07 これからのこと
ロイスが娘を救うために動いている間、私は邪魔にならないよう彼の仕事部屋にあった座り心地の良い椅子に腰掛け、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
グレイとして、しばらくはこの街で暮らすことになるだろう。
これからの新しい人生に期待を膨らませ、まず何からしようかと想いを馳せていると、ロイスが目を赤くしながら戻ってきた。
目元には涙を拭った跡が残っている。
「グラウス、ありがとう。ローズに、回復の兆しが見え始めた」
「それはよかった」
ロイスの報告に、私はほっと胸を撫で下ろした。
そうか。これでやっと、思い残すことなくグラウスは死ねる。
そう安堵する私の前に、ロイスは空になった瓶を置いた。
「これを信頼のおける部下に解析させたよ」
「ほう? それで?」
「これは神水だ」
「神水って、あの伝説上の?」
昔、極夜の宴の面々と各地を旅して回っていた際に、そんな伝承を耳にしたことがあった。この世のどこかに存在したことは確かだと分かったが、結局、実物を見ることはなかった。
そんな神水と、まさかこんな形で巡り会えるとは。
というか、甘いんだな。神水って。
「そうだ。飲めば万病にきき、浸かればたちまち傷が癒え、老いさえも少しずつ直していくという、伝説上の液体だ」
「そうか……それで私は」
あのダンジョンの奥底は、そんな神水が湧き出て溢れていた。
一ヶ月もの間、私はその神水に触れ、恩恵を受け続けた。
一ヶ月という時間が、私の肉体を若返らせたわけだ。
「ただ、うちの錬金術師は大量に摂取すると危険な可能性があるとも言っていた。あの水は、それだけ強力な力を秘めているらしい。実際、あの少量でローズの病気は完治に向かっている」
極めて強力な治癒力は、何をしでかすかわからない。
そして危険なのはその効力だけではない。存在そのものが、かなりの危険を孕んでいる。
「それで、神水の件は……」
「あぁ、黙っておいた方が良いだろう」
「やっぱり、ロイスもそう考える?」
ずっと病に苦しみ、余命僅かな娘が助かり、嬉しげだった様子とは一変し、難しい顔で空き瓶に視線を落とす。
「こんなのがこの王国にあると知られれば、最悪、大陸を巻き込んだ戦争になりかねない」
「最悪? いや、絶対だろう」
不老不死の力はないが、若返りの力があるのは確かだ。
しかも、どう言うわけかあのダンジョンの底はそんな神水で溢れている。
もし、そんなダンジョンの存在を各国の権力者が知れば、黙ってはいない。
全力で奪いにかかってくる。
それこそ、なりふり構わず、総力を上げてこの国をとりにくるはずだ。
あのダンジョンは超難関だが、大国が総力を上げれば、攻略は不可能じゃないと見ている。
神水は多くの人間に祝福をもたらすかもしれない。
だが、あれはもたらす幸福以上に、もたらす災いの方が多いことは明らかである。
「若返りの恩恵に預かった身でその判断を下すことに、抵抗はあるけどね」
「いや、だからこそだ」
ロイスは私とはまた別の視点で考えているようで、後悔を滲ませながら、その拳を力強く握りしめていた。
「私は身をもってその神水の恐ろしさを痛感した。不老不死の秘薬の噂を知り、目がくらんだ。娘を救うためならと、大切な友を死地に送った! その結果、大切な友まで失いかけた。過ちに気がついてからは、本当に地獄のような毎日だったよ」
それは一ヶ月前と比べ痩せ、目の下にうっすらと隈を作ったロイスを見れば明らかだった。
「今回、娘が助かったのも、お前が助かったのも偶然に過ぎない。私は大切な存在を、二人も失うところだった。ダンジョンだって、お前だから這い上がって来れた。普通、若返ってもあのダンジョンを引き返すなんてできることじゃない。本当に運良く私は、全てを失わずに済んだに過ぎない」
神水があると知り、動く人間の全てが私利私欲ではない。
大切の友のため、家族のため、神水を求める人も現れるだろう。
しかし、おそらくその多くは、今以上に最悪の道に進むことになる。
ロイスが大切な娘を救うために、大切な友人までもを失いかけたように。
「誰も、私のような過った判断はしてほしくはない」
「……そうだな」
私もその言葉に頷く。
「仮に攻略できたとしても、その先にあるのはあのダンジョンの所有権の争奪戦だ。いくらあのダンジョンとて、無限に神水が湧き出るわけではないだろうし」
各国がしっかりと神水の取り扱いについて協議し、本当に必要とする人に分配する、なんてそんなことはまずあり得ない。
長い人生の中で、そんな人間の醜さは幾度となく目にしてきている。
「それにだ。そもそも、あのダンジョンに神水があることを発見したのは私だ。情報を独占する資格くらいはあるだろう?」
「はっ、それもそうだな」
もし、別の誰かが発見して、その情報を公開するならその時は止めない。
ただ私は見なかった、知らなかったことにするだけだ。
「その錬金術師は信頼できそうなのか?」
「それは問題ない。それに彼女にも、神水の出どころは話していない。グラウスが持ち帰ったとも言ってない。それを知るのは私とロイスの二人だけだ」
「なら安心だ」
ロイスならば、情報が漏れる心配はない。
一ヶ月と言う長い時間、苦しみ続けた彼ならば、もう道を過ったりはしないはずだ。
神水の取り扱いについては意見がまとまったところで、再びロイスの表情は険しくなる。
「グラウス。さっきシエンがどうのって言っていたが、何が起こったんだ? あの場所で」
「あぁ、実は……」
私はあの場所で起こった本当のことをありのままに話した。
ドラゴンと遭遇するも、老いた体では敵わなかったこと。
その後、逃げるためにシエンが私を突き落としたこと。
私が話す間、ロイスは拳を握りしめ怒りを堪えながら、それでも最後まで黙って話を聞いてくれた。
そして話が終わって初めて、感情を吐露する。
「くそっ、あいつら……」
「私の方も聞いていかな? この一ヶ月のことを」
「あぁ、もちろんだ」
白金の騎士団は今や、この王国一の冒険者パーティーと呼ばれているらしい。
銀魔の剣鬼が後押しする形で、その地位を爆発的に上げたそう。
そんなこと言った覚えはないんだけどな。
そんな捏造発言のお陰で、元々、若者人気が高かった彼らに、私の全盛期を知る中年以上の支持層がついてしまった。
その結果、他の新星を一気に追い抜いたそうだ。
自分の業績を他人に、それも私を殺そうとした奴らに良いように使われていることは、とても快くはない。
「それと、私の元に入ってきている情報をまとめた感じ、グラウスの死がもたらした影響はそれだけじゃない。銀魔の剣鬼の死は、すなわち『極夜の宴』の完全消滅を意味する。その結果、極夜の宴の威光が押さえつけていた闇が、再び動き出している」
「そうなのか?」
別にそんな治安維持活動に貢献していたつもりは全くなかっただけに、それは少々意外だった。ただ、仲間の死後、一人残された私は、これと言った目的もなくフラフラと生きていただけなんだけど。
「あぁ……分かる奴にはわかるんだろうな。白金の騎士団では、極夜の宴には到底敵わないと。むしろ、彼らがこの国の冒険者のトップになってしまったことで、王国の冒険者の底が知れたと考えている人も多いってことだ」
確かに、今の王国のトップがあれなら、舐められるのも仕方がないだろう。
五つの新星たちが同格のパーティーとして競い合っていた間はまだ、最強の一団はなくとも、それに準ずる強力なパーティーが五つあるという印象で、その面子を保っていた。しかし、白金の騎士団が間違った形でトップに君臨したことで『トップであの程度』と見られるようになってしまっている。
「まだ緩やかだが、間違いなく、身を潜めていた連中が動き出している」
ロイスとしてはその事態をかなり危惧し、案じているのだろう。
「と言われてもね。私はもう、表舞台に上がるつもりはない。今の時代のことは、今の時代を生きる人たちに任せると決めているんだ」
「本当にいいのか、それで」
ロイスの問いに答えるのに、少しだけ迷ってしまう。
私とてそう結論づけてはいるが、割り切れたわけではなかった。
心のどこかで不安はずっと燻っている。
「あぁ、きっと大丈夫さ」
その言葉を吐く際、私はロイスの真剣な眼差しを見ることはできなかった。
目を逸らしたのは、やはり不安があるからだろう。
「白金の騎士団はあれでもそここその実力はある。下手に刺激して暴れられても困るし、それに、私が若返ったと知られるのも不味いだろう?」
グラウスが若返ったとしれば、シエンたちはあのダンジョンには本当に不老不死の秘薬があると確信するだろう。
それは避けなくてはならない。
「だから任せるしかない、耐えるしかないということか」
「それにいいじゃないか。お陰で私は若返ったのだから」
「それは結果論だろう!」
ロイスが声を荒らげる。
私のためにここまで怒ってくれているのだろう。
確かに私が助かったのは偶然でしかない。
「それでも、今回だけ見逃すことに決めている。ただ、もしあいつらがもう一度一線を超えたら、その時は銀魔の剣鬼として化けて出るくらいはしようと思っている」
グラウスが若返ったことさえ隠し通せれば、生きてること自体は彼らにならバレようと、そこまで大きな問題はない。
ただ、私一人が堪えれば済むこの局面なら、まだグラウスの生存という札を切る必要はないだろう。
「そうか。それなら楽しみにしてるよ、奴らが一線を越えるのを」
「やめてくれ、そんな不謹慎な楽しみ」
そんな事態は、起こらないに越したことはないのだから。
極夜の宴が消え、せっかく現れた新星の一つを自らの手で堕としたくはない。
星が消えれば、その分、人々を照らす輝きも減ってしまうから。
「それで、グレイさんは何をするつもりなのかな?」
「実はずっとやってみたかったことがあるんだ」
ずっとやりたかったが、グラウスではできなかったこと。
「ほう? それはなんだ?」
「バイト」
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