招かれざる客 1
(久しぶりの洗濯日和……ここのところずっと曇りだったから助かるー。)
すっかり着こなし慣れたメイド服は、この屋敷の中では私の戦闘服。
今日は思い切って全部洗ってしまおうと、朝から家中のベッドのシーツを剥がして回って、それも含めてすっかり洗い終わった洗濯物を籠に詰め詰め、庭の物干しへと駆け足で向かう。
今日は干さなきゃいけないものがいっぱいある。急がないと。これが終わったら屋敷の掃除をして、それが終わったら昼食の準備もある。お昼まで、今日の午前に休憩はないかなーと思いながらも、労働の充足感に浮かぶ汗は心地よかった。
お昼はどうしようか、ああ、そういえばサクラ姉様は、今日は屋敷の裏に耕した畑の仕事。おそらく収穫した野菜を抱えてお昼前には一旦お屋敷に戻るはずだから、その内容で献立を考えようか。
時には今日みたいに忙しい日もあるけど、朝には毎日洗濯が終わった清潔な服を身にして、三食ちゃんとお腹いっぱい食べられて、身体を清めるためにお風呂にも毎日入れて、その後身を休めるための寝床は、風雨を恐れなくていいどころか、私のためだけの個室。
生活の合間合間に、生きるための手段を増やすための勉強や教育の時間もある。
こんな良い生活が送れるのはこの国では貴族の令息令嬢くらいではないか。
逃げ込んで流れ着いた先の薄汚いスラムでは日銭を稼ぐだけが精いっぱいで、薄汚れたまま姉と抱き合って眠りながら、病に怯え、15の誕生日を迎えて成人することはもうないだろうと絶望していたあの頃を思うと、今の自分の境遇は幸せすぎて罰があたりそうなほどだ。
「グーチョキパーで」
「ぐーちょきぱーでー」
「何作ろうー。」
「何つくろー。」
シーツに皺ができないように広げていると、庭の東屋から呑気な歌声が聞こえてきた。
私にこの生活を提供してくれた恩人が、妹のクリス様と楽し気に戯れているようだ。今年で9歳になるクリス様がする遊びにしては子供じみているが……。魔女様。そう呼ばれる事もある、私、マルメロの主様は、嫌な顔一つせず、笑顔でそれに付き合っているようだ。
今はクリス様のお勉強の時間のはずで、席に着いたクリス様の前のテーブルには教材も並んでいるから、多少脱線でもしているのだろう。傍らで給仕の役を務めている、燕尾服を身にした狼の獣人……ルーナ様も何も言わず静かに二人を見守っている。
更にその後ろでは、神狼であるガルム様が丸まり寝そべりながら、欠伸を噛み殺していた。
聖なる獣である神狼の加護で、雪と氷に覆われた森の中としてはここは特別な聖域として、陽だまりを楽しめる場所ではあるが、それでも、毎日がご機嫌な陽気とまではいかない。
せっかくの日差しの良い日よりは本当に久しぶりなのだ。
皆して日光浴も兼ねているのだろう。平和な、今日も何気ない日常が流れていく事を予感させる、何の憂いもない朝の一幕。
「右手はぐーで、左手もぐーで。」
軽快に歌いながら、クリス様が手を犬の前足のように丸め、横に揺らしながら顔の上に丸めた拳を持ち上げ。
「姉様に突然お風呂って言われて驚いて立ち上がったガルム様。」
それを見た瞬間、主様とルーナ様が思い切り噴き出し、私もつられて噴き出してしまった。
「クリス……!?」
それには、日向ぼっこで丸まっていたはずの、当のガルム様が思わずのそり、身体を起こした。
「いや、魔女……殿……?」
よほどツボに入ったのか、珍しく大口を開けて笑う主様にガルム様が威嚇するように低いうなり声を伴ってゆらり、顔を彼女に寄せた。
もっとも、そんな威嚇など主様にとってはどこ吹く風なようで、笑いすぎて出た涙を指先で拭いながら、ゆっくりと振り返る。はいはい何ですか。とでも言いたげに。
「あの、魔女殿、わかっておるか……お主、クリスに、我を何だと教えておるのだ……?」
結構なお怒りが見て取れるが、主様は、あろうことか。
冗談めかせて、さっきクリス様がしてみせたように、自身も拳を犬の手のように丸めて、頭の上にひょこりと持ち上げた。
その仕草自体は、主様のお可愛らしい容姿も相まって、思わず頬が緩むような愛くるしいものだが、これはもう、完全に解ってる上で放った挑発。その仕草を見て、ルーナ様が耐えきれずにもう一度吹いて、思わず口を押えながら横を向いてしまった事も、ちょっと今は間が悪い。
案の定ガルム様が大きく口を開いて吠え始めた。
「お前お前お前ー!もうこれ、完全に不敬じゃぞ!いい加減神罰不可避じゃが!?それに伴い感じて?命の危機!ここのところ、我に対するお主の信仰、もはや足りてないどころか無じゃわ!それでも、まぁお主だけならまぁまだお主は手遅れと諦めもつくわ!クリス!お前までこの愚姉の悪い影響を受けるでない!ああもう、すっかりこの阿呆に毒されおって……!」
「貴方がお風呂って言われただけで伸びるほど立ち上がるのは、私がクリスに吹き込んだわけではなく、クリスが自身が目撃した事実でありますから、私が施した教育とは関係はない話であると存じます。」
あ、久しぶりに始まった。と二人の様子に、懐かしささえ覚えた。私がガルム様と魔女様に初めてお会いした時も、ああして喧嘩してた事を思い出す。
「お主、なんか我に対して、仕事に出てる間に娘に旦那の悪いところ吹き込んで娘を自分の味方につけようとする毒妻みたいなムーブしてない!?何我お主に嫌われてるの?いやお主はもうええわ!クリス、クリスだけは、我の……。」
「お待ちください、貴方の娘という立ち位置なら歓迎ですが、妻とは何でしょうか。正直ちょっと引いたのですが。そもそも、仕事に出る旦那を気取るのでしたら、ちょっと森にでて鹿でも狩って来ていただけませんか?ついでにそうする必要があるほどには、貴方は家では一番食料の消費が多いことも自覚していただけると大変助かります。」
「妻は物の例えじゃろうに!我こそ、お主が小生意気な娘っ子とでも思えば我慢もするが、こんな奥方頼まれてもいらんわ!それに、狩ってこいって何じゃ!神である我を顎で使うとは無礼がすぎる!我はそもそも貢がれる立場だし!我の食い扶持は眷属どもが喜んで稼いでおるし!我のおかげで、あの銀狼たちは文句を何一つ言わずにお前のような奴にけなげに付き従っておるのだぞ!その辺に対する感謝とか、どこへ落としてきたのだお主は!」
「クリス。クリスの未来の旦那様には、絶対にこんな口だけ偉そうで自分では何もしないダメ男を選んではだめですよ。これを反面教師と呼びます、覚えていてください。」
「そもそも狩りをしたらしたで、口元が血で汚れたと言って我を風呂に放り込もうとするのはお主じゃから控えとるんじゃろうに!!その汚いものを見るような目をやめろおおお!ルーナ、お主からも言ってやってくれええええええ……!」
「マーナガルム様。父親を前にした年頃の娘とは大概このようなものです。正面から口を聞いている時点でそこに愛情はあります。寛大に受け止めお見守りください。」
「年頃のとか……100近いくせにっ……!うごごごごごごおおおおっ……!」
「貴方の御年に比べたら100くらい小娘同然ですよ?」
結局言い負かされるのはいつもガルム様。そろそろ父娘漫才もおわりかなと、笑いながら遠巻きに眺めていたところ。
「大丈夫、私はちゃんとガルム様の事を尊敬しております。お屋敷の周りだけは、森と違って日差しが届くのは、ガルム様がこの地をその偉大なお力で守っているからだと、ちゃんと、感謝を日々忘れないようにって、姉様からいつもそう教わっています。」
クリス様は席を立ち、そう言いながら主様へ目線を合わせるために下げていた彼に近寄ると、その頭を、よしよし、と撫でまわしていた。
え、え、と、クリス様と主様を交互に見比べるガルム様の目元は少し涙ぐんでいるようにも見える。
主様はそんなガルム様に、そういう事ですよ、と一言告げてくすくすと笑っていた。
「それにさっきのも、あの時のガルム様、すごく可愛かったから印象に残ってたんです、気を悪くしてたらごめんなさい。」
「クリスうううう!やっぱり我の味方はお主だけじゃああああ!!」
「ガルム様、つめたい、お鼻つめたいよーっ。」
クリス様は、ガルム様に甘えるように顔を擦り付けられ、そう言いながらも無邪気に笑っていた。
おとぎ話の神狼様も、クリス様にかかればまるで形無しだ。
主様が、自ら手塩にかけて育てている最中の、あの優しい小さな女神様が、この家での立場は一番上なのだろうな、そう思いながら、私は洗濯ものを干す作業に戻ろうとこの光景に背中を向ける。