姉と妹 4
「よかったね、あとはお姉しゃまの許可をもらうだけだから、きっとだいじょうぶ!」
男が自分の要望を通してくれたご機嫌そのままに、相変わらず狼の上に座ったままの少女が私達のそばを訪れ、そう声をかけてきた。
彼女が狼をまるで自分の足のように使役している様は、獣使いのような魔法による使役とか、そういう気配ではなく、もっとシンプルに……信頼、そのようない糸でつながっているように見えた。
こんな幼い少女が、自分も何倍もの大きさの狼を、怖がることすらなく、友達のように接し、狼の方も愛情深い瞳の色で少女を見据え、背に乗せる事さえも許している。
獣人の男の方の凄みはもう理解していたが、この少女も大概なのではと思うのだが。にこにことして屈託のない彼女の笑顔を見ると簡単に毒気は抜かれる。
彼女は今一度、私達を交互に見比べた後、にっと歯を見せて笑った。
「私は、クリス。狼のおじしゃまは、ルーナしゃま。家のひつじだよ。」
「執事です、クリス様」
背負った鞄の中から何かを探りつつだが、男から一応突っ込みは入った。
「でね、この子がメリロット。メリィでいいよ。えっと、チコリたちは先に帰っちゃったから、あとでまた紹介するね。」
この子、といいながら乗っている狼の頭を撫でたので、この狼がメリロットで、続けて呼びかけた名前は、先ほど熊を運んでこの場から立ち去った四頭のうちの一頭なのだろう。
「クリス様、名乗りが遅れました、立ち上がれない身なので、このような恰好で失礼しますが、サクラと申します。こちらは私の妹のマルメロです。」
「マルメロです、家名はありません。重ねてのお礼になりますが、助けていただきありがとうございました。」
つまり名乗りを求められたのだろうと、私は雪の上に座り込んだままではあるが、マルメロは立ち上がり一礼をしながら素直に求めには応じた。
クリスは満足気に笑顔を浮かべ、うん、よろしくねと嬉しそうに頷く。
見ると、マルメロもつられてだらしなく顔を緩めている。
やっと緊張が解けて、少し落ち着いたおかげだろう、もともと可愛いものが大好きな性分、彼女の愛らしさに心癒される余裕も戻ってきたようだ。
「マルメロしゃま、ごびょーき、って言ってたけど、お体は大丈夫なのですか?」
「はい、今はほとんど症状はありませんので、ありがとうございます。」
そっか、よかった、と安堵の言葉を漏らす彼女に、最初から気になっていたことを今更だが問いかける。
「銀狼……なのですか、その、メリロットたちは。」
絶滅したと聞いていた種、それが人知れず生き残っていたのか、それとも……。
「互いに命を捨てる覚悟まで決めている嬢たちにとっては蛇足であろうが、念のための確認だ。……覚悟は、あるか?今ならまだ引き返せる。」
私の質問にかぶせて、クリスの代わりにルーナが、そう問いかけてきた。覚悟、とは。つまり…ここが選択できる最後という事だろう。
こくり、私とマルメロが頷くのは同時だった。
「嬢たちも神狼様の事は童話程度には知っていよう。……真実を知る必要はない、が、この先へ進むなら、現実は知ってもらう必要がある。」
おそらくその言葉は私はクリスへ向けた問への肯定。
「伝説の銀狼に続いて、おとぎ話の住人とご対面ということか。なかなかに、幻想的で得難い経験になりそうだ。」
この男が冗談で突拍子もない話をここでするわけがない。つまり、それは事実なのだと信じるしかない。
仮に……魔女や、神狼、そんなものが出てきても、いや、出てきてくれないと、目の前の彼らの存在がとても肯定できるようなものではない、それも彼の言葉の信ぴょう性を裏付けていた。
「あの、それでは、クリス様のお姉様とは……。」
マルメロのその問いは、まだ確信はないが,予想はできているのだろう。ルーナが主と呼び、クリスが姉と呼ぶ。その人物は……おそらく。
「嬢らにとっては『魔女』の呼び名の方が馴染みがあるだろうな。」
馬鹿げた妄想、そう一蹴する段階はもう通り過ぎた。だから、考えなければいけないのは今事前に彼がこの話をした理由だ。
「立ち振る舞いには今まで以上に気を遣え、という事か?」
「大丈夫だよ、姉しゃまも、ガルムしゃまも、すごく優しいから心配しないで。」
「クリス様。それは貴女が主様の妹であるからこそです。」
ガルム、それが件の神の名だろうか。男はクリスを軽くたしなめてから、今一度襟を正してから私たちに向きなおした。
「主様は我らが神を、神は主様を、互いを自身以上に大切に思い、共に尊敬の念で繋がっておられます。クリス様の仰る通り、本質的な気性は優しいお方たちです。」
本来は優しく、幼子のクリスから信頼される程度には可愛がっている、身内には甘い、つまりそれは、身内以外には……そういうことか。
「私に見せた程度の分別を弁えていれば、悪いようにはなさらないでしょう。間違い一つさえ許さないほどに厳格でも、狭量でもありません。……が、その気になれば、嬢らの首ごとき、花を手折るような優しい動作で引き裂く事はいつでもできる。そのようなお方らであると、努々忘れぬように。」
「お姉ちゃん……。」
その物言いに、さすがに不安を覚えたのか、マルメロが私の肩に手を置く。心配いらない、と見上げた。
「丁寧な心遣い痛み入る。」
「なんてものを引き合わせた、と私が主様におしかりを受けるのは御免こうむりたいですから。」
男は冗談めかせた言葉を紡ぐと懐から一枚の呪符を取り出した。先ほど荷物から探っていたのはそれらしい。
「転移使うの?姉しゃまに許可もらわないでだいじょうぶ?」
「今回の客人は、屋敷への道程を知らせるにはまだ信用は足りませぬので、必要と判断します。」
転移とか軽く言い出す始末、あれも相当高度な魔法の技術と、高額な素材が必要な筈。もうなんでもありか。よもや自分がそんなものを経験することができるとは。
「この年になって、おとぎ話を体験できるなんて話に、冒険心をくすぐられるとは思わなかったな。」
冗談めかせながらマルメロに笑いかけると、気持ちは彼女も同じようで、微笑みを返しながら手を伸ばしてきた。
腕を借りて立ち上がろうとしたところ、様子に気付いたルーナが私の目の前でしゃがみ込んで、身体を持ち上げようとした。
「淑女の身にこうして触れる無礼は今はご容赦を。それでは、参ります。」
自分ではろくに動けないのは事実だ。今更抵抗はすまい、と荷物扱いを甘んじると、そのまま彼は私の身体を肩へと担ぎ上げた。
そうしてから掲げた、男の指先に挟まれた札が緩やかに光る。
刹那、目の前の光景が白一色の光に包まれ、やがてそれがすぐに晴れると、すでにそこは違う場所であった。
・・・・・・・・・・
先ほどまでの雪に覆われた鬱蒼とした森の中ではなかった。
まだ少し肌寒いといえばそうだが、先ほど迄いた場所に比べれば差は雲泥。足元に雪はほとんどなく、瑞々しい彩の柔らかい草が地面を覆っている。空にはささやかだが晴れ間もあり、背後を見やるとすぐに白い雪に覆われた森があったので、あの場所から抜け出てきたことは間違いなさそうだが、この空間だけ、何か特別なものに守られている、そのように感じる土地。
「すご……。」
「ほんとに、一瞬だった……。」
「へへ、すごいでしょ、あの札も姉しゃまが作ってくれたんだよ。」
クリスはメリロットからぽんと飛び降り、呆気に取られていた私たちを見て、満足気に微笑む。
前を見ると、少し歩いた場所に門を備えた塀があった。
門の中にある建物は、町の宿屋くらいの大きさだろうか、二階建ての年季の入っていそうな、それでいて遠目に見ても手入れは行き届いていそうな白い邸宅だった。
魔女の隠れ家と言われるよりも、どこかの貴族の避暑地と言われた方がイメージに合いそうだ。
「それじゃあ、サクラしゃま、マルメロしゃま、ご案内は、私が務めしゃせていただきましゅっ。」
クリスは私たちの前に出ると、拙いながらも可愛らしい会釈を一つしてから、メリロットを伴い、門へと駆けていく。
「では、参りましょう。」
ルーナは私を姫抱きに抱えなおしてから、マルメロはその後ろから、邸宅へ小走りに駆ける小さな少女にゆっくりと続いた。
・・・・・・・・・。
それ自体が光を放っているかのようにさえ感じる白銀の毛並み。
銀狼の毛並みの光沢を備えたような銀も美しいと感じたが、比較すればあの銀がくすんで思える。
体高は2メートルを超えていそうな大きな巨躯を、白銀で覆った狼の姿は神秘性さえ備え、息を呑むほどに美しかった。
神と仰々しく呼ばれるに十分値するほど、文字通りに神々しいと感じた……。そう。
見てくれ、だけは。




