01 ダンジョンの奥底で
◇
甘い。
私は奇妙な甘味を口の中で感じ、目を覚ました。
ここはどこだ?
湿った地面に手をつき、上半身を起こす。
暗い洞窟を歩くために鞄に入れていた発光石だけが、この空間を照らしてくれている。
ぼんやりと靄のかかった記憶を少しずつ整理していく。
そうだ。私は旧友の依頼でダンジョンに来て、強力なドラゴンと遭遇した。
そして勝ち目がないと悟ったシエンという冒険者に囮として、底の見えない暗闇に突き落とされた。
しかし、どういうわけか私は五体満足で生きている。
「どういう……」
立ち上がり、改めて上を見上げるが、そこに広がるのはどこまでも広がる闇のみ。
永遠に闇が広がっているのではないかとさえ思える暗闇がそこにある。
私が突き落とされた高さは、どう考えても助かるものではなかった。
困惑する頭で、何とか現状を理解しようと周囲を見渡し、あることに気がつく。
心なしか、いつもより視界が良好なことに。
目を擦ってみるが、やはり、視界がクリアである。
とっくに老眼だったはずなのだが。
それに擦った時に気がついたが、なんだこの腕は。
細く、皮ばかりのはずの私の腕は、潤いと弾力のある若々しい肌に変化している。
それだけじゃない。
歳を重ねる度に悪化していた腰も、全力で剣を振るう度に激痛が走っていた肩も、すっかり治ってしまっていた。
「こ、これは」
砕けた発光石を一つ、その手に持ち、落下で砕けた剣の破片で顔を確認する。
「嘘、だろう?」
そこには十代後半だった頃の私の顔が写っていた。
相変わらずな白髪ではあるものの、そこには艶があり、顔の皮膚にはハリがある。
目元や口元の皺も、シミもなくなっている。
察するに、どうやら私は若返ったようだ。
「口の中に甘味を感じたが、まさか」
元々、ここには不老不死の秘薬があるという噂だった。
とは言え、あくまでも噂は噂だ。
秘薬なんてものがない可能性も十分有り得た。
しかし、そう噂されるからには何かしらはあるだろうとも予想はしていた。
不老不死なんかではなくとも、それがせめて不治の病に効く何かであればと。
ひょっとすると、この岩肌を湿らせる液体がそうなのかもしれない。
恐る恐る手に取り舐めてみるとやはりほんのりと甘い味と、疲労感がすっと抜けていく感覚がした。
「これが不老不死の秘薬……なのか?」
効能が不老不死かは一旦置いておくとして、この液体が途轍もない力を秘めていることだけは確かだ。
老体を若返らせたのがこの液体ならば、不治の病にも効くかも知れない。
直接効果はなくとも、この液体で研究を進めれば、あるいは。
ロイスの娘のために少しでも持って帰りたいところではあるが、落下の衝撃で持ち物は軒並み破壊されてしまっていた。
それでも何とか持ち帰ろうと、周囲を見渡す。
「あれは」
そんな破損した持ち物の中に、砕けた鞘を見つける。
鞘はもう、剣を納めるためには使えそうにないが、その先端は辛うじて原型をとどめており、僅かなら液体を組み上げられそうだった。
辺りに溢れる液体で念入りに中身を洗浄したのち、もう一度汲み上げる。
衛生面は怪しいが、今はこれしかない。
「あとはこれを持ち帰るだけだが」
そこが鬼門だった。
信じられないことに肉体は若返った。
物凄い治癒力を持つ秘薬は手に入れた。
想定以上の成果と言えよう。
しかし、帰るすべが見当もつかない。
この秘薬をこぼさないように注意を払いながら、ゴールの見えない岩壁を、しかもあのドラゴンがいるかもしれない中登れるかと言われると、流石に自信がなかった。
それにここらの岩壁はその秘薬のせいで湿っていて掴みにくい。
「さて、どうしてものか」
秘薬を持ち帰れないどころか、このままではせっかく若返ったというのに、餓死してしまう。
ならばまだ老衰の方がマシなまである。
どうしようかと悩んでいると、モンスターの雄叫びが響き渡った。
何かを羽ばたかせる音も聞こえてくる。
「先ほどのドラゴンだな」
やはりここはあのドラゴンの巣のようで、戻ってきたらしい。
「ちょうどいい、あのドラゴンに頼むとしよう」
私は落下の衝撃で折れた剣を拾い上げる。
半分以上剣身のない剣を上段に構えた。
やはり肩の可動域も復活している。
あぁ、若いとはなんて良いことなのだろう。
「久しぶりに全力で剣が振えるな」
若返ったお陰か、年々減少を続けていた魔力も体に漲っている。
いや、何なら全盛期以上かもしれない。
最高のコンディションだ。
「銀壊」
剣身に銀色のオーラを纏わせ、振り下ろす。
洞窟を振動させ轟音を響かせる一撃は、ドラゴンの頬を掠めた後、洞窟の壁面を大きく抉った。
パラパラと砕かれた壁面が落下する。
「唯一の帰宅手段、殺すわけにはいかないからね」
この一撃で、両者の間にある力の差を本能で感じ取ったドラゴンは逃げようと翼を羽ばたかせた。
そうはさせない。
私は岩壁を蹴り、そのドラゴンの背に捕まる。
背中の鱗を掴まれ、情けない叫び声を上げるドラゴン。
「何、上まで連れて行ってくれれば殺しはしないさ」
ドラゴンは賢いが、されどモンスター。
人の話す言語の意味など理解できるとは思っていないが、本能で私の意思を汲み取ったのか。
翼を必死に羽ばたかせ、私を落下前の場所まで戻してくれた。
「このまま切り捨てしまうこともできるが、約束は約束だな」
ドラゴンは私との約束を守った。私を元いた場所まで送ってくれた。
であれば、私も約束を守るのが筋というもの。
「行って良いぞ」
やはり、言葉を理解しているのではないかと、そう感じさせる速度でドラゴンは逃げ出した。
「さて、後は歩いて地上を目指すだけだな」
ここまでの道のりならばバッチリ頭に入っている。
◇
ダンジョンを出ると、眩しい日差しに出迎えられた。
洞窟の中では感じられなかった暖かさに包まれ、心が安らぐ。
「空気が澄んでいて、心地よいな」
このまま昼寝でもしてしまいたいくらいだ。
このダンジョンは人里離れた森の奥地に存在している。
周囲は一面緑で木々しかない。
「本当に、木々しかないな」
そこにシエンたちの姿はなかった。
ここに来るまで死体も荷物もなかったということは、無事にダンジョンからは脱出したのだろう。
「流石に私のことは、死んだと思っているだろう」
ここで待っていても救助隊が来ることはなさそうだ。
それにここら一帯は『魔境』と呼ばれる、極めて危険な区域である。
少し前までは禁足地とされていたくらいだ。
そんな場所で、人と会うことはどなかろう。
ここから近くの街までは歩いて三日はかかるが、歩く以外の選択肢はなさそうだ。
常識的に考えれば、武器も何もない、こんな無防備な格好で魔境を歩くなんて自殺行為だ。
私も少し前なら、きっとこんな馬鹿みたいな格好で歩こうとは思わなかったろう。
しかし、若さを取り戻した今なら、そこが魔境だろうとなんてことはない。
「久しぶりのサバイバルだ」
ドスドスと地面を揺らしながら、私の背丈の倍以上はある猪が迫り寄ってくる。
流石は魔境。
人里に出れば歴史にその出来事が刻まれるような、極めて危険なモンスターがこうも自然に現れる。
「この大きさの猪……キング・ボアか?」
幸い、食い物には困らなさそうだ。
私は猪を前に、拳を構える。
「剣豪の拳、されど侮ることなかれ」
余談だが、先のドラゴンへの一撃であの剣は全く使い物にならなくなってしまったため、あそこから地上に至るまで、ダンジョンにいたモンスターは全て拳で屠ってきている。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
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