君にこの声が届きますように
森の中を吹き抜ける吹雪。木々の茂りを激しく撫でる風の音に、風にゆらりと踊る雪に、視界も聴覚も遮られる。
だが、いい加減それにも慣れてきた。
獣人である自分は、聴覚も嗅覚も人間よりはるかに敏感。
(来た……!)
射線にある障害物や風を切り裂く音、自分に向けて放たれた魔銃による狙撃が、どの方向からこちらに飛んできているのか、それさえ解れば充分。
どこから飛んでくるのかわかり切っている射線から身を逸らすのは自分にとっては容易。
(魔力を飛ばす代物だから警戒はしてたけど、曲げたりはできずに素直にまっすぐ飛ばすだけみたいにゃ。それに、もうマーキングは外したにゃ。今は視認できる距離にはいるはずにゃ。)
木々の生い茂った森の奥深く。狙撃手はどこかに潜んで今も自分をその牙で食い破ろうと、虎視眈々と狙っている。
・・・・・・・・・
一度は隠れ潜んだ自分たちを追い、姿を見せた彼女たち。
こちらから奇襲し、彼女の両肩を手に収めて押し倒し、共に樹の枝の上から落下した時は、これで勝負ありと思った。
そのまま地面に落下して、抑え込んで武器を奪えばそれでチェックメイト。
が、そうはならなかった。
猫の獣人である自分のお株を奪うような、器用な受け身で、丸めた背中で雪の上に着地したと思ったらその勢いで逆にこちらが投げ飛ばされた。
自分の軽い小柄な体躯を少し憎々しくは思ったが仕方ない。
更には、上から聞こえた彼女の姉の言葉。
こちらはこちら、そちらはそちら。
息ぴったりの連携を見せる二人を分断しようとした作戦を、知った上でそれに堂々と乗りかかる発言だった。
妹もその言葉一つで、迷いなく森の茂みに逃げ潜んでみせた。
離れた場所へ逃げる背中を撃つ卑怯はしない。
彼女たちはそう言っていたが、一騎打ちとなれば話は違う。
狙撃手である彼女と、手の届く範囲だけが射程の自分の戦いは、シンプルな鬼ごっこ。
逃げるな、正々堂々と姿を見せろ!なんて叫びでもしたらむしろ卑怯者はこちらだ。
そうして茂みに潜んだ彼女からの狙撃が、こちらを食い破ろうと飛び掛かってくる銃弾の咆哮が、この戦いの幕開けとなった。
(大体わかってきたにゃ。身のこなしは悪くなかったけど、結局あの子はあの銃頼みなだけにゃ。それに……。)
何度も何度も放たれた狙撃を避けるに徹するうちに、色々と読めてきた。
思うに、あの子は実戦経験が足りていない。特にペース配分、そのあたりの管理が絶望的に甘い。
目視できる距離にいて、ここまで一発も命中させられていないのだから、一番最初にやってみせた数撃ちゃ当たるの弾幕攻撃を今もやって見せて強引にこの場を制圧することも視野に入れていいはず。
それを何か考えがあってしないのか、できないのか。
おそらく、後者。
だからといって、今繰り返しているちまちまと隠れ潜んで場所を変えながらの慎重な狙撃も、もはや自分を捉える事はない。
そのくらいは向こうも解った上で何かの策のための布石なのか、あるいは、解った上で、そうするしかないからこの攻撃を続けているのか。
……これもおそらく後者だ。
最初の頃は自分を近づけさせまいと間を置かずに撃ち込まれていたが、今はそんなに早くないペースで繰り返すのみにとどまっているのは、つまり。
もうあんな派手な攻撃をできる余力がないし、そもそも魔力が切れかけている。
だから、一発放って、また一発放てる程度にまで身を潜ませながら休めて、また一発。
そうしながらの狙撃を繰り返す、そこまではまだいいとしても、だ。
(たとえそうでも、その辺を感づかせないようにハッタリをきかせるのが定石にゃ……。)
そういう発想自体がそもそもなさそうなのが致命的すぎる。
もしもこちらの油断を誘うための罠だとしても、これでは露骨すぎる。
確かめるために、移動しながらも、わざとらしさを感じさせない程度に、敢えて茂みから身を出し姿を見せて、狙撃させてやっている事にもおそらく向こうは気づいていない。
今度は自分の背後から。が、それがあらかじめてわかっていれば何も問題はない。射線からひらり、身体を逸らすだけだ。狙撃は自分の後ろへと、風を切り裂きながら飛んで、消える。
(これならもう仕掛けていいにゃ。そろそろ、決めるかにゃ。)
おそらくもう、自分にとってあの相手は脅威ではない。そう判断するや否や、軽く跳躍し、手近な樹の枝に飛び乗った。
最期に銃弾が飛んできた方向はあちら、そこからすでに移動はしているとして。
ぴくり、猫耳を一度二度揺らして音を聞く。意識を集中させれば、目視できる範囲で何かが、森の茂りの中を移動している気配を察知するのは容易だ。
(とはいえ、動物も結構多いからにゃー。)
察知した気配はいくつかある。
獣は気配に敏感な生き物であるから、上位存在である自分へ、死ぬと分かってこちらにわざわざ襲い掛かってくる阿呆がいないのはいいが、こうなると邪魔だ。目についたらついでに殺しておくか。
だが、それらしいものを察知できた。案の定、その方向から飛んできた銃弾が一発。それもひょいと顔を逸らして避けるだけ。
(わざわざ自分から居場所を教えてくれるとか、やっぱり甘いにゃ。しょせん素人に毛が生えた程度にゃ。)
さて、向こうも身のこなしが良いとはいえ、身軽さだけなら誰にも負けないと自負する自分が、そこで負けるつもりはない。
勝負を決めるつもりで一気に距離を詰めるために、木々の上を跳ねて一直線にそちらへ向かう。
そこにたどり着くまでに、一発二発、銃撃は来るだろうがその程度、避ければいいし、最悪一発くらいは受ける場所さえ間違えなければ大きな問題じゃない。
「くっ……!」
そしていくらか木の枝を飛び跳ね向かった先に、案の定居た。
樹の枝の上で、こちらに向かって銃口を向けて舌打ちをする彼女の顔色は、だいぶ青ざめているようにも見えた。
彼女がまた銃弾を放った際には、もうこちらの自分の手が届く範囲にまで距離を詰めていたから手遅れだ。
左手ではね上げた銃から放たれた銃弾は空しく森の空に木霊を響かせて消える。
そして右手は捕らえた。彼女の喉首を。
・・・・・・・・・
「うっ、うぐ、っ……うあああああああっ!!」
「はい、これで勝負ありにゃー。おっつかれちゃーん、対ありでしたー。」
再び彼女を枝の上から突き落とす事に、今度は無事に成功した。
流石に急所を、殺さない程度にとはいえそこそこ力を込めて捕らえた彼女は、今度は受け身も取れずに雪の上に落下した。
その身体の上に跨り、右手で握ったままの首筋はそのまま、力を込め、爪先を柔い肉に少し突き刺しさえした。
今こちらは、そちらの命を握っているのだと知らしめるための脅しだが、別に殺すつもりはない。
しょせん余興だし、彼女が自身の敗北を認め、ついで自分に対して少しでも心動かしてくれれば、それで満足だ。
だが、この状況でも彼女は、マルメロは、組み敷かれながらも、まだ強い意思のこもった瞳で睨み返してくる。どう見てもまだ勝負を捨てていない瞳の色だ。
指はまだ首から外さない。だが、表情だけは緩めて笑いかけた。
「心配しにゃいでも、本当に殺すつもりなんてこっちはさらさら無いにゃ。だからこれで終わり、こんにゃのただの余興にゃ。にゃーでも、マルメロちゃんもよく頑張ったと思うよ?ただちょっとこっちからも教えてあげたい事はいっぱいあるから、どうかにゃ、このまま感想戦でも……。」
これで終わりだから安心して。そう思わせようと気楽な言葉をかけた。が。
「……は?」
もう彼女の手から唯一の牙である銃は奪った。先ほど跳ね飛ばしたのだからどこかに落ちたままのはず。
ならばもう無理に抑える必要もないと思って好きにさせていた右腕に、おそらく懐から取り出したのであろう、小さなナイフが握られていた。
握られていると気づいた次の瞬間には、まっすぐに自分の喉首へ、正確に、何の躊躇いも迷いもなく向けられていた。無言で。
「つっああああ!!!」
思わず握っていた喉首から手を離し、慌て飛びのいた。
それでも刃先は自分の喉をかすめ、浅い傷を負ったそこを自分の手で撫でてみると、赤く染まっていた。
やばかった。後一瞬反応が遅れていたら、そう思うと身体の一部が縮れる思いだ。
マルメロが、ゆっくりと立ち上がりながら零した舌打ちは、自分を仕留め損ねた事への苛立ちにしか感じなかった。
彼女が今手にしている武器は、粗末なナイフひとつだけ。
だがそれでもかまわない、怯む事も迷う事もないと言いたげに、こちらを睨む赤い瞳は……。
「ま、待って。待って、マルメロちゃん、余興、余興だって言ったにゃ、こちとら命の奪い合いなんか、さらさら考えてないにゃ。」
何を終わった気になっている、雄弁に語りかけてくる彼女の瞳の色にたじろいだ。
これなら正直、銃口を向けられていた時の方がよほどましだった。
「ひゃくわっ!!」
そのまま手にしたナイフをこちらに投げつけてきた。
先ほどまで躱していた魔銃の一撃に比べれば威力も速度もない、飛んできた刃物自体は避けた。だが。
殺意。
そのナイフ一本に込められた揺るぎのない意思。まだだ、まだ、確実にお前を終わらせてやるまでは。彼女がこちらに真っ直ぐに向けた意思に、まともに貫かれてしまった。
それは、こんな殺意の塊へ遊び半分で手を出してしまったこちらを、完全に委縮させるには充分なもので。
みっともない声を上げながら、腰が抜けて、へたりとその場に座り込んでしまった。
その隙に彼女は駆けだした。逃げるためではない。そう。
牙を取り戻すためにだ。
此方が間抜けにへたり込んで、何もできない間に、彼女が雪の中に落下していた魔銃を拾い上げてしまった事で、ようやくこちらにも危機感が戻った。慌てて立ち上がる。
「ま、待つにゃ、待つにゃ、いくら撃っても、僕にはろくに当たらないってマルメロちゃんももう解って……。」
そう声をかける此方を無視して、彼女は懐から取り出した小瓶の蓋を開け、中身を一息に飲み込む。
何を?この状況で?そう間抜けに戸惑うこちらを、更に意思を強くした瞳で睨みつけてくる。
「チェシャ様。貴方に一言言っておかなければいけません。」
飲み干した小瓶を、律儀に懐のポケットにしまい込みながら、彼女はそうするのが当然のように銃口をこちらに向けながら言葉を発した。
「またしても余興と言いましたね、それは主様のために身を砕くつもりでこの場に臨んだ、私と姉への侮辱です。」
「は……。」
「その汚辱を雪がせて頂かない限りは、私は主様の元へはせ参じることはできません!お覚悟を!!」
目の前の彼女から放たれる怒気と殺気が容赦なく膨らんでいく。それに、喪失していた筈の魔力も。
(さ、さっき飲んでたあれって……!)
その答え合わせだ、そういわんばかりにこちらに向けられたのは、対峙した最初の頃に彼女が見せた、魔銃の乱射による弾幕射撃。
「ぎにゃあああああああああああああああああああ!!!!」
悪い予感が的中したのは、幸いか、そうでないのか。
あらかじめ、魔力を回復させた彼女の銃口から、それが来ると察知出来ていた事で、放たれる前から既に逃げ出していたおかげで、一旦は難を逃れた。
だが、逃げ出した後を見ると、森の茂みは悉く銃弾に爆ぜ砕かれ、そこだけ少し切り取られたように、雪と、木々であったものの残骸だけに埋められた、なにもない空間のようになり果てていた。
(やばいやばいやばい!あの子ヤバイ!規模小さいけどやってる事魔王と一緒にゃ!)
その光景に、自分の主が、彼女の主である魔女と対峙した際に見せた光景を思い出していた。
彼女にそうさせたのは……そう思うと、今度はこちらが顔を青くせざるをえなかった。
口にしていた小瓶の中身は、失った魔力を補充する効果がある事は明白だが、それなら、なぜもっと早くそうしなかった。
自分が彼女の、マルメロの立場なら、魔力を失ったと油断させておいて、相手が近づいてくるのを察したそのタイミングであの小瓶を利用して、弾幕射撃で迎え撃って一気に勝負を決める、その位の使い方はする。
おそらく、彼女にとってあれは、使わないで済むならそうしておきたい、そういう代物なのだろう。
あれだけ一気に魔力を戻すような薬だ、気楽な使用を躊躇わせる何らかの副作用くらいは考えられる。
その切り札を使わせるに至った原因は……どう考えても、自分の迂闊な言動だ。
(魔女ちゃんもかなりヤバかったけど、あの子も違う方向で大概ヤバイにゃ!!誰にゃ!あの子の武器はあの銃だけだって軽く見てたバカは!!って僕なんですけどにゃワハハ!)
彼女の最大の武器は自身の意思そのものだった。何の躊躇もないあの殺意の鋭さは、銃の威力など比べ物にならない。
さて、そんな彼女の、狂犬の尻尾を踏んでしまった事に気付いても後の祭り。二回目の弾幕射撃からも必死に逃げまどいながら考える。
もしこのまま逃げ切ったとしてもそれで終わりの保障はない。あの小瓶の2個め、3個めがあるかないかなんて此方からはわかるはずもない。
あの様子なら、本当に此方を仕留めるまで彼女は立ち止まりはしないだろう。
そうなれば、こちらが取る手段はひとつだ。すう、と一つ大きく息を吸い込んだ。それから、
「降参にゃー-----!!マルメロちゃんやーめーてー!!謝るから!土下座でもなんでもするから!何でも言う事聞くにゃー--!!だからごめんにゃー--!!許してー----!!」
君にこの声が届きますように。こちらが撃ち殺される前に。
逃げ惑いながら、そう泣き叫んで許しを請う、選べる選択肢はもはやそれしかなかった。




