第44話 本気か、と兄の言葉
社会人になって一ヶ月が過ぎた頃。
兄・篠原拓真が「今度、美玲さんと一度ちゃんと話したい」と切り出した。
休日の夕暮れ、三人で街の落ち着いた洋食屋を訪れることになった。
テーブルに並んだハンバーグやパスタ、サラダ。
僕と兄と美玲さんは向かい合って座り、食事をしながら他愛のない会話をした。
「颯真、社会人になってどうだ?」
「正直、慣れるのに必死です。でも……やりがいはあります」
「そうか。美玲さんも忙しいだろうに、よく時間を作れたな」
「はい。今日はたまたまお休みがもらえたんです」
兄はときおり鋭い視線を僕に向けつつ、美玲さんには穏やかに接していた。
食事を終えると、僕は「ちょっと電話をしてきます」と席を外した。
その瞬間、兄の表情が少しだけ変わった。
⸻
颯真が席を離れると、兄はワイングラスを指で弄びながら美玲さんをじっと見た。
「……美玲さん。少し本音を聞かせてほしい」
「……はい」
「君は本気で颯真と向き合っているのか? 弟はまだ若いし、社会人になったばかりだ。君のように舞台の頂点に立つ人に釣り合うのか、不安にもなる」
美玲さんは一瞬言葉を詰まらせたが、真剣な瞳で兄を見返した。
「本気です。颯真くんは、私にとってただの恋人じゃありません。舞台に立つ私を支えてくれる、かけがえのない存在です」
その言葉に、兄は深く息を吐き、ゆっくり頷いた。
「……わかった。なら、俺からも頼みがある」
⸻
兄はグラスを置き、声の調子を和らげた。
「もしわからないことがあったら、うちの母や麻衣に相談するといい。麻衣は君の親友でもあるし、女性としても助けになってくれるはずだ」
美玲さんは驚いたように目を瞬かせた。
「……麻衣ちゃんに?」
「ああ。弟のこともよくわかってるしな。それに、母もきっと力になってくれる」
さらに兄は真剣な表情で続けた。
「それと……男性用のプレゼントとか、颯真が必要としそうな物で迷ったら、遠慮なく俺に言ってほしい。弟の好みはだいたい把握してるつもりだ」
美玲さんは思わず笑みをこぼし、少し潤んだ瞳で頷いた。
「ありがとうございます。……本当に、心強いです」
兄は少し照れくさそうに視線を逸らし、グラスを口に運んだ。
「弟をよろしく頼む。あいつはまだまだ未熟だけど……本気で君のことを想っている。だから、支えてやってほしい」
「はい。必ず」
その言葉は短かったが、力強く響いた。
⸻
少しして、僕――颯真が戻ってきたとき、兄と美玲さんは何事もなかったかのように笑顔で談笑していた。
だが、その裏で交わされた真剣なやりとりを僕はまだ知らなかった。
――けれど、その会話こそが、僕らの未来を支えてくれる絆の始まりだったのだ。
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