。
「何かあったんじゃないのか?」
「何もないー」
トーマスが心配してもう一度ノックすると、勢いよくドアが開けられた。
「パパ、うるさい! 静かにして!」
部屋の中にはアンカーとケーブルと、沢山のフルード式魔道具を分解した部品が見える。
「娘の部屋を覗き見しないで! パパは仕事して!」
「税金の使い道なんかより、娘の方が大事だよ」
「仕事だって大事でしょ!」
乱暴にドアを閉められてしまった。
トーマスはがっくりとうなだれる。
「心配しすぎか……」
父娘のコミュニケーションは難しい。
トーマスは考え込んだ末、レジーナが好きな東の国風の食材を食糧庫から持ってきた。
そして、それらをテーブルの上に並べた。
これで機嫌を直してくれるといいのだが。
「レジーナ、もう昼過ぎだぞ」
「……」
「お前が作ってた不思議な料理……おどんだったかな、あれをまた作ってくれないか」
おどん? おでん? どっちだったか。とにかくそんな名前だったのを覚えている。
旨味がにじみ出た甘塩っぱい煮込み料理で、冬場になると無性に食べたくなる味だ。
娘は一体どこでこんなレシピを覚えたのだろう?
トーマスが不思議がっていると、ゆっくりとドアが開いた。
レジーナは、ため息をつきながら部屋から出てくる。
「使っているよ」
トーマスは笑顔を浮かべ、灯籠をテーブルに置いた。
「あ、これは新鮮な大根と卵と竹輪とハンペンね! いいわ、おでんを作るわね!」
レジーナは困り顔で笑いつつも、食材を見て喜んだ。
東の国の料理にはやはり目がないようだ。
手際よく仕込みを始め、鍋をスープで満たしていく。
あとフルード式コンロをテーブルに置き、火にかけるだけという段階で手が止まった。
なかなか着火しないのだ。
見かねたトーマスが、コンロに手を伸ばす。
「おかしいな、フルードはまだ残ってるのに」
「フルードの流れが悪くなってるのよ、ほらここ! 貸して」
レジーナはトーマスからコンロを取り上げ、修理を開始する。
どうも父より手際が良さそうだ。
「最近はなんでも複雑すぎて、俺はもうついていけないよ」
「このコンロは温度を自動調節してくれるから、昔より複雑になってるのよ」
「温度を自動調節……そんな機能が……」
「パパ、しっかりして!」
「あ、ああ……そうだな……」
「直った! 食べましょう!」
レジーナはコンロの火を点け、鍋を温める。
しばらくするとスープが煮立ち、コトコトと音が鳴り始めた。
湯気に乗って、香ばしい匂いが部屋の中を満たす。
「たまらない香りだ。もういいんじゃないか」
「うん、食べちゃおう。——いただきます」
「いただきます」
娘と二人、温かな鍋料理をつつく。
ささやかだが平和な庶民の日常だった。
「勉強しない貴族はたくさんいたからね。成績の悪い子に片っ端から声をかけてたの」
「そうだったのか。勉強を手伝うかわりに魔力を供給してもらうなんて、すごいじゃないか」
「師匠……家庭教師の先生も魔力持ちだから、よく魔力を提供してくれてたし」
「ああ、あの家庭教師の先生か……噂では王宮錬金術師という……」
「ええ、あの先生にフルードや魔道具の魔法回路につても沢山教えて頂いたからね」
トーマスはコンロを眺めながら呟く。
「フルードな……本物の魔力とは似ても似つかないがな……」
「そうよね、重たいし、夜も青く光ってまぶしいし……」
「ああ、フルードはすぐ無くなるから、お金がいくらあっても足りない……」
「それでも魔力ゼロの私たちはフルード式魔道具なしだと生活できないから仕方ないよね」
湯気が静かに立ちのぼる。
ふと、トーマスは懐かしむように笑った。
「そういえばな、納屋を片づけていたら——お前が昔作った蒸留機とかいうのを見つけたぞ」
レジーナが顔を上げる。
「えっ、まだ残ってたの? あー思い出した。それ使って焼酎を作ってたのよね」
「焼酎……なんだそれは? 聞いたことがないぞ」
「東の国のお酒よ、遠い昔、聞いたことがあるの」
「昔からそうだが、お前は色々なことを知ってるよな……」
「えっ?」
「王立図書館の本にもない、誰も聞いたことがない。そんな知識を一体どこから……」
時たまレジーナが口にする、不思議な知識についてたずねると、いつも話題を逸らされる。
「細かいことは気にしないで、私の焼酎、飲んでみて!」
レジーナは部屋に戻ると、一本の瓶を抱えて引き返してきた。
中には白ワインのような色をした液体が入っている。
「この匂い……酒か?」
「飲んでみて」
レジーナが注いでくれた焼酎を、トーマスはぐい、と一口飲み、目を丸くした。
鼻に抜ける香りは、どこか懐かしい甘い匂いだ。
「燃えるように熱いが、コクがある……何だこれは、すごい酒だな」
「五年ものの長期熟成だからね」
「チョウキジュクセイ……?」
「果報は寝て待てってことよ!」
意味はわからないが、レジーナは楽しそうだ。
トーマスもほろ酔い加減で微笑み返した。
数時間後。
酔いが回って機嫌良く寝息を立てるトーマスの肩に、レジーナはそっと布団をかけた。
「パパ、ごめんね。雄弁は銀、沈黙は金よ。私は絶対にアトミオス王子に勝つわ、でも今はまだ内緒」
読んでいただきありがとうございました。
次回は明日20時10分に投稿します。




