男装聖女様は意地でも嫁に行きたくない!
『レイラ。大人になったら君を迎えに行くよ。その時は、僕のお嫁さんになってくれる?』
それは遠い遠い昔の記憶。もう朧げとなった幼少期の淡い思い出。
グランツ礼拝堂。そこに、彼はいた。
日課となる御祈りの時間。壁に架けられた大きな十字架の前、膝をつき質素な教職者の衣類に身を包んだ彼は、両手を組み祈りの姿勢をとっていた。
レイ・グランツ。
村では有名な聖職者である。首から下げた小さな十字架と、その中央にキラリと光るラピスラズリ。歳若くも彼が村の聖職者である証拠で、かつ礼拝堂と同じ名を持っているのも彼がその礼拝堂に属した聖職者という証明でもある。
太陽が昇り祈りを捧げ、午前のお勤めを終えれば村の巡回。呼ばれれば各家々をまわって病人や怪我人の治療、必要があれば農村にも出向き育ちの悪い田畑の成長を促す。
やっている事はほぼ聖女そのもの。しかし誰も彼を“聖女様”とは呼ばない。
理由は単純、彼は男である。
昔からの慣わしで、“聖女”は女性を表すものとされており、男に“聖女”は適用されない。
故に彼は、代わりに“レイ様”と呼ばれていた。
「レイ様。お時間です」
「…今、行きます」
聖職者らしい金の刺繍をあしらった黒いローブ。スラッとした体格にその衣装は彼に良く似合っていた。
「レイ。気をつけて行ってらっしゃい」
「はい、神父様」
唯一彼を“レイ”と呼ぶ神父は、彼の正体を唯一知っている人物で、彼の上司にあたる。
「くれぐれも、“ラピスラズリ”を壊さぬように」
「重々承知しております」
神の御加護を、と互いの十字架に祈りを込める。ラピスラズリの宝石が柔らかい光を放つ。
「レイ様。お待ちしておりました」
「お聞きしてた通り、お野菜の育ちが悪いようですね」
「はい…、ここ数日、まとまった雨もなく日照りが続いております…」
思案したのち、単純に成長を促すのではなく雨乞いをした方が効率が良さそうだとレイは考えた。
レイに御祈りを依頼してきた農家。その畑へ来るまでにもいくつもの水田が干上がっていた。一箇所一箇所で祈りを捧げるのでは、非常に効率が悪い。
「この付近で村全体を見渡せる丘か灯台は…」
「それでしたら、あそこから登っていった先に丘がございます。ちょうど、村が見渡せましょう」
「ありがとうございます」
馬を借り、ひとっ走りして丘の上まで辿り着く。なるほどここは雨乞いするにはぴったりな舞台だとレイは早速準備に移る事にした。
近くの大木に馬を一旦繋いで、村が見えるように膝をつく。
祈りの姿勢だ。
両手を組み、己の顔に近付ける。雨乞いをする時本来は長い祈りの言葉を発するのだが、レイは至ってシンプルだった。
「恵みの雨よ」
すぐさま、村全体を覆う雨雲が現れる。
柔らかく田畑を濡らし、干上がっていた水田にもすぐ水溜りを作った。彼の行うお祈りは、村人にとって最適な力があった。
「…よし。隅々までいったな……ん?」
そんな時である。村外れに見慣れぬ兵士の姿が見えた。数人、村長の家に向かっている。何やら不穏な気配を感じたが、村の聖職者を務めている身として無視する事もできないので、急ぎ馬を走らせる事にした。
「村長!」
「レイ様!?どうしてこちらへ…」
「丘から、兵士が数名来るのが見えました」
「なんと…申し訳ありません、お勤めの最中に…」
「いえ、そんな事より…」
ちら、と兵士の身なりを見ると、王国所属の騎士団のようだった。胸元に国の紋章が刻まれている。
「貴殿が、レイ様……この村の聖職者の方ですね?」
「…はい。貴方がたは」
「突然の訪問、失礼いたします。我らは王家直属の近衛騎士団、この度は貴殿に用があり、こちらに参りました」
「……俺に、用…?」
「はい。…と言っても厳密には我々ではなく、こちらのお方が貴殿に用があるのですが」
そう言って、彼らは道を開けるように左右に移動していく。現れたのは、レイよりも更に高身長で見目も良い、銀髪碧眼の美丈夫。眉目秀麗を表したような美男子。
「…レイ・グランツだね?お噂はかねがね。私は、オルガグレイノーツ王国が第一王子、エリック・ゲルト・オルガグレイノーツ」
王族の訪問ともあり、レイはまた来たか、と思った。
………実は王族がレイを訪ねて来たことは、これが初めてではない。
それは、王国創立時から代々続いている慣わしの一つであり、聖職者であるレイもそこに深く関わっているのだから。
––––初代王妃は元聖女であった。国王は元勇者であった。二人は元々冒険者の身で、魔王から人間界を救った英雄として崇められ、国民の支持のもと王国を建立したのだ。
元聖女であった初代王妃は国のためにその力を奮った。しかしいくら元聖女とて肉体はただの人間、いずれ衰えてしまう。初代王妃は、聖女としての己の後継ぎとすべく、息子には聖女を王妃候補にするよう言い聞かせていた。
そこから代々王族へ嫁ぐ女性には聖女を選び、そうする事で国の安寧と平和、そして繁栄をもたらしていた。
…まあ早い話、そういった伝承があったので、各王国の王位継承権を持つ王子達は、自国の繁栄の為聖女の噂を耳にすればこぞって飛んで求婚しに行ったのである。
村での暮らしに満足しているレイからすれば、非常にありがた迷惑な話なのだ。
しかしここでレイは一つ疑問を抱いた。
伝承があるとはいえ、レイは男である。間違っても王家に“嫁ぐ”なんて事できっこない。嫁がなくて良いように、自ら男として生活しているくらいなのだから。
これまで何度も“レイ”という名が女のようだから勘違いで求婚に来た王族もいた。聖職者という肩書きを聖女と早とちりして、花束を持って来た王子もいたが、さあ“レイ”が実は男だと知ると全員がトボトボと帰国したのだ。
もう二度と間違われないように“レイ・グランツは男の聖職者である”とみなにしっかり説明したので、ここ数年は王族の訪問はぱったりと止んだというのに。
「……失礼ですが、俺は男です。お探しの聖女ではないと思われますが」
言外に「人違いだ帰れ」と説明した。ところが銀髪の美丈夫はにっこりと微笑み。
「…少し、お話をしよう?」
王族からの申し出を断るのは、いくら聖職者と言えど重罪となる可能性が高い。これは、拒否権のないお誘いである。
ああ世知辛い。
「……かしこまりました」
溜め息をついて、レイは了承した。過去の王族のようにしっかりかっちり説明をして、お帰りいただこうとかたく心に誓って。
王子から「ひとけのない場所で話がしたい」と怪しげな事を言われ、レイは仕方なく礼拝堂へ案内した。
神父には事情を話し、個室に「使用中」の札をかける。その個室は普段信者の相談事に使われているため、無断で入室される事もない。
室内には机が一台、挟んで椅子が二脚。レイは王子に対面の椅子を促した。
「…ここなら、誰も聞き耳を立てません」
「すまない……どうしても、君と二人で話がしたくてね」
「……それで、何の御用でしょう。さっきもお伝えしたように、俺は…」
「ああ、そうだね。…“レイ・グランツ”は男だ。けれど私が会いに来たのは“レイラ・グランツ”という聖女なんだ」
戦慄が走る。“レイラ・グランツ”とは、まさしくレイの本名。
一文字だけを変えたに過ぎないが、それでこれまで上手くやってこれていた。
どこから情報が漏れた。もしくは、監視されていたのか。レイが、本当に男なのかと。
「…どちらで、その名を?」
「昔、とある人物から教えてもらったよ」
「…???」
はて、レイには本名を教えるような人物に心当たりはない。それこそ、聖女の力が覚醒してからは求婚に嫌気が差していたので、本人の了承なく勝手に本名を教えるはずがない。
さてどう話を返すか。下手な事を言えば不敬罪に問われるかもしれない、と思うとレイもさすがにそう易々と口を開けなかった。
すると、王子がふ、と微笑む。
「覚えてないかな。…私と君は、昔一度会っている」
「え」
「この村の神父に用があって、幼少期に父に連れられて来たんだよ。その時、まだ聖女見習いだった君に、名を教えてもらった」
言われて初めて、レイは昔の記憶が蘇った。
––––初めまして、聖女見習い様。僕は…
「……リック?」
「…そう」
花が咲いたように綻んだエリックに、レイは動揺した。
「な、なんで」
「ん?」
「名前…」
「…ああ、」
己の身分を考えると、当時は仕方がなかったのだと説明する。
「あの頃は、まだまだ暗殺未遂が多くて、初めて行く地域では偽名を使っていたんだ。小間使いだと身分も偽ってね」
そうだったのか、と一瞬納得するも、肝心な事を思い出す。
「っじゃなくて!」
「どうしたの?」
「さっき“レイラ・グランツ”に会いに来たって…!」
「うん。君の事だ」
「何で、俺が“レイラ・グランツ”だって…」
レイが言いたいのは、なぜレイ=“レイラ”だと確信しているのか、である。
聖女の噂を元にやってきた王子達は、目当ての人物が男だと知ると全員が帰っていった。
それはレイの正体を知らないからなのだが、レイが男装を始めたきっかけを知っていないと、そうそう確信を持って会いには来れない。
しかしエリックに言わせれば、それはとても単純な事だった。
「君が、ラピスラズリを使った変装術を見せてくれた」
「私の馬鹿!!!!!」
秘密バラしてんの自分じゃん!!!とつい男装を忘れて本来の一人称で叫ぶ。
「私がここへ来た理由……気付いてるんだろう?」
その言葉に、ピタリとレイの動きが止まる。そして申し訳なさげに顔を歪めたが…。
「…エリック殿下。俺は、今更聖女として嫁ぐつもりはありません。ここでの生活が気に入ってるんです」
「……知っているよ。君の生活振りも、君が王家に嫁ぎたくない理由も…」
「ならどうして」
レイラが、性別を偽ってまで頑なに求婚を断っていたのは、王家の縛りだけではなかった。
彼には––––彼女には、この村の聖職者として在籍する事で、村の存続を維持するという目的があった。
村は、限界集落でもあったのだ。
聖女の存在は繁栄の象徴。その力は国に注がれるため、一度王家に嫁がされれば小さな村一つあっという間に廃村と化す。
この村で生まれ育ったレイラにとって、それは耐え難い苦しみなのだ。
「私も、聖女が王家に嫁ぐという慣わしについて多少思うところはあってね。個人的に調べたんだが…」
何を言われても、断固として拒否しよう。これまでもそうやって断ってきたのだから、女だとバレたところで強制ではない。
さあ何と説得するつもりなのかと身構えていると、斜め上の変化球が飛んできた。
「どうかな。男として、王家に嫁ぐというのは」
「何言ってんの???」
もはや王族に対する言葉遣いですらないのに、エリックは気にもとめず続けた。
「君も知っている通り、歴代の王妃はみな元聖女だ。国に尽くす事を義務付けられて王族に輿入れしている。けれど蓋を開ければ男の聖職者も王宮に出入りしていたし、彼らは王宮に勤めながらも故郷との行き来もしていたらしい」
「……………つまり?」
にっこりと、満面の笑顔で結論を出す。
「つまり、“聖職者として王家に嫁げば良い”という事になる」
「バカなんですか?」
なんだその法の抜け穴みたいな理論は。
エリックの発言はどう考えても異端児そのもので、レイからしてみればバカとしか言いようがなかった。
女として嫁ぐのが嫌なら男として嫁げとは。
「え、ちょっと?殿下?ご自分が何を仰ってるのか分かってます?」
「うん、分かってる。君を娶れるなら、男でも構わない。私は聖女である前に君の事が好きだから」
「いや、王位継承者が男色家なんて王家の恥晒し…え、今なんて??」
今度こそ、レイは耳を疑った。
目の前の王子は、己が男でも構わないと言い、更には己の事が好きだと言った。
男装し、聖女である事をひた隠しにし、王族への輿入れから逃れようとする己を、好きだと。
「…言っておくけど、私は男色ではないよ。あくまでも、君の事が好きで、君が男の方が都合が良いと言うのならそれでも構わないってだけだ。それで、周りに私が男色と思われるならそれはそれで仕方ない」
「……いや、殿下はそれで本当によろしいんですか」
「何が?」
「……………周りに、殿下が男好きだと噂されるんですよ」
“男色”ではなくストレートに“男好き”とわざと悪評の表現をする。
しかしエリックは少し考えたのちに、ふ、と微笑んだ。
「それで、君がそばにいてくれるなら、構わない」
レイは、悩みに悩みぬいて、「考えさせてください」と答えた。
エリックからの申し出内容が、あまりにレイラにとって好条件だったのだ。
村の存続の確約。輿入れ後の里帰りの許可。
世継ぎの免除(表向きは男なので)。
けれどもそれらを快諾できない原因がレイラ自身にあった。
エリックを見送ったあと、人の目がない事を確認して半べそで師匠である神父のもとへ駆け込む。
「神父さま〜〜〜!!!!!」
「おやおやおや、レイ。どうしたのですか、殿下はお帰りに?」
落ち着いた雰囲気の神父。レイラの親代わりでもあり、彼が唯一己のだめなところを曝け出せる人物だ。
自室で読書をしていた神父の足元にたどり着いた瞬間崩れ落ち、その膝に泣きついた。
「どう、どうしたら…っ、俺、殿下に求婚されちゃっ…」
「おやおや、とうとうこの日が来ましたか。よしよし、とても驚きましたねえ」
まるで幼な子にするように、優しく頭を撫でた。幼少期から彼女を知る神父は特に焦りもせず「よしよし」となだめ続ける。
「…神父さまは、いつか殿下が来られると、ご存知だったんですか…?」
そのあまりにも落ち着いた態度に、レイもさすがに「あれ?」と気付いた。もしかしてこうなる事を知らなかったのは自分だけなのかと。
「君には言っていませんでしたが、私と殿下は文通友達です」
「へ。」
衝撃の事実だった。ずっとやり取りしている事も気付かなかった。
というかいつから文通していたのか。まさか、エリックが初めてこの村に来た時から?
レイの首に下げたラピスラズリの十字架を、神父は自然な動きでゆっくりと取り外した。
瞬間、魔法が解けたようにレイの姿が輝き金の髪は伸び、体つきも男から柔そうな女性の肉体へと変わる。
その姿を見て、神父はまた柔らかく、そして愛しい子を見つめるように微笑んだ。
「…可愛い我が弟子、レイラ・グランデ。稀代の聖女。君はエリック殿下の初恋のお相手だそうですよ。勿論、求婚のお話も私は許可しました。聖女として嫁いでも、村はなくなりません。だから安心して殿下のもとへ嫁ぎなさい」
レイラ、万事休す。
あわよくば神父の口から、「本人が嫌がってますので」と求婚の話を断ってもらうつもりだったのだ。
再び泣き叫ぶ。
「今更聖女なんて無理です〜〜〜!!!お淑やかになんか過ごせません〜〜〜!!!!」
「んー、君も意外と強情ですねぇ…」
困った顔でやれやれとため息をつく神父。しかし。
(君は知らないでしょうが、殿下はそんな君だから、好きになったのだと思いますよ?)
かつてレイラがまだ聖女見習いだった頃、エリックにとって彼女は初めてできた友達同然だった。
––––リック!特別に見せてあげる!
––––これは?
––––ラピスラズリの精霊石よ。十字架になってて、これで聖女の力を制御できるの。
––––…大切なものじゃないの?僕に見せて大丈夫?
––––平気よ!リックはお友達だもの!…あとね、これも見せてあげる。
––––…え。…え?
肩まで伸ばしたふわふわの金の髪が瞬く間に短くなり、風貌はエリックと同じような少年と化した。
––––この間、使えるようになった変身術!どう、凄いでしょ!?
––––…凄いね。どこから見ても、男の子だ…。
––––うふふふ!
褒められて、満面の笑みで喜びを表したレイラ。
その表情にエリックは心の高鳴りを感じた。聖女の力や髪の色だけでなくレイラ自身の持つ輝きを見て、彼は幼心にして一つの決意を抱く。
“将来、お嫁さんにするなら、レイラが良い”と。
後書きという名の人物紹介
聖女…レイラ(レイ)
首から下げたネックレス(精霊石)に聖なる力を込めて男装してる。
祈りを込めれば植物・食物は育ち、祈りを捧げれば雨を降らせ、力を解放すれば魔物を寄せ付けない結界を張れる。
本人はこの生活に満足しているので、色々縛られるであろう王族への嫁入りは全力で回避したい。