第6話 黒髪の少女
それから三年の時をかけて、ジェラルドは復讐を果たした。ただただ謀略と殺戮を繰り返す日々だった。
しかし、ようやくすべてが終わって国王の座に就いても、心が晴れることはなかった。
イザベルが『よく頑張った』と言ってくれることもなく、脳裏に焼きついた彼女の死に顔が笑顔に変わることもない。
(もう罰すべき人間は残っていないはずなのに、なぜ……?)
ジェラルドは毎晩のように悪夢に苛まれて、眠れない夜を送ることになった。
「死ね」
「生きる資格はない」
「早く殺されてしまえ」
直接的にしろ間接的にしろ、ジェラルドが殺した人間たちが、夜な夜な繰り返し恨み言を吐いていく。
ジェラルドは夢の中で何度くびり殺され、焼き殺され、首を落とされたか。そのたびに全身汗まみれで目を覚ます。
ジェラルドができることといえば、夢中で仕事をこなして、眠りから逃げることだけだった。幸い新国王として、やるべき仕事はいくらでもある。時間の方が足りないくらいだった。
それでも時折、身体が疲れすぎて、意識を失うように眠ることがある。そんな時に必ずといっていいほど見る夢が、あの八年前の出来事だった。
ある日、ジェラルドはふと思い立って、クレマン・バリエ公爵を呼んだ。
イザベルの声が聞こえたのは、後にも先にもあの時だけだ。あの少女にもう一度会えば、『母の声が聞こえた』という真実も明らかになるかもしれない。彼女がバリエ家の関係者であることは確信していた。
「確か、あなたには令嬢がいたと思うが」
「ええ。もうじき十八になる娘が一人」
「一度会って話をしてみたい」
「陛下にご興味を持っていただけて、大変光栄に存じます! 我が娘を後宮に入れてくださるということでしたら、喜んで!」
(……しまった)
歓喜に小躍りしそうなバリエ公爵を見て、『そういうつもりではない』と、今更言えなくなってしまった。
そもそも国王が未婚の女性に『会ってみたい』などと言ったら、求婚の意味に取られてもおかしくないことを失念していた。
ともあれ、後宮にもう一人くらい増えてもかまわないだろうと、彼女が王宮にやって来る日を待っていた。
そして、五人目の妃ということで、金曜の夜十一時、寝室に入ってきた少女を見て、何かの間違いかと思った。
くせのある褐色の髪に、空色の瞳の小柄な少女は、「エリーズ・バリエでございます」と、スカートをつまんで優雅な淑女の礼をする。
「今宵はお召しいただき、ありがとうございます」
バリエ公爵の令嬢には間違いなさそうだ。
「髪は……染めたのか?」
「いいえ。生まれた時からこの色でございます」
初対面の最初の質問でおかしいと思われなかったのか、エリーズはほんのり恥ずかしげな笑顔で答えた。
(ちょっと待て……。ならば、あの少女は何者だったのだ?)
妃が一人増えたことで、仕事の時間がその分減る。別人だった時点で、ジェラルドは余計なことをしたと後悔しながらも、エリーズを後宮に入れてしまった以上、相手をするしかない。
それどころか、黒髪の少女のことが余計に気になって、仕事まで手に付かなくなってしまった。
『バリエ家に関係がある少女で、黒髪の者はいないか?』
バリエ公爵にそう聞けば、手っ取り早いのは確かだ。しかし、『私の娘はお気に召しませんでしたか?』と、絶望した表情を向けられそうな気がする。他の女性に興味があることは、妃の父親には言いづらいものだ。
エリーズにも同じ意味で聞くことができなかった。女性の嫉妬をあおるような言動は、面倒ごとを呼び寄せるだけにしかならない。
だからこそ、妃たち全員に対して平等に時間を作って、平等に扱っているのだ。
国王の偏った寵愛のせいで、結果、殺されてしまった母のことは忘れていない。
そもそも元聖女のナディアが後宮に入ることが決まっていたので、複数の妃を持つつもりもなかった。
この国では、新しい王が即位する時に王族から未婚の女性が一人選ばれて、次の代替わりまで、聖女として国の神事を執り行う。ナディアは五歳の時から十五年間、前国王の聖女を務めて、ジェラルドが即位した時にその任を解かれた。
元聖女は妃の待遇で後宮に迎えなければならないという国のしきたりがあるので、そのまま王妃に据えればいいと考えていた。
しかし当時は、王の代替わりだけでなく、貴族や官僚たちが粛清されて、国内は混乱していた。そんな時に隣国に攻め込まれては、ひとたまりもない。
ジェラルドの復讐のために、何の罪もない国民を危険にさらすわけにはいかなかった。
その打開策として、隣接する三国から、それぞれ王女を妃として迎えて同盟を結ぶ――つまり、人質を取ることにした。
一、二年もすれば内政も落ち着いて、三人の王女は帰国させる予定だったのに、彼女たちはどうしても国に帰るのは嫌だと言い張る。
結局、三人ともいまだ後宮に居座っているので、四人が妃になって五年が経つ。
そこへ五人目の妃を迎えることになってしまったのは、自分の失態としか言いようがない。
そのエリーズが後宮に入ってひと月ほどが経った頃、ジェラルドは廊下の窓越しに、中庭を散歩する彼女を見かけた。同時に、後ろに付き従う侍女の姿も目に入ってくる。
その瞬間、思わず窓にへばりついていた。
遠目で顔はあまりよく見えないが、緩やかに波打つ黒髪は、この国ではそうそう目にするものではない。
(間違いない、あの時の少女だ!)
「ディオン、あの侍女を呼んでくれ!」
「おや、一目惚れですか? 六人目となりますと、次の土曜になりますね」
どれだけ自分が興奮に目をきらめかせてしまったのか。ディオンが好奇な目を向けていることに気づいて、ジェラルドは自分の失言を知った。
慌てて『執務室でかまわない』と続けようとしたが、結局その言葉は胸の内にしまい込んだ。
いつ誰が入って来るか分からない執務室より、寝室の方がよほどのことがない限り、誰にも邪魔されない。内容が内容なだけに、ディオンにも聞かれたくなかった。
迎えた土曜の夜――。
『竪琴を弾けるのなら聞きたい』と言付けたおかげで、黒髪の少女は竪琴を携えてジェラルドの寝室にやってきた。
「アメリー・バリエでございます」
脇に抱えた竪琴のせいで、少しぎこちない淑女の礼だったが、侍女のものとは思えない優雅さと品があった。
つややかな黒い巻き毛が縁取る顔は、陶磁器のように白く彫が深い。濡れたようにきらめく空色の瞳が憂いを含んでいるように見えて、つい見入ってしまいそうな力を感じる。
一目惚れした、とディオンが勘違いするのも無理はない美しさがあった。
――がしかし、彼女はどこか青ざめていて、笑顔は引きつっているようにも見える。
「バリエ? エリーズの姉か妹か?」
「いいえ。エリーズの叔母でございます。父が先代当主のオーギュスト・バリエになります」
アメリーが居心地悪そうに立っているので、ジェラルドはイスを勧めて、とりあえず竪琴を弾いてもらうことにした。
最初に聞いた時から八年、やはり竪琴の腕前は上がっていて、アメリーは美しい音色を奏でる。
ただ、あの時のようにイザベルの声が聞こえてくるようなことはなかった。
曲に関係があるのかもしれないと、次の週も、その次の週も部屋に呼んで、毎回違う曲を弾いてもらった。
しかし、何も変わらなかった。
あの時に弾いていた曲でなければ駄目なのか。もう一度聞けば思い出せるはずなのに、その曲はなかなか弾いてもらえない。
やはり空耳だったと、忘れた方がいいような気がしてきた。
そもそも、死んだ母の声が聞こえたなどという話は、常識的に考えれば明らかにおかしい。誰よりも信頼しているディオンにさえ話せていないことなのだ。ましてや何を言おうとしていたのか知りたがるのは、狂気の沙汰に思えてきた。
ジェラルドは徐々に理性的に、冷静に物事を考えられるようになってきたが――。
アメリーの竪琴を聞いていると、眠くて眠くてたまらなくなる。目の前で弾いてもらっている以上、居眠りなどしたら失礼極まりない。あくびを噛み殺すのも苦痛に近いものがある。
毎回、我慢して我慢して、アメリーが部屋を出て行った後は、ベッドに飛び込む。夢も見ずに寝て、気づけば朝になっているという繰り返し。最近はすぐ寝られるように、ベッドに座って竪琴を聞くようにしているくらいだ。
(確かに週に一度くらい、悪夢に悩まされずにぐっすり眠るのも悪くないか)
ディオンの言う通り、仕事もはかどる。アメリーを妃にしたのは正解だったと、ジェラルドも認めざるを得なかった。




