第44話 ジェラルド王の気遣いと気持ち
アメリー視点でスタートです。
再びバリエ家に戻ってきたアメリーを待っていたのは、覚悟をしていたとはいえ、ラウラのお説教だった。それも、近年まれに見るほどの怒り様。木製の簡易な造りの離れは怒鳴り声に揺れ、崩れ落ちるのではないかとひやひやする。
〈せっかく陛下の方から、あなたに子どもを産んでほしいと申し出てくださったのよ! どうしてそこでひと言『うれしいです』って、胸に飛び込んでいかないの!? それともうれしくなかったの!?〉
「う、うれしくないはずがないわ! わたしもお返事しようとは思ったのだけれど、タイミングを逃してしまったというか……」
〈まさか他のお妃様たちが後宮を出るまで、返事を先延ばしにするつもりではないでしょうね?〉
アメリーはそのつもりだったのだが、ここで肯定したら、ラウラの怒りはさらに膨れ上がってしまいそうだ。
「そ、そのようなはずがないでしょう。あの時は陛下もお疲れのようだったし、ゆっくりお休みになった方がいいと思っただけよ」
そこは嘘ではないので、アメリーもためらいなく答えられる。ジェラルド自身が寝不足を自覚していたこともあって、竪琴の音に大した念を込めなくても、深い眠りに落ちて行った。
代わりに完全に寝不足になったのは、アメリーの方だ。ベッドは二人寝ても余るくらいに広いものの、隣に潜り込む勇気はない。ベッドの傍らに座ったまま、うたた寝を繰り返し、日の出とともに馬車を手配してもらって帰ってきたのだ。
〈そういうことなら、次にお会いする時には、正式な妃になるということでいいのね?〉
「もちろんです!」
ラウラの怒りを鎮めるには、そう言うしかなかった。
そういうわけで、アメリーはその翌日から再びリュクス大聖堂に通って、悪霊祓いの毎日を送っている。
しばらくして送られてきたサラの定期連絡によると、マレナは先日の一件で、後宮の一室に幽閉されることになったという。外に出ることは許されず、もちろんジェラルドに会うこともない。未遂とはいえ、アメリーと国王を殺そうとした処罰としては、ずいぶん軽く済んだということだった。
ジェラルドもマレナに憑依した悪霊の仕業だったことを知っているので、厳しい罰までは与えられなかったと思われる。アメリーが残りの悪霊たちを天に送るまで、接触は控えた方がいいと忠告したせいもあるかもしれない。
(なんだかマレナ様には悪いことをしてしまった気がするわ……)
その他の四人の妃たちについては、その後も変わらず後宮で生活しているらしい。唯一変わったことといえば、夜のお召しの代わりに夕食を共にするようになったということ。
(これはつまり、わたしに気を遣っているということなのかしら……)
だからといって、アメリーの方から『他のお妃様たちがいてもかまいません』と申し出るのはためらいがある。誠実であろうとするジェラルドの好意を踏みにじるような気がするのだ。
(王宮に戻るのは、もう少し様子を見てからでも遅くはないわよね)
そんなことを思うと、悪霊を祓うのもゆっくりになってしまう。
『一日も早く王宮に戻れるように、さっさと悪霊祓いを終わらせなさい』と、ラウラはそれこそ口を酸っぱくして繰り返しているのだが――。
***
「間に合わなかった……」
ジェラルドの大きな吐息が、デスクの上に置いた手紙をふわりと浮かせる。
『大聖堂の方の悪霊はすべて祓い終えました。明日には王宮に戻ろうと思います』
待ちに待ったアメリーからの報告なのだが――。
「おや、せっかくのアメリー妃からのお手紙なのに、何か不都合なことでも書かれていましたか?」
執務室の書類を片付けていたディオンが好奇な視線を向けてくる。
「いや。明日には戻るそうだ」
「それはよかったです。アメリー妃がいないと、陛下の片付けられる仕事の量が激減しますからね」
「そうでなくても、片付かない問題だらけだからな……」
「マレナ妃の処遇はあれでよかったと思いますが。マレナ妃にセリーヌ前王妃が憑りついていた、しかも陛下を恨んでのことだった、などと正直に公表したら、大騒ぎになるところでしたし」
その事実を知らなければ、マレナはルクアーレ国王を襲った大罪人。国に仇なす存在として、即刻処刑を言い渡すところだった。ガルーディアの王女という身分を考慮しても、国外追放はまず免れない。
ジェラルドもできることならばそうしたかったが、マレナはアメリーがイーシャ族の末裔だと知っている。そんなマレナを野放しにしておくくらいなら、目の届くところに置いていた方が安全だと判断したのだ。
そこで、マレナとは一つ取引をした。処刑も国外追放もしない代わりに、アメリーをイーシャ族の末裔だと思い込んだと告白すること。自分が呪い殺される前にアメリーを葬ろうとしたと。
アメリーの言葉を借りれば、イーシャ族の末裔であることを証明できるのは死者の魂のみ。マレナも夢の中で知ったとしか言いようがない。公の証言としては認められないものだ。
もともと狂言や妄言の多かったマレナだっただけに、周りは『またか』と肩透かしを食らう結果となった。
今ではもう、アメリーが『呪いの竪琴』を弾くなどと、誰も信じていない。そして、幽閉措置が取られたマレナは、国王暗殺未遂犯ということで、今や話題にも上らない存在になっている。
「確かにマレナは実質の離縁と同じだから問題はないのだが、他の妃たちがな……」
アメリーをたった一人の妃にするため、ジェラルドは早速他の妃たちにもその旨を宣言した。
アメリーを王妃とするにあたって、今後、寝室に呼ぶことも、二人きりで会うつもりもないと。
リーゼルとテレーサからすれば、そんな後宮にいるより、国に戻ってしかるべき相手のもとに嫁ぐ方が幸せだと思ったのだが――
『陛下にお会いできなくなるのは嫌でございます。陛下が王妃を決められても、側室としてこの先もおそばに置いてくださいませ』
『わたくしはこの国に骨を埋める覚悟で参りました。今更、国に戻りたいなどと思いません。側室として、後宮の片隅に住まわせていただければ、それで充分でございます』
三年前に離縁を言い渡した時は、王妃も決まっていない状態で、妃たちの立場は同等だった。未来の可能性にかけて、居座るのも不思議はない。しかし、誇り高い王女たちが、まさか側室でもいいから置いてくれと言い出すとは思ってもみなかった。
ナディアは国のしきたりで妃になった身。元聖女はもともと何歳であっても後宮に迎えなければならないので、追い出すことはかなわない。もっとも、そういう経緯で後宮に入るので、必ずしも夫婦の関係は必要ない。
「形だけでも陛下の妻でいたいのです。陛下のお気持ちがわたくしに向けられる日が来ることを気長に待っておりますわ」
――と、余裕な返事が戻ってきた。
まだ十八と若いエリーズこそ、このまま愛されることのない後宮にいる意味はないだろうと思ったのだが、逆に強気に出られた。
「寝室が駄目だとおっしゃるのでしたら、一緒にお食事はいかがですか? アメリーとできない話も中にはございますでしょう。わたしはそういう側室でかまいませんの」
普段はいがみ合っている妃たちが、この時ばかりは一致団結して、寝室での一時間の代わりに夕食を共にとることを要求してきた。場所は食堂になるので、二人きりというわけでもない。ジェラルドとしても穏便に済みそうなこの案を受け入れるしかなかった。
今では夜七時に食堂に行き、日替わりで妃たちと食事をとっている。仕事の効率を考えれば、ただ一時間会話だけをしているよりは悪くない。仕事の片手間に食べるより、食事というものも大事にできる。
ただ、アメリーに『すべてが片付いた後、気持ちを聞かせてほしい』と言ったものの、ほぼ――何も片付いていない。
「明日、アメリーとどのような顔で会ったらよいのか……」
「別にいつも通りの顔で良いと思いますが。そもそもアメリー妃の方から、自分だけを妃にしてほしいと言ってきたわけではないのでしょう?」
「そういうことを言う女ではない」
「それならば、他の妃たちのことなど気にせず、アメリー妃を王妃にすればいいだけのことです」
「それでは私の気持ちが収まらないというか……。私が彼女だけを愛していると言っても、他に妃がいる状態では、嘘とまでは言わなくとも、真実味が伝わらないだろう?」
「愛は言葉だけではなく、態度でも示すものだと思いますが。言葉だけで伝えようとするから、嘘くさくなるのではないですか?」
「……ほう、なるほど。態度とは例えば?」
「私に聞かないでください。そういった経験は皆無ですので」
ディオンはニコリと笑って、どさっと書類をデスクの上に置いた。
「陛下がお悩みの間も、時間は刻々と過ぎて行っています。やるべき仕事をされていれば、アメリー妃のことを考えている間もなく、明日はやってきますよ」
その時初めて、ディオンのこめかみに青筋が立っていることに気づいた。
(怒っていたのだな……)




