第17話 聞きたい声は聞こえない(後編)
「陛下のお気持ちは分かりました。ただ、大変申し上げづらいのですが、今の陛下にはイザベル様のお声は届かないのです」
アメリーは竪琴の調律を変えて、【交霊の調べ】の一節をかき鳴らした。ジェラルドの顔が苦痛に歪むのが見えて、すぐに手を止める。
騒音がやむと、ジェラルドは表情を緩めてアメリーを見つめてきた。
「これは何なのだ?」
「陛下を恨む魂たち――悪霊たちの叫びです」
「なるほど、私は悪霊憑き――呪われているということか」と、ジェラルドは皮肉げな笑みを見せた。
「悪霊は普通の魂に比べると、声が大きいのです。陛下がイザベル様のお声を聞くためには、この悪霊たちを先に天に送る必要があります」
「そなたはそれができるのか?」
「はい。そのためには、わたしが悪霊たちを天に送っている間、陛下が先ほどの音に耐えなければなりません」
「どれくらいの時間がかかる?」
「今のところは五分程度といったところでしょうか」
「思ったより長くないのだな。母と言葉を交わせるというのなら、その程度は我慢してみせよう」
毅然と答えるジェラルドの目に、揺らぎはない。おそらくそれくらいの精神力はあるのだろう。イザベルに守られているとはいえ、これだけの悪霊に囲まれていても、今まで命をつないできた人だ。
とはいえ――
「あいにくですが、その五分でどれだけの悪霊を天に送れるかは分かりません。一度で済めば話は早いのですが、悪霊たちがどれほど陛下に執着しているかによって、もっと長い時間が必要になる場合もあります」
「ならば五分と言わず、必要なだけ時間を使えばよい」
「そうしたいところですが、残念ながら今の陛下では、五分が限度なのです」
「五分以上、私が耐えられないとでも?」
みくびるなと言わんばかりに睨まれたが、アメリーはゆっくりかぶりを振った。
「今、陛下の心身を悪霊たちから守っているのは、イザベル様です。イザベル様まで天に送ってしまわないためには、その間、離れていていただく必要があります」
「つまり、母が五分以上離れていられないということは――」
「イザベル様の守りがなければ、陛下のお命はないということです」
ジェラルドの表情がかすかに青ざめるのが分かる。あと五分で死ぬと宣告されたも同然なのだ。どれだけ自分が死のそばにいるのか知って、恐怖を感じないはずがない。
「陛下がイザベル様のお声をお聞きにならなくても良いとおっしゃるのなら、わたしは今すぐにでも悪霊をすべて天に送りましょう。陛下のお命を脅かす者はいなくなります。それでも、あえてイザベル様のお声を聞きたいと望まれますか?」
両手をひざの上で組み合わせるのが、ジェラルドの考え込む時の癖らしい。アメリーは黙って待ってみたものの、彼の口が開かれることはなかった。
「陛下、答えは今すぐでなくても良いのです。ゆっくりお考えください。わたしがイザベル様から頼まれたのは、陛下を救ってほしいということだけですから」
「母はそのようなことを願ってくれたのか……」
ジェラルドが手で目元を覆うのを見て、アメリーはそっと視線を下げた。
「……すまない。考える時間がほしい」
「かしこまりました」
「今夜は気が高ぶって眠れそうもない。竪琴を弾いてくれないか?」
「曲は何でもよろしいのですか?」
「よく眠れそうなものを頼む」
ジェラルドがベッドに入る間に、アメリーは調律を元に戻して、それから【ゆりかごの調べ】を奏で始めた。
(ああ、またお母様に叱られるわ)
それでも、ジェラルドが悪霊たちに抗うためには、深い眠りも大切になる。イザベルの守りがあっても、彼の身体そのものが弱っていたら、悪霊たちに対抗することはできない。今は少しでも、身体を健康に保つ方が先だ。
アメリーが後宮の自室に戻ったのは、午前一時近かった。
ベッドの上で【交霊の調べ】を弾き始めれば、ラウラの『どうして誘われたのに、拒否するの』から始まるお説教が続く。
次の日でもよかったのだが、昼間はマレナの耳がどこにあるか分からない。【交霊の調べ】は弾かない方が危険は少ない。
なので、今夜のうちにラウラには言いたいだけ言わせて、アメリーはさっさと寝ようとしていたのだが――。
彼女が聞き捨てならないことを言い出した。
〔そうやって考えさせている間に、陛下が亡くなってもおかしくないのよ。寝かせている場合ではないでしょうが。先に搾り取るだけ搾り取って、後継者を作りなさい!〕
「し、搾り取るって……?」
あまりにえげつない発言に、アメリーは目を剥いた。
〔だいたい、八年も陛下にへばりついていた悪霊たちよ。五分やそこら【鎮魂の調べ】を聞いたところで、天に昇ってくれるわけがないでしょう。しかも、あーんなに山ほど。イザベル様と一緒に送るにしても、先に彼女が天に昇ってしまったら、それこそ陛下はその場でコロッと亡くなってしまうのよ〕
「そ、そうかもしれないけれど……」
〔アメリー、お願いだから自分の立場というものを忘れないで。こんな危険を冒している場合ではないのよ〕
ラウラの声にはじれったさがにじんでいる。
「わたしの立場?」
〔もしも失敗して、陛下が亡くなるようなことがあったら、もう二度と結婚は望めない、という立場よ〕
「え、妃って、国王と死別したら、結婚できないの?」
アメリーが半信半疑で問うと、ラウラの〔はぁっ〕というため息のような声が聞こえた。
〔違うわ。あなた、オーギュストのせいで『悪霊憑き』になったことを忘れたの? これで陛下まで亡くなったとなれば、もう誰も結婚しようとは思わないでしょう〕
アメリーもようやくその意味を理解した。
婚約者を二人失って、さらに妃になって半年余りで相手が死んだとなると、ラウラの言葉通りの未来しか見えない。
〔あなたにはもう陛下しかいないの。陛下に後継者を作ってもらう以外に道はないのよ〕
ラウラは簡単に言ってくれるが、どうもそういう状況になると、身体が拒否反応を示してしまう。無自覚に逃げてしまうらしい。
(別に嫌だと思ったことはないのだけれど……どうしてかしら?)
「お母様には申し訳ないけれど、やはり後継者はあきらめてもらうしか――」
そこからいつもの堂々《どうどう》巡りが始まって、ラウラが落ち着いてアメリーがベッドに入れたのは、東の空が白み始める頃だった。




