第45話 眠れぬ王の子守唄係(前編)
アメリー視点でスタートです。
どれだけゆっくり悪霊を天に送っても、終わりは来る。ジェラルドにあとひと月ほどかかると告げておいた通り、その頃にはアメリーがリュクス大聖堂の墓地で呼べる魂はもういなくなっていた。
残るは王宮の墓地のみ。アメリーは王宮に戻る日を迎えた。
王宮に到着したのはお昼過ぎで、護衛の近衛騎士たちには、まずジェラルドの執務室に案内された。
「ただいま戻りました」
ジェラルドに会ったらどう返事をしようかと頭を悩ませてきたが、今優先すべきことは、イザベルの声を聞かせること。そのために里帰りまでして、ジェラルドに憑く悪霊たちを祓ってきたのだ。
(後継者作りは後回し、なんてお母様には言えなかったけれど)
おかげで気持ちも切り替わって、こうしてジェラルドの前に立つことにも気持ちに余裕が持てる。
竪琴を脇に抱えて淑女の礼で丁寧に挨拶をしようとしたところ、いつの間にか近づいていたジェラルドに右手を取られた。
(え、なに!?)
いつもと違う行動に、アメリーが驚いて見上げると、その手の甲に口づけを落とされた。
温かい唇とかすかな息が触れて、身体がむず痒いような感覚に襲われる。危うく『ひゃっ』と変な声を出してしまうところだった。
「戻ってくるのを待っていた」
顔を上げたジェラルドは、ぎこちないながらも口元に笑みを浮かべていた。
至近距離で見つめられると、胸が張り裂けそうなほどドキドキしてしまって、この手を振り払って逃げたくなる衝動に駆られる。しかし、今日は足を踏ん張って、一つ深呼吸することで自分を抑えた。
「その……お待たせいたしました。あとは王宮の墓地に眠っている方たちを祓うだけとなりました。終わり次第、陛下はイザベル様とお話ができるようになると思います」
ジェラルドの身体が緊張したようにピクリと反応した。
「そうか……。いよいよなのだな」
「はい。その時が来ましたら、お知らせいたします」
***
アメリーが王宮に戻って三日ほどで、『すべて終わりました』と、ジェラルドのもとに報告が入った。
後宮でも竪琴を自由に弾けるようになった今、アメリーがジェラルドの寝室にいなければならない理由はなくなった。おかげで、「後宮のお部屋が慣れていますから」と、寝室で生活することは一度もなく終わった。
逆に、もっと一緒にいる時間が欲しいと、アメリーが言ってくれることを期待していたのだが――
相変わらず彼女からのアプローチはなく、残念な思いをしている。
もっとも、もうすぐイザベルと話ができると報告を受けていたので、そちらの方が気になっていた。アメリーと一緒に過ごしていても、楽しい時間になったのかは分からない。
アメリーの方はいつでも良いと言っていたので、次の土曜日の夜、寝室に来てもらうことにした。その日はいつもの十一時ではなく、夕食の後。時間はゆっくりあった方がいいだろう。
部屋に入ってきたアメリーをイスに座らせ、ジェラルドも向かい合うようにベッドに腰を下ろした。
「それでは早速弾かせていただいてよろしいでしょうか?」
アメリーが言いながら竪琴を膝に乗せ、弦に手を添える。ジェラルドは緊張で膝の上に握った両手が冷たくなるのを感じた。
一つ深呼吸してから、頷いた。
「頼む」
八年前、ジェラルドがリュクス大聖堂の墓地で耳にした曲が静かに響き始めた。耳障りでおかしな曲。今まで聞いてきた彼女の演奏と比べると、わざとヘタクソに弾いているのかと思ってしまう。魂になるとこんな調べが耳に心地よく聞こえるのかと、不思議な気分にもなる。
「静かになりましたね」
アメリーは口元にほんのりときれいな笑みを浮かべていた。
ジェラルドがここで初めて【交霊の調べ】を聞いた時、竪琴の音など全くしなかった。ひどい騒音の中に放り出されたようで、苦痛でしかなかった。
最後に聞いた時は、それでも音色は聞こえるようにはなっていたが、そこには悪霊たちの『殺せ』、『死ね』という大きな叫び声がかぶっていた。アメリーとセリーヌの会話を必死に聞き取らなければならない中、竪琴の音にまで注意を払う余裕はなかった。
「ようやく竪琴の音だけ聞こえるようになった」
少なくとも今の時点で、ジェラルドを呪う悪霊たちはすべて天に送られたのだ。
「では、イザベル様、陛下とゆっくりお話しください」
アメリーがどこともなく声をかけた。と同時に、ジェラルドは自分を呼ぶ声が聞こえ、ドキリと心臓が鳴った。
〈ジェラルド〉
透明感のあるやんわりとしたきれいな声――生まれてから数えきれないほど呼びかけられた名前。聞き間違えようがなく、イザベルのものだった。
「母上……?」
〈こんな風にあなたと言葉を交わせる日が来るなんて。なんだか不思議だわ〉
どこから聞こえるのか分からない。竪琴の音色に混じって、周りの空気そのものが震えているように感じる。おかげで、ジェラルドはどこに向かって話しかけていいのか分からなかった。黙って竪琴を弾いているアメリーに声をかけるのが、一番自然な気がした。
「母上は八年前も私を呼んでいた。何を伝えたかったのか、ずっと気になっていました。改めて聞いてもよいですか?」
ほんの束の間の沈黙が走る。何か考えているのか、それとも口にするのをためらっているのか――。
〈あまりに昔のことで、忘れてしまったわ。何を言おうとしていたのかしら〉
嘘だろうとは思ったが、ジェラルドはあえて問い質しはしなかった。魂となったイザベルが伝える必要のないことだと思うのなら、生きている自分から問うのは間違っている気がしたのだ。
「それなら良いのです。私もただ母上にひと言伝えたくて、こうして話をさせてもらっているだけですから」
〈あなたが言いたいことは知っているけれど、せっかくだから直接聞いた方がいいのかしらね〉
かすかに笑みの含まれる声が返ってくる。ジェラルドも今更ながらそれがおかしくて、声を漏らして笑いそうになっていた。
魂となってそばに居続けたイザベルは、ジェラルドのすべてを見てきたのだ。何を考え、何をしてきたのか。どうしてアメリーに頼んでまで、イザベルと直接話をしたがっていたのか。
本当はこうして話をする前に、イザベルはすべて知っていたのだ。
後編に続きます≫≫≫




