姉と妹 3
(自身の怪我の治療を願った妹の言葉や、それに応じてもいいと答えたクリス様の好意の誘惑を、一寸の迷いすらなく退けたこの嬢が、妹のためとなればこうも瞳の色を変えるのか。)
こちらとしては、指定された薬草の、世俗での市場価格など知りはしない。それを解っているかどうかは知らないが『手が出ないほどの高額な品である』、と馬鹿正直に言ってしまうあたり、愚直がすぎるが、信用はできる性質であるとは伺える。
男は考える。自分の主は、この不器用で真っ直ぐな、妹思いの幼き者を、どう思うだろうか。
なれば。
「姉君の方の話は理解したが、聞こう、妹君、君は何のためにこうして頭を下げている。」
「姉のためです。」
姉にそうしたように、試すように声をかけた妹は、土下座の恰好を変える事なく、迷いなく即答した。こういうところは姉と似ているのだな、と男は内心で思ったが、表には出さぬように無表情を貫く。
「……聞こうか。」
「シルフィウムの根が治癒に必要と知った日に、その額面を見て……盗むか、自力で採るか、それしかないと考えました。たとえ私たちが二人とも奴隷商人に自分を売ったところで及ばない額でしたから。……どちらの手段も可能性が低い事には代わりはありませんが、無茶を承知でここに至りました。」
その額面がいくらかは知らぬが、そのような額が付く以上、採取は容易ではないと知った上だろう。本当に無茶だ。
「そこまで覚悟を決めた姉を私ではもう止められませんでした。私は姉に協力する体裁で、でも、正直に本音を言えば、私はここで死ぬつもりでついて来ました。」
淡々とした口調の言葉のままだが、姉の方がその言葉に目を見開き驚きながら、妹を見る。反応はせずに妹は頭をさげたまま言葉を続ける。
「私だって、病気で死ぬのは、怖いです、嫌です、発作を起こした夜を思い出すだけで身が凍ります、あの苦しみがまた遠くないうちに来ると思えば……。でも、それ以上に、本当に辛いのは、私のために姉が無茶をして、自分を顧みない事です。」
かけたい言葉もあるのだろうが、姉の方も今は静かに妹の声を聴いていた。今にも泣きだしそうな、そんな顔色で。
「でも結局私は、ここでも姉の足を引っ張って、姉に庇われて、重傷を負わせてしまいました。姉が怪我をした時、逆だったら、どんなによかったか、いっそ私がそれで死んで姉が無茶を諦めてくれたら、そう思いました。私はもうそれでよかったのに。」
そこから、彼女の言葉に感情が乗り始めた。……悲しみ、諦め、絶望、そして姉への愛。それらに零す涙が、声に交じり始めていた。
「私の姉は、私のためなら命なんて惜しくない、そういって、それを比喩ではなく本当ににしてしまうような人なんです、だから、その薬草を手にする事で、姉が無茶を控えてくれるなら、そのためなら、私の安い頭なんかいくらでも下げます。」
それだけ言ってから、妹も顔をあげた、男をまっすぐに見据える。姉がそうしたように、力と意思のこもった瞳に、涙を湛えて。
「私だって対価として自分を捧げる覚悟はできています!何よりも、誰よりも、私の愛する姉のために!」
言いたい事は言い切った、そんな顔をしながら涙で頬を濡らす妹。それを唖然と見る姉。
さて、この決意と勢いと互いへの献身だけは一丁前の姉妹にどう声をかけたものか。男がそう思案に耽り返事を紡ぐその前に……。
「すまない……!お前がそこまで思い詰めていたなんで……!わ、私はっ……私は、お前がいない世界でなんて……生きている意味はないんだ!死んでもいいなんて、そんなことは二度と言わないでくれ……!!」
「お姉ちゃんが、私を本当に心配してくれてるのはわかるよ、でも、私だって、お姉ちゃんのために、命を捨てる覚悟くらいは、あるんだよ?」
感極まったらしい姉が、号泣しながら妹に抱き着き、妹もそれに答え抱き返していた。さて、ますます向ける言葉を、男は失い迷う。大きくため息を零した。
(何を見せられているのだ、私は……。)
「ルーナしゃま……。私は、お願いを聞いてあげたいって思う。」
男の隣にいた少女が小さく、けれど、はっきりと男を見据えて、甘える強請るような声ではなく。まだ幼い少女なりに真摯な言葉でそう告げた。
「私だって、姉しゃまがいない世界なんて考えられない、気持ち、わかるから。」
彼女まで涙ぐんでいたのは二人の愛情に、幼い心は素直に打たれたのだろう。
姉と、妹。……それはそうか。と、男の中で何かが腑に落ちたのか、それとも諦めにも似た感情を抱いたのか、もう一度ため息を一つ零してから少女に短く返した。
「わかりました。主様には私から取り次ぎましょう。……そういうわけだ、話だけは主様に通す。あとは嬢ら次第。」
男の言葉に、姉の表情がぱっと明るくなる。
最初に出会った時の、鷹のようだった瞳の鋭さは今は無く、年相応の幼さを残した少女の顔だった。
それからまたくしゃくしゃに涙をこぼしながら、再び雪の上にに額をすりつけはじめた。おそらく、ありがとう、ありがとう、と繰り返しているのだろうが、涙声すぎて、何を言っているのかわからず、言葉になっていない。
妹の方も、よかった、よかった、と泣きながら姉の背中を撫でさすり続けていた。
(取り次ぐ、そう言っただけなのだが。……これがぬか喜びにならねば良いが。)
そうは思うが、ここまで歓喜に沸いている二人に、今ここで水を差す必要はない、それは野暮だろうと、今は口を閉ざし、二人に背を向けた。