第46話 眠れぬ王の子守唄係(後編)
「アメリーから聞きました。母上が悪霊たちから私を守ってくれていたと。今こうして私が生きていられるのは、母上のおかげです。直接、感謝の意を伝えたかった」
〈その感謝を素直にうれしく受け取れる日が来るとは、思っていなかったわ〉
「それはどういう……?」
〈少し前のあなたは、生きることに喜びを感じていなかったから。あなたを生かそうとしていることは、わたしの我がままでしかないと何度も思ったわ〉
「そう、ですね……」
いつ死んでもかまわないと思っていたことも、イザベルは知っていたのだ。そんな息子でも、生きていてほしいと守り続けてくれた。
おかげで、ジェラルドはアメリーと再会することができた。
〈でも、今は違うのでしょう? 生きていてよかったと思ってくれるのでしょう? おかげで、わたしのしてきたことは無意味ではなくなったの。だから、うれしいのよ〉
言葉通り、嬉々《きき》とした想いが声に混じるのが分かって、ジェラルドも自然に笑みを浮かべていた。
「ご心配をおかけしました。母上に守っていただいたこの命、最期の時まで大切にするとお約束します」
〈ジェラルド、どうか幸せな人生を歩んで。あなたが生まれた時から、その願いだけは変わらないわ。どうか忘れないで〉
イザベルの声が急に遠ざかる気配がして、ジェラルドは慌てて辺りを見回しながら声を上げた。
「母上、天に昇られるのですか!? 心残りはもうないのですか!?」
部屋の中に竪琴の音だけが響く。
アメリーを見たが、静かな表情のまま、竪琴を弾く手を止めることはなかった。
〈不思議だわ〉
再びイザベルの声が聞こえて、ジェラルドは全身から力を抜いた。
「まだいらしたのですね」
〈いえ、天に昇ろうと思ったのよ。あなたの幸せそうな顔も見られたし、こうして直接言葉を交わせたわ。死んだ身として、これ以上の贅沢はないでしょう。これからはアメリー様がそばにいらっしゃれば、何の心配もないし――〉
「何かまだ心残りがあるということですか?」
ジェラルドが問いかけると、クスクスと笑う声が耳を震わせた。
〈人というのは、どこまで欲張りなのかしらね〉
「母上?」
〈あなたが愛する人を見つけた今、孫の顔を見たくなってしまったわ。アメリー様も後継者を望んでいらっしゃることですし〉
一瞬、竪琴の音が乱れた気がした。ジェラルドがアメリーを見やると、彼女は頬を真っ赤に染めてうつむいていた。
〈そういうわけでアメリー様、もう少しジェラルドのそばにいさせていただきますね〉
「はい」と恥ずかしそうに頷くアメリーは、どこまでも愛らしかった。
***
〈せっかくのお二人の夜を邪魔してはいけないので、わたしはお暇しますわ〉
アメリーがまだ【交霊の調べ】を弾いているというのに、イザベルの声は聞こえなくなってしまった。
『ちょーっと、お待ちください!』と、アメリーは叫びたかった。
この状況でジェラルドと二人きりにするということは、期待されているものは一つしかない。
まさかラウラの『心残り』に加え、イザベルまで同じことを望むとは。
(わたし、さっきついうっかり、『はい』なんて言ってしまったのよ!)
イザベルの声が聞こえないといっても、天に昇ったわけではない。見えないだけで、すぐそばにいるはずだ。そして、ラウラも今は黙っているだけで、事の成り行きを見守っているに違いない。
(二人のお母様たちの前でなんて、絶対無理よ……!!)
延々と竪琴を弾き続けて、とにかく時間稼ぎをするしかないというのに、ジェラルドの手がのびて、アメリーの手を押さえた。
「アメリー」
「へ、陛下、イザベル様とのお話はもうよろしいのですか!? まだ近くにいらっしゃるのですよ!」
「充分話はできた。ありがとう。感謝する」
何のてらいもない鮮やかな笑顔を向けられて、心臓がトクンと鳴る。と同時に、今の今までフル回転していたアメリーの頭はピタッと停止した。
勝手に興奮してパニックになっていたのは、自分だけ。そのことが今更ながら恥ずかしくて逃げ出したくなる。
「あ、いえ……」
ジェラルドの手を振り払うわけにもいかず、赤くなる顔を隠すようにうつむいた。
「それから、すまない。そなたが戻ってくるまでに、他の妃たちを何とかしたかったのだが……」
「そ、そのようなこと、わたしは望んでおりませんので……!!」
「分かっている。ただ、私が言いたいだけだ。そなただけを愛していると。これからもそなただけだと。その言葉に一点の嘘偽りがないことを分かってもらえるまで、態度で示していこうと思う」
「……あ、あの、陛下のお気持ち、それだけで充分うれしく思っておりますので……」
「それならよかった」と、ジェラルドはきれいな微笑みを浮かべた。
熱のこもった眼差しに魅入られて、彼に触れたい、もっと触れられたいという欲求が高まるのを感じる。
アメリー自身、初めてこの人の『正式な妃』になりたいと思った。
(ああ、これが『心の準備』というものなのかしら?)
「アメリー、今夜も竪琴を弾いてくれるか? そなたのいなかったひと月の間、すっかり寝不足になってしまった。今夜はゆっくり眠りたい」
(……はい?)
早々にベッドに潜り込むジェラルドを見て、アメリーは束の間、唖然としてしまった。
(わたし、ちゃんと『うれしい』ってお返事したわよね? そうしたら、ベッドに誘ってもらえるのではないの?)
何かが足りないような……と、その時ようやく『胸に飛び込む』が足りなかったことに気づいた。
とはいえ、今日のところは残念に思うより、『助かった』という思いの方が強い。
(またお母様にお説教されるのは分かっているけれど――)
せめて二人の母親が雁首そろえて覗き見ているイメージが頭から消えてくれるまでは、ただの子守唄係でいたいと思う。
「――かしこまりました」
アメリーは【ゆりかごの調べ】を奏でながら、子どものように安らかな寝息を立てるジェラルドを見守った。
次話、エピローグで最終話となります。
最後までどうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>




