00 最強の剣士、死す
「悪いな、オッサン……俺たちのために死んでくれ」
そう告げられ、仲間だったはずの男に、底の見えない暗闇へと突き落とされる。
何とか落ちまいと岩壁に手を伸ばすが、年老いて弱った握力では掴みきれず、そのまま奥底へと落下してしまう。
少しずつ、光が遠のいてゆく。
くそっ、もっと若ければ……、
加速する落下の中で、そんな言葉が頭を過った。
◇
私はとある依頼を受け、洞窟型のダンジョンへとやってきていた。
依頼主はもう長い付き合いになる、とある貴族の当主だったのだが、その娘が一ヶ月ほど前に不治の病に侵されてしまった。
もう何度か彼の娘の見舞いは行ったことがあったが、見るも耐えない酷い状態だった。
呼吸は荒く、常に額に汗を浮かべていて血色が悪い。
いつ死んでもおかしくないような、酷い病状だった。
現状、この病を治す術は見つかっていない。
私はそこであるお願いをされた。
かつて『銀魔の剣鬼』という異名を轟かせた最強の剣士の力を借りたい、と。
確かに私は強かった。
しかし、それはもう何十年も前の話。
私はもう今年で七十歳を迎える老人だった。
肌には潤いもハリもなく、髪は真っ白。
最も、髪は生まれた頃から銀髪なため、せいぜい艶がなくなった程度の変化ではあるが。
体の至る所がボロボロだった。
とてもあの頃のようには動けない。
神速の剣技も、今や敵を切る以前に、剣を振り上げた瞬間、自分の肩を外しそうになるような始末。
過去にどれだけ名を馳せた戦士だろうと、老いにだけは敵わないと、もうずっと昔に悟らされた。
それでも旧友からの頼み。
それに私は彼の護衛として、出産にも立ち会ったことがある。
生まれた時から知っているのだ。
「グラウス、頼む! あのダンジョンにあるとされる不老不死の秘薬を、採ってきてはもらえないだろうか」
そう、土下座までされては、私には断ることができなかった。
何より、苦しむ彼の娘の表情が頭を過ってしまった。
「……分かりました、引き受けましょう」
これが私の冒険者としての、否、剣士としての最後の依頼になるだろう。
そんな覚悟で向かったダンジョンだが、不老不死の秘薬が眠るとだけあり、そこは推定危険度がSS級とされる、いわゆる超難関のダンジョンだった。
ダンジョンの危険度は通常SからCに分類されるが、SSは分類不能の場合につけられるランクだ。
当然、そんなダンジョンを年老いた私一人で攻略なんてできるはずもなく、そこで貴族のコネと莫大な財力を存分に発揮し、今話題の新星と呼ばれている、ある冒険者たちの力を借りることとなった。
S級冒険者パーティー『白金の騎士団』。
そのリーダー、シエンは金髪に碧眼の美男子で、無駄に装飾の入った剣を腰に携えている。
そして純白の生地に黄色の刺繍が入った、それはまた立派な格好をしていた。
また、そのメンバーと思われる四人は皆が美女。
彼女らも等級の高い凄腕の冒険者らしいが、顔で選んでいるのではないだろうかと思うレベルで美人揃いだった。
そんな奇妙なパーティーの様子を観察していると、シエンが歩み寄ってきた。
「あなたが、噂の銀魔の剣鬼?」
「あぁ、もう随分と昔の話だけどね」
誰が呼び始めたか分からないその異名は今なお健在で、こんな若者にまで浸透しているらしい。
嬉しいような、恥ずかしいような、むず痒い感覚だ。
「へぇ、そう……ま、期待してるよ。オッサン」
そう言い、私の肩をポンポンと叩く。
シエンと言う男はかなりの自信家のようで、この超難関ダンジョンを前にして、この余裕っぷりだ。
どれだけ自信があろうとも油断は禁物。
そう咎めようかとも思ったが、私の若い頃は決して人に誇れるようなものではなかったことを思い出し、口を閉ざす。
いつか、自分で気がつく日が来るだろう。
こんな老人の出る幕じゃあない。
「えー、本当にこのおじさんが頼りになるわけ?」
「これが銀魔の剣鬼? 銀歯の間違いじゃなくて?」
そう言い、ゲラゲラと笑う女たちの声が聞こえてくる。
「銀魔な、銀魔。大丈夫だって、いざって時は俺がいるから」
「キャー! シエン様、マジでイケメンすぎ!」
うーむ。本当にこのパーティーは大丈夫なのだろうか。
白金の騎士団は、今この国で五本の指に入るほどの強力なパーティーと聞くが、不安が込み上げてくる。
「さぁ、いきましょうか」
その後、そのシエン率いる四人と私でダンジョンへと突入した。
道中、強力なモンスターと遭遇することはあったが、シエンらと協力し、奥へ奥へと歩みを進める。
あんな感じではあるものの、シエンの率いるパーティーの腕は確かに悪くはなかった。
どこか気が抜けているところ含め、まだまだなところもあるが、あの若さでこれだけ出来ていれば十分だと思えるほどに。
「ねぇ、まだつかないの? 最下層」
先ほど、銀歯と言っていた、ピンク髪に色黒な女冒険者が飽き飽きとした様子で問いかける。
その不老不死の秘薬のある最下層までの道のりは長い。
最下層までの情報はないが、前に途中まで進んだ調査隊の情報をもとに考えるのであれば、順調に進んでも、一日以上はかかると予想されている。
そうなると道中、彼らと休み、会話する機会も出てくるわけだが。
過去に行ったことのある場所の中で最も印象的だった所を聞かれたため、最も絶景だった場所を語る。
「へぇ、そんな場所あるんだ。行ってみたいかも」
「あぁ、絶景だったよ。でも、行く時は防寒対策だけは忘れないようにね」
最下層を目指す中で、少しずつではあるが、彼らとの蟠りは消えていったと。
何度かの雑談を通し、この時はそう思ってしまっていた。
それからしばらくしてのことだ。
「こいつは……ドラゴンか!」
深層部の開けた空間で、ドラゴンと遭遇してしまう。
しかも驚いたことに、このダンジョンにはまだまだ下があるようで、さらに下へと続く大穴が口を開けていたのだ。
そしてそこからドラゴンが這い出てきた。
見上げるだけでも老体にはキツいほどに巨大なドラゴンの鱗は黒く、そして酷く頑丈で、シエンの剣を最も簡単に弾いてしまう。
「くっ、攻撃が通らねぇ」
弾き返され、バランスを崩したシエン目掛け、ドラゴンは前足を振り下ろす。
「シ、シエン様!」
メンバーの一人が魔法で巨大な炎の球を放つが、聞いている様子はない。
私は老体に鞭を打ち、彼に迫る前足を弾いた。
僅かに切れた黒い皮膚から、赤黒い血が流れ出る。
「ハァ、ハァ……流石に、衰えたな」
あと三十歳若ければ、前足くらいは切り落とせただろうが、この衰えた筋力では傷ひとつつけるのが限界だった。
「おいおい、嘘だろ」
ある光景を目の当たりにしたシエンが目を丸くしている。
ドラゴンの傷が、なぜか治癒し始めていたのだ。
絶望的状況。シエン以外のパーティーメンバーは皆、ここに来るまでの疲労と絶えず回復するドラゴンという絶望を前にした恐怖で、戦える状態ですら無くなってゆく。
このまま戦えば全員が死ぬことは容易に想像できた。
「シエンさん、ここは……」
撤退しよう、そう提案するため振り返った私を、シエンはドラゴンが出てきた暗闇へと突き落とした。
「悪いな、オッサン……俺たちのために死んでくれ」
シエンはそう言い、口角を上げた。
何とか手を伸ばすも岩壁を掴むことは叶わず、重力に身を任せ落下する私をドラゴンが追いかける。
このダンジョンは目の前の黒いドラゴンの棲家で、ドラゴンはあくまでも、外敵を追い払わんと私たちと戦っていた。
シエンは私と同じく、そのことを見破っていたのだろう。
そんなドラゴンにとって、外敵の中で最も驚異度が高いのは、唯一その体に傷をつけた私だ。
だから、こんな食べても美味しくないであろう、私を優先して追いかける。
急ぎ、仕留めるために。
見上げると、さっさと引き上げるシエンらの姿が見えた。
シエンは最後に、ドラゴンの動きを確認するためにこの大穴を覗き込む。
「オッサン、これは未来ある若者のためだなんだ。そのために死ぬ、伝説の剣豪の終わり方としちゃ、上出来だろう」
そうか。
これが、かつて最強と称された剣豪の末路か。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
面白いと思ったら、ブックマークや下の『☆☆☆☆☆』で評価をしていただけると励みになります。