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第32話 束の間の幸せ


 公園で抱き合ったあとも、僕らはなかなか離れられなかった。

 けれど、美玲さんが小さく笑って「少し歩こうか」と言った。

 寒空の下、手を繋いで並木道を歩き始める。


 街はすでに冬支度を始めていて、商店街のアーケードにはイルミネーションが点灯していた。

 青や白の光が瞬き、冷たい夜気を鮮やかに彩っている。

 その下を歩くカップルや家族連れの笑顔に紛れながら、僕らも人混みの中を進んだ。



「……こうやって普通に歩くの、久しぶりね」

 彼女がマフラーに顔を隠しながら呟く。

「そうですね。……でも、やっぱり緊張します。誰かに見られたらって」

「大丈夫。少し人混みに紛れれば気づかれないわ」

 そう言って、彼女は指をぎゅっと絡めてきた。


 それだけで胸が温かくなる。

 舞台で何万人もの視線を浴びる彼女が、今は僕だけに寄り添っている。

 その事実が、何よりの幸福だった。



 歩き疲れた頃、裏路地にある小さな喫茶店に入った。

 木目調の落ち着いた店内は、学園祭帰りの学生たちで少し賑わっていたが、奥の席は空いていた。


「すみません、ブレンド二つとチーズケーキを」

「かしこまりました」


 運ばれてきたカップから立ちのぼる香りに、彼女は目を細めた。

「……あったかい。こうしてゆっくり座るの、何日ぶりだろう」

「忙しすぎるんですよ」

「でも、あなたと一緒なら……少しの時間でも十分幸せ」


 そう言って微笑む顔は、舞台の上とはまるで違う、柔らかな素顔だった。



 チーズケーキを一口食べ、彼女がふっと笑う。

「甘い。……でも、あなたといる時間の方がもっと甘い」

 からかうような言葉に、僕は耳まで熱くなった。

「……そんなこと言うの、反則ですよ」

「ふふ。だって本当のことだから」


 短い時間だったけれど、心の奥まで温められるようなひとときだった。

 喫茶店を出ると、夜の街はすっかりイルミネーションに包まれていた。

 彼女が小さく呟く。

「……また、こうして歩こうね」


 僕は頷き、強く返した。

「はい。必ず」


 その一瞬が永遠に続けばいいと願いながら、僕らは冷たい夜空の下、束の間の幸せを胸に刻んだ。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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