第36話 伴侶
アメリー視点です。
「アメリー様、お待ちください! お一人で歩かれては困ります!」
アメリーは王の寝室を出て、廊下をひたすらに進んでいたが、腕を掴まれたところで、ようやく我に返った。足を止めて振り返ると、寝室まで案内した女官が息を切らして立っている。
「あ……ごめんなさい。帰る時はベルを鳴らさなくてはいけなかったのだわ」
「陛下と何かあったのですか?」
「な、なな、何かって……!? 何もないわよ! あるわけないわ!」
そう答えながら、アメリーは自分でも顔が真っ赤になるのが分かった。
先ほどまでジェラルドの胸にしがみついて泣いていた自分が思い出され、恥ずかしさで頭がおかしくなりそうだ。
しかも、純粋にジェラルドの命を守りたいと思って口にした言葉が、『後継者が欲しいから』などと勘違いされてしまった。あのままベッドに連れ込まれるのではないかと思って、頭は完全にパニック。そのまま我を忘れて逃げてきてしまった。
(……あら? おかしい? 陛下は別に間違ったことは言っていなかったわよね?)
あの時、どうして『勘違いされた』などと思ってしまったのか――。
「何もないのなら良いのですけれど」
女官が笑いを押し殺しているような顔で頷くので、アメリーはきまりが悪く、目をそらすようにうつむいた。
その視線の先に竪琴を見つけて、アメリーは慌てた。
いつもの習慣で、うっかり竪琴を持ってきてしまった。今はジェラルドに預けているものだ。
「これ、返しに行かないと……」
「お戻りになりますか?」
「行かないとまずいわよね……?」
正直、今ジェラルドと再び顔を合わせるのは気まずい。できれば、寝室を去っていてくれていたらよかったのだが、ノックの音に応答がある。
「誰だ?」
「アメリーです。竪琴をお返しに……」
「入れ」と、声がかかるので、アメリーは開いてもらった扉から再び王の寝室に入った。
ジェラルドは珍しくベッドに転がっていたようで、扉が閉まると同時に身体を起こした。
「戻ってきてくれてよかった。話の途中で勝手に出ていくな」
不機嫌そうな顔を向けられ、アメリーはとっさに頭を下げていた。
「も、申し訳ございません! お話が途中だったのですね! 何でございましょう!?」
(この人、さっきまで泣いていたわたしを慰めてくれていなかった?)
あれは別人だったのではないかと思うほど、いつもと変わらない硬い表情のジェラルドに戻っている。
「アメリー、しばらく実家に帰るか?」
そのひと言に、アメリーは頭から冷や水をかけられたような気分になった。
「それは……離縁の遠回しなお言葉でしょうか?」
少し前ならば喜ばしい提案だったはずなのに、実際に言葉にされると、意外なほどに胸が痛む。
(どうして……? わたしはこの人に会えなくなるのが嫌なの?)
「どこをどう解釈したら、『離縁』などということになる? そなたは離縁したいのか?」
ジェラルドの眉間には深いシワが刻まれ、不機嫌を越えて明らかに怒っている。
「ま、まさか。そのようなことを思ったりいたしません! ええと……なぜ突然そのようなお話になったのか、お伺いしたいところなのですけれど」
「変な勘違いをするから、話が進まないではないか」
ジェラルドがぶつぶつぼやいているのは、聞こえなかったフリをする。
「とにかく、そなたがイーシャ族の末裔だという話はすでに広まっている。少なくとも騒ぎが落ち着くまで、竪琴には触れない方がいいだろう」
「はい……」と、アメリーはつぶやきながら視線を下げた。
「しかし、こうして私が竪琴を預かっていると、そなたの命が脅かされる。それくらいなら、竪琴とともに実家に帰った方がいいのではないかと思ったのだ。そなたはどう思う?」
「そうですね……。このままわたしがここにいて、他の方たちのご迷惑になることは避けたいですし。それがよろしいかと」
(でも、一度ここを出たら、また戻ってくる日は来るの?)
戻ってきたとしても、今までのように竪琴をそばに置いておくというわけにはいかないだろう。竪琴が手元にないのは、やはり不安になる。そう考えると、後宮には二度と戻らないつもりで里帰りをした方がいい。
そう思っても、離縁は嫌だと思う自分が生まれていた。
(まだ後継者は生まれていないけれど、いつの間にかこの人が『伴侶』になっていたのだわ……)
「アメリー、一つ言っておくが――」
声をかけられてジェラルドを見ると、あらぬ方を向いて、気まずそうにコホンと咳払いをしていた。
「何でございましょう?」
「そなたが大聖堂に行きたいというから、里帰りを提案しただけだからな。そうでなかったら、今日からでもそなたの部屋がここになっていただけだ」
「ええと……?」
意味が分からず、アメリーは首を傾げた。
「そなたも竪琴と一緒にここで生活すればいいと言っている。妃たちに会う時は、私が後宮へ行けばいいだけの話だ」
「それって……」
意味を理解して、アメリーの顔は火照った。
(昼も夜も陛下といつも一緒にいるっていうこと!?)
ほとんどの時間、ジェラルドは仕事をしているだろうし、毎晩のように他の妃のもとへ行くのだろうが――
サラの言っていた『特別扱い』の意味が、アメリーも初めて理解できた気がした。
「だから、外での用事が済んだら、必ず戻って来い」
「はい」
アメリーは込み上げるうれしさに、思わず笑顔で返事をしてしまい、恥ずかしさに余計に赤くなっていた。
里帰りが決まると、アメリーはその日の夕方、バリエ公爵家に向かうことになった。外出の許可が下りるのに一か月もかかるというのが、嘘のような速さだ。さすが、国王直々の命令といったところか。
もっとも、翌日でもよかったところをその日のうちに王宮を出たのは、アメリーが強く願い出たからだった。
(だって、そうでなかったら、今夜は陛下の寝室に泊まらなくてはならないところだったのよ!)
嫌ではないが、心の準備をするにはあまりに時間が足りなさすぎる。
(次に王宮に戻ってくる時には、心の準備もしておこう)
アメリーはそんなことを思いながら、馬車の中から雨上がりの夕日に染まる王宮が遠ざかっていくのを眺めていた。




