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第6話 黒髪の少女

 ある日、ジェラルドはふと思い立って、クレマン・バリエ公爵を呼んだ。


 あの時の少女がバリエ家に関わりあるのは間違いない。


 イザベルの声が聞こえたのは、後にも先にもあの時だけだった。あの少女にもう一度会えば、『母の声が聞こえた』という真実も明らかになるかもしれないと思ったのだ。


「確か、あなたには令嬢がいたと思うが」


「ええ。もうじき十八になる娘が一人」


「一度会って話をしてみたい」


「陛下にご興味を持っていただけて、大変光栄に存じます! 我が娘を後宮に入れてくださるということでしたら、喜んで!」


(……しまった)


 歓喜に小躍りしそうな公爵を見て、『そういうつもりではない』と、今更言えなくなってしまった。


 そもそも国王が未婚の女性に『会ってみたい』などと言ったら、求婚の意味に取られてもおかしくないことを失念していた。


 ともあれ、後宮にもう一人くらい増えてもかまわないだろうと、彼女が王宮にやってくる日を待っていた。


 そして、五人目の妃ということで、金曜日の夜十一時――


 寝室に入ってきた少女を見て、何かの間違いかと思った。


 褐色のサラサラな髪に空色の瞳の小柄な少女は、「エリーズ・バリエでございます」と、スカートをつまんで優雅な淑女の礼を見せる。


「今宵はお召しいただき、ありがとうございます」


(バリエ公爵の令嬢には間違いないようだが――)


「髪は……染めたのか?」


「いいえ。生まれた時からこの色でございます、陛下」


 初対面の最初の質問でおかしいと思われなかったのか、エリーズはほんのりと恥ずかしげな笑顔で答えた。


(ちょっと待て……。ならば、あの少女は何者だったのだ?)






 妃が一人増えたことで、仕事の時間がその分減る。別人だった時点で、ジェラルドは余計なことをしたと後悔しながらも、エリーズを後宮に入れてしまった以上、相手をするしかない。


 それどころか、黒髪の少女のことが余計に気になって、仕事も手に付かなくなってしまった。


『バリエ家に関係ある少女で、黒髪の者はいないか?』


 バリエ公爵にそう聞けば、手っ取り早いのは確かだ。しかし、『私の娘はお気に召しませんでしたか!?』と、絶望した表情を向けられそうな気がする。他の女性に興味があることは、妃の父親には言いづらいものだ。


 エリーズにも同じ意味で聞くことができなかった。女性の嫉妬をあおるような言動は、面倒ごとを呼び寄せるだけにしかならない。


 だからこそ、妃たち全員に対して平等に時間を作り、平等に扱っているのだ。国王の偏った寵愛のせいで、結果、殺されてしまった母のことは忘れていない。


 そもそも元聖女のナディアが後宮に入ることが決まっていたので、複数の妃を持つつもりもなかった。


 新しい王が即位する時、王族から未婚の女性が一人選ばれ、以降、次の代替わりまで、聖女として国の神事や行事を執り行う。ナディアは五歳の時から十五年間、前国王の聖女を務め、ジェラルドが即位した時にその任を解かれた。元聖女は妃の待遇で後宮に迎えなければならないという国のしきたりがあるので、そのまま王妃に据えればいいと考えていた。


 しかし当時は、王の代替わりだけでなく、貴族や官僚たちが粛清され、国内は混乱していた。そんな時に隣国に攻め込まれては、ひとたまりもない。ジェラルドの復讐のために、何の罪もない国民を危険にさらすわけにはいかなかった。


 その打開策として、隣接する三国からそれぞれ王女を妃として迎える――つまり、人質に取ることを決めた。


 一、二年もすれば内政も落ち着いて、三人の王女たちを帰国させるつもりだったのだが、彼女たちはどうしても国に帰るのは嫌だという。結局、三人ともいまだ後宮に居座っているので、四人が妃になって五年が経つ。そこへ五人目の妃を迎えることになってしまったのは、自分の失態としか言いようがなかった。


 そのエリーズが後宮に入ってひと月ほどが経った頃、中庭を散歩する彼女の姿が廊下の窓越しに見えた。


 その後ろを付き従う侍女の姿が目に入った瞬間、ジェラルドは思わず窓にへばりついていた。遠目で顔はあまりよく見えないが、緩やかに波打つ黒髪は、この国ではそうそう目にするものではない。


(間違いない、あの時の少女だ!)


「ディオン、あの侍女を呼んでくれ!」


「おや、一目ぼれですか? 六人目となりますと、次の土曜日になりますね」


 どれだけ自分が興奮に目をきらめかせてしまったのか――


 好奇な目を向けてくるディオンに気づいて、ジェラルドは自分の失言を知った。


 慌てて『執務室ここでかまわない』と続けようとしたが、結局その言葉は胸の内にしまい込んだ。


 いつ誰が入って来るか分からない執務室より、寝室の方がよほどのことがない限り、誰にも邪魔をされない。内容が内容なだけに、ディオンにも聞かれたくなかった。






 迎えた土曜日の夜――


『竪琴を弾けるのなら聞きたい』と言付ことづけたおかげで、黒髪の少女は竪琴を脇に抱えてジェラルドの寝室にやってきた。


「アメリー・バリエでございます」


 竪琴のせいで少しぎこちない淑女の礼だったが、侍女のものとは思えない優雅さと品があった。


 艶やかな黒い巻き毛が縁取る顔は、陶磁器のように白く、彫が深い。濡れたようにきらめく空色の瞳が憂いを含んでいるように見えて、つい見入ってしまいそうな力を感じる。


 一目ぼれした、とディオンが勘違いするのも無理はない美しさがあった。


 ――がしかし、彼女はどこか青ざめた顔色で、笑顔は引きつっているようにも見える。


「バリエ? エリーズの姉か妹か?」


「いいえ。エリーズの叔母でございます。父が先代当主のオーギュスト・バリエになります」


 アメリーが居心地悪そうに立っているので、ジェラルドはイスを勧め、とりあえず竪琴を弾いてもらうことにした。


 最初に聞いた時から八年、やはり竪琴の腕前は上がっていて、アメリーは美しい音色を奏でる。


 ただ、あの時のようにイザベルの声が聞こえてくるようなことはなかった。


 曲に関係があるのかもしれないと、次の週も、その次の週も部屋に呼んで、毎回違う曲を弾いてもらった。


 しかし、何も変わらなかった。


 あの時に弾いていた曲でないと駄目なのか。もう一度聞けば思い出せるはずなのだが、その曲はなかなか弾いてもらえない。


 やはり空耳だったと、忘れた方がいいような気がしてきた。


 そもそも、死んだ母の声が聞こえたなどという話は、普通に考えておかしい。誰よりも信頼しているディオンにさえ話せていないことなのだ。ましてや、何を言おうとしていたかを知りたがるのは、狂気の沙汰さたに思えてきた。


 ジェラルドは徐々に理性的に、冷静に物事が考えられるようになってきたのだが――


 アメリーの竪琴を聞いていると、眠くて眠くてたまらない。目の前で弾いてもらっている以上、居眠りなどしたら失礼極まりない。あくびを噛み殺すのも苦痛に近いものがある。


 毎回、我慢して我慢して、アメリーが部屋を出て行った後は、ベッドに飛び込む。夢も見ずに寝て、気づけば朝になっているという繰り返し。最近はすぐ寝られるように、ベッドに座って竪琴を聞くようにしているくらいだ。


(確かに週に一度くらい、悪夢に悩まされずにぐっすり眠るのも悪くないか)


 ディオンの言う通り、仕事もはかどる。アメリーを妃にしたのは正解だったと、ジェラルドも認めざるを得なかった。

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