恋人の公爵令嬢ナターシャは無自覚に希少魔法を使う~元第一王子は闇属性の魔術師の逆鱗に触れる~
公爵令嬢ナターシャは自分のことをちょっと間が悪いと思っている~庶民派を騙る第一王子は、婚約者が平民から「昼飯の女神」と呼ばれて慕われてることを知らない~https://ncode.syosetu.com/n4236ib/ のざまぁ回になっています。
友人の公爵令嬢ナターシャはいい子だけどちょっと変~平民富豪の娘は身分違いの友人の勘違いの理由を知っている~ https://ncode.syosetu.com/n7415ib/ も合わせてお読みいただくと分かりやすいですが、作品のテンションが違います。申し訳ございません。
最後の方で、元第一王子視点があります。
主人公が死なせたのは、元第一王子だけです。
僕は、マキシム・オフトロスキー。侯爵家の五男だ。学園を卒業した二年前から宮廷魔術師をやっている。
今日は、休みを利用して、王都の教会に来ている。
手に入れておきたい物があるんで、その材料集めのためだね。
「こ、これはこれは、オフトロスキー宮廷魔術師様。なにも、御自らお越しにならなくても……」
「今代の聖女候補様は、まだ学園の生徒だからね。
成人している僕が光属性の治癒を使った方がいいでしょう?」
「そ、その通りではございますが……」
僕にとって教会は、到底好きになれる組織ではない。
腐敗が進んでるらしい様子。
今の、選民思想の強い側妃が、側妃になるために平民人気を利用しようとした時、最低位の伯爵家でも払えるような僅かな賄賂で、協力したこと。
光属性を神聖視し、光属性の者を聖人、聖女などと呼んでいる割に詰めの甘いこと。平民出の聖女候補の後ろ盾となって学園に入れたはいいが、基本的なマナー教育も碌に施されないまま入学することになって、本人は苦労していると聞いている。
何より、魔王の迷信を煽ったこと。
闇属性の者だけが、濃紺の髪と目をしている。
ここまでは真実。
でも、
闇属性の魔法は人々の心を操り、思いのままにしてしまう、その所業は魔王の名に相応しい。
そう伝えて、闇属性の者を迫害対象に追い込んできた。
聖書に記述があるわけでもないのに。
魔法は、風水火土の基本属性と、希少と言われる光と闇属性が確認されている。
光属性が治癒に特化していると知られている一方で、より希少な闇属性の魔法で何が出来るかは、長く知られていなかった。
単独の闇属性は存在せず、闇属性の者とは全属性である、という研究結果を僕が発表し、他国にまで驚きをもって知られたことは、僅か一年ほど前のことだ。
宮廷魔術師になって僅か一年で、そこまでの功績をあげられたのは、僕がその闇属性だからだ。
生まれた頃は、まだ、只の黒目黒髪だった。
それでも、平民には見られるが貴族には珍しい色、ということで、両親からは離されて、領地で育つことになった。
領地の邸宅で、つけられた乳母や家庭教師、使用人達は、皆優しかった。
しかしながら、そこで何にも気付かず幸せに過ごすには、僕の精神は少しばかり早熟すぎて。
政略結婚の駒になる女児が欲しかったのに、生まれてきてしまった、これ以上もういらない男児。
それに対して。
後継となる長男。
侯爵家の名で王宮騎士、王宮勤めの文官になる予定の次男、三男。
さらに、オフトロスキー侯爵家に特徴的な美しい金髪碧眼を持ち、年の離れた僕が生まれるまでは末っ子として溺愛され、有力な婿入り先を探してもらっているという四男。
僕のことを、優秀、殊に算術に天才的と褒めてくれた家庭教師が、分数を教えてくれた時、
「じゃあ、五番目の子供の僕が、父上母上から受け取れる愛情は、計算では五分の一。
現実には、二年に十日だけ会いに来て下さるので、七百三十分の十、つまり七十三分の一ですね」
そんな風に答えたのは、当時、正真正銘子供だったにしても、大人げないと、今では思うけど。
僕の人生の最初の転機が、三歳頃の領地で育てられる決定だったとするなら、二番目の転機は、十歳目前に訪れた。
魔力が充実し始める十歳前後、僕の髪は、それまでの黒目黒髪から濃紺に変化しつつあった。
ある日、偶々僕が庭に出ているところに、居合わせた出入りの商人の従者が、僕に石を投げつけるという事件が起きた。
信心深かったというその男は、
「魔王だ。まだ幼い今の内に殺しておかなくては、村のみんなが危ない」
と言っていたそうだ。
明らかな害意を持って、領主一族を傷つけた平民が処刑されるのは、妥当な処分だ。
しかし、非常に多くの助命嘆願が、平民から寄せられたそうだ。
そのため、両親は僕を王都に戻すことにしたのだ。
魔王の迷信は、王都よりも地方、貴族よりも平民に根強かった。
貴族で迷信が広まっていないのは、過去に存在した闇属性の者のほとんどが、王族、貴族生まれだからだと思われる。
王都のタウンハウスに来た僕は、二年に一度しか会えなかった両親に年の離れた四人の兄と、そこで暮らすことになったけれど、完全に腫れ物扱いだった。
オフトロスキー侯爵家のタウンハウスの隣にはロフスカヤ公爵家のタウンハウスがあるのだが、ある日突然、僕宛にロフスカヤ公爵家から招待があった。
格上、しかも、権謀術数交わされる貴族社会にあって、敵対する家が無いと言われる稀有なロフスカヤ公爵家からの招待とあって、両親は一も二もなく了承し、僕を送り出した。
そうして、恐らく、僕の人生最大の転機である、ナターシャ・ロフスカヤ公爵令嬢との出会いを果たした。
ナターシャは今は僕の婚約者なので、この話をすると、ご婦人方を中心に
「まぁ、運命の出会いですわね。初恋かしら?」
などと言われるのだが、そんないいものではない。
ロフスカヤ公爵家に着くと、そこには、ロフスカヤ公爵家の長男のダニエル様とその妹のナターシャ、そして商人の娘のオルガ嬢が所在なさげにいた。
公爵家に商人の娘が客として招かれていた、というのが既におかしいのだが、その後の出来事の衝撃はそんなものではなかった。
「魔王!魔王の色だわ!」
「いいなあ、いいなあ、きれいー」
出会い頭、僕の濃紺の髪と目を魔王と言いながら、奇麗だと言ってくれる幼い公爵令嬢。
「そうだな。魔王役に適した役者がいることだし、魔王と勇者ごっこにしよう!」
色々と言動のおかしい、僕より少し年上の公爵令息。
そうして始まった、魔王と勇者ごっことやらは、僕とオルガ嬢をほぼ言いなり状態で巻き込んで、
「うわぁぁ。勇者たるこの私が負けてしまうとはー!人類の未来はどうなってしまうのかー!」
「オーホホホホホ。これで世界は、この魔王様のものよー」
勇者の妹の裏切りにより、魔王の勝利に終わっていた……
「……変な兄妹」
必死で色々と取り繕っていたオルガ嬢が、取り繕え切れなくなった頃、
「……フフッ、ク、アハハッ、ハハッ。アハハハハハハハハハハハハ」
「アハハ、ハハッ。君ら、変。アハハハハハハハ」
僕も限界だった。
流石にこの出会いで、ナターシャに恋に落ちるほど、僕は変人ではない。
ただ、気楽にはなった。
僕のこの髪と目、そして、魔法属性がどれほど希少で、どれほど偏見を持たれるものだとしても、希少性を分かった上で、大したことのないもの扱いをしてくれる存在がいる。
そう思えることは、思った以上に、僕の気持ちを安定させてくれた。
十歳にもならない頃に、大の大人から明らかな敵意を向けられて、暴力を振るわれたこと。
実の両親とのぎこちない関係。
他人同然の兄達。
そういったものは、僕が思う以上に僕を傷つけていたんだと思う。
ナターシャのみならず、ロフスカヤ公爵閣下も、僕を温かく迎えてくれた。
それからの僕は、ロフスカヤ公爵家に入り浸るようになった。
僕だけなら、遠慮するところだったが、オルガ嬢もいつも招かれていて、
「なぜ、平民のわたしが?」みたいな顔をしていたので、あまり遠慮をせずに済んだ。
そうして、気持ちが安定したことの影響は、魔法の発動に大きな影響を及ぼした。
貴族の子女は、十歳頃から、魔法を教えられ始める。
人生で最も集中力を必要とされる頃だ。
気持ちが安定していなければ、どうにもならない。
恐らく、過去の闇属性と言われた人達は、ここで躓いて魔法がうまく発動できなかったんじゃないだろうか?
魔王と呼ばれる謂れのない偏見。
人の心を操る魔法という目で見てくる人々。
そんな中で、十歳の子供が精神的に落ち着いていられなくても無理はない。
そうして、その生涯で、魔法が発動出来ないままならば、闇属性の魔法が何なのか、伝わらなくても当然だろう。
ロフスカヤ公爵家の人々のおかげで、落ち着いていられた僕は、順調に、風水火土の基本属性に光属性の魔法を発動できるようになっていった。
そうすると、両親も現金なもので、腫れ物扱いだったのを自慢の子扱いしだしたりするようになった。
これには呆れたし、兄との仲はさらに溝が広がった気がするが、おかげで、僕の事情を聞いた宮廷魔術師に出会えたので、まあ、いいことにしている。
教会が手の平を返すようになるまでは、もう少しかかった。
でも、僕が研究結果を発表し、光属性の治癒魔法を各地で散々披露した後だから、もう遅い。
王家への報告で、過去の闇属性の人々が魔法を発動出来なかった理由を、教会が煽った迷信と迫害による、としているし、十歳目前の僕への投石事件を唆したのが、教会の人間であることも伝えている。
これらの内容は、内々に、諸外国にも知らされているから、これから、教会の影響力は各国で下がっていくことだろう。元々、各国の重鎮たちに少し、疎ましく思われてきつつあったところだから、ちょうどいい理由を与えてやったようなものだ。
今は、こうして、少しばかり、僕に都合の良い駒になってもらっている。
正直、教会に関わりたくない気持ちはあるけど、これに関しては、便利だからね。
さて、手に入れたい物の手配は進んでいることだし、恋人のところに向かうことにしますかね。
当初、変人幼女としか思わなかったナターシャと、相思相愛になったのが何時からなのかは、僕にも分からない。
でも、最初の変位点は、ナターシャが十歳位の頃、第一王子と出会った後かな、と思う。
普通の人間の心が、善良な部分と悪辣な部分で出来ているとするなら、ナターシャとその父のロフスカヤ公爵閣下は、善良な部分と変人な部分で出来ていると思う。
……それはそれでどうなのか、とは思う。
ともかく、僕の知る限り、それまでナターシャが誰かに悪感情を表したことは無かったと思う。
けれど、その日、側妃の子である第一王子と会って帰ってきたナターシャは
「あの王子、きらーい」と言い出したのだ。
ほんの僅かな邂逅だったと聞いている。
それに対する周りの反応も、僕の思ったものでは無かった。
「ナターシャがそう言うのなら、あの王子はダメだな」
「そうですわね。まだ五歳と幼くて為人は分からずとも、正妃様のお産みになったセルゲイ殿下につくことを考えた方が良いかもしれませんわ」
ロフスカヤ公爵閣下なら、人を見た目で判断するな、とか言うかと思ったのに、ナターシャの判断には何かあるってこと?
僕のナターシャへの見方が大事な幼馴染から、興味深い観察対象への視点が加わったのに対し、ナターシャは、嫌いな婚約者候補というものを目の当たりにして、僕のことを将来の伴侶に考えるようになったようだった。
それからは、僕はナターシャ達と幼馴染として接しながら、ナターシャと公爵閣下が時折、無自覚に何かの力を発動しているのをこっそり研究していった。
一方のナターシャは、僕への好意を驚くほど素直に表現してくるようになった。
「結婚するならマキシムが良いですわ」
「マキシム、わたくしとずっと一緒にいて下さいませ」
「大好きよ、マキシム」
「わたくし、マキシムのこと絶対、幸せにしますわ」
「愛しています」
……
そうして、気が付いた時には、既に落とされた後だった。
……屈辱感が多少ある。
ナターシャのことは変人だと今でも思っている。けど、そういうところも含めて可愛くてしょうがない。
元々、愛情に飢えた人間だったから、さぞかし容易かっただろうよ……
さて、ロフスカヤ公爵家のタウンハウスに着いた。
使用人に邸の扉を開けてもらう、と同時にナターシャが飛び出して、僕の胸に飛び込んでくる。
優しく抱きしめて、一緒に中に入る。
使用人達は驚いているが、ナターシャが何故、僕が来たのが分かったのか、僕はもう知っている。
「わたくしのマキシムへの愛の力ですわ!」
……違う。
ナターシャとロフスカヤ公爵、そして恐らく、代々のロフスカヤ公爵は、これまで発見されていない、希少属性魔法を使うことが出来る、というのが、僕の研究結論である。
時空属性、と名付けた。
時間と、場所(諸々の理由があって、場所という表現だけでは表しきれないので、空間と呼ぶことにした)に作用できる魔法である。
今のところ、確認されている効果は、予知と探索である。
この研究結果は、僕が学園に通っている頃にまとめて、ロフスカヤ公爵夫人とダニエル様にだけ渡してある。
ロフスカヤ公爵閣下とナターシャにも、渡して良いんだけど、裏表がなくて、上手く使えない気がする。
夫人に渡しておけば、間違いない。
この魔法を無自覚に使用し、ナターシャは、困っている人のいる所に、自然に先回りで移動し、即座に助けるのである。
また、為人を瞬時に判断できるのも、この魔法の効果、主に予知の部分を使っていると考えられる。
代々のロフスカヤ公爵も使っていると考えた訳は、伝統あるロフスカヤ公爵家が、敵対する貴族家が無いと言われている点である。
権謀術数めぐらすのが生業と言っていい貴族だが、自分達の窮地を救ってくれた相手には義理堅い面もある。
ロフスカヤ公爵家は、代々お人好しなようなので、多分、ナターシャと同じようなことを、貴族相手にもしていたんだと思う。
さっき僕が来ることが分かったのは、希少魔法を行使したからなんで、愛の力、という表現は全く合っていないわけでもないのだが、場合によっては、そこらの野良猫にも使っている力で、僕への愛、という表現をするのは拒否させてもらいたい。
こうしていると、ずっと順風満帆だったような僕達の関係だが、三年前から最近までは結構困った状況だった。
気が付いた時には、ロフスカヤ公爵家からは、内々にナターシャの婚約者扱いされていた僕だったが、正式な手続きはされていなかった。
ロフスカヤ公爵閣下が、ナターシャが平民身分になった時のことを心配していたのと、公爵夫人とナターシャが、宮廷魔術師になった僕がナターシャに求婚する場面を期待していたのと、僕がナターシャとの婚約を、オフトロスキー侯爵家に利用されたくなかったから。
そして、それ以上に、ロフスカヤ公爵家だけで、ナターシャへの他からの話は断れると判断されていたためだ。
実際に、ずっと以前から、側妃から、第一王子との婚約の話を持ってこられていた。
これが、王妃陛下からや、王家から、であれば、断るのはそんなに容易ではなかっただろう。
王妃陛下のお産みになったセルゲイ王子殿下は、ナターシャの五歳下で、政略と言っても、ナターシャに話を持ってくるには少し無理がある。
同格の別の公爵家にセルゲイ殿下と同い年の令嬢がいるから、無視してナターシャに話を持ってくると、無用な争いになってしまう。
王家が第一王子への話を持ってくることも予想されていなかった。
王妃陛下に王子が生まれなかったために立てられた側妃だったが、王妃陛下に王子が、となると微妙な立場だ。
力のある公爵家のナターシャが第一王子についての、王位継承争いは誰にも望まれていない。
側妃は国母の立場を早々に諦めて、第一王子をセルゲイ殿下の補佐が出来るように育てるのが、唯一の正解だったはずだ。
しかし予想を裏切って、側妃の打診を上手く躱していた公爵夫人がダニエル様の婚約者が急逝して気を取られた隙に、正式な王家の書状を持って、婚約を申し込んできた。
後日、王家から、内々に、穏便に済ませてほしい、というような話があったあたり、側妃の暴挙が疑われた。
しかし、王家から正式な書状とあれば、少なくとも、表面上は受けざるを得ない。
公爵夫人とダニエル様は、まだ諦めてなかったが、ナターシャと公爵閣下の落ち込み様は酷くて見ていられなかった。
ナターシャの近くで慰めてあげたくても、婚約者でもないのに、むやみに接触もできない。
幼馴染のオルガ嬢が頼りだ。
これに最初に堪忍袋の緒が切れたのが公爵夫人だ。
「許しません」
言って立ち上がると、立ち去り際、思い出したように、僕とダニエル様を振り返り、
「側妃様は私が対処します」
と言って立ち去って行ったが、その優雅な姿とは裏腹に、凄腕の猟師に
「俺の獲物だ。お前達は手を出すな」と言われたような気になった。
ロフスカヤ公爵夫人は、元々は、伯爵で最高位だった家の出である。
当時は、側妃の筆頭候補と考えられていた時期もあった。
時空属性の研究結果を、他に写しの無い状態で、公爵夫人に渡して、僕をナターシャの相手として認めてもらった時、当時の事を聞いたことがある。
「冗談ではありませんよ。
国母となる可能性はありましたが、男児を産めない可能性、産んだ男児を正妃様に取られる可能性、正妃様が男児をお産みになる可能性、日陰者の生涯を送る予想の方が、遥かに高いのですよ」
「それで、今の側妃殿下を利用することに?」
「あの方は、上昇志向が強くて、私の方が家格も年も上なのに、何かと張り合おうとしてきて、面倒くさかったのですよ。
でも、平民人気を集めた手腕は彼女のものでしたから、ちゃんと賢かったのですわ。
私がしたのは、最後の一押しでしかありません」
ちなみにこの後、公爵閣下との惚気話を長々聞かされたが、僕的に重要な部分を要約すると、貴族女性らしい表現で散々好意を伝えたが、一向に相手にされなかったので、業を煮やして、直接
「お慕いしています。私と結婚してください」と言ったら
「え?いいよ」と返されたという話だった。
「ナターシャには分かりやすく好意を伝えるんですよ」
この助言は重要だと思っている。
雄々しさを感じさせた公爵夫人だが、現実の手段は、貴族女性らしいものだ。
かつて、側妃を後押しした時と同様、社交界に噂をまくのである。
違うのは、かつては好意的な噂、側妃の平民人気を集めた手腕が優れていること、若くて御子を産む必要がある側妃に相応しい、というものだったのに対し、今回は、逆の、否定的な噂なことだ。
即ち、
側妃の平民人気は今やもう影もない。
かつての平民に喜ばれるような事業を行う力量はもう残っていないようだ。
第一王子はかつての側妃の賢さを受け継いでいない。
側妃は、第一王子を国王の座に就けるべく、継承争いを起こすつもりだ。
側妃には知られないようにじわじわと広げていく。
第一王子が学園に入学してからは、
第一王子は、選民意識が高く、平民に横暴で、嫌われている。
という事実に加えて、
教会が聖女候補として後ろ盾になっている平民少女を、妾にしようとしているようだ、
という噂を。
オルガ嬢にも一役買ってもらった。
オルガ嬢は計算が速く、商人らしく頭の回転も良いので、最初
「学園に入学するには足りないのは分かっていますが、ナターシャのために、どうにか奨学生になりたいのです。勉強を教えてください」
と言い出した時は、そんなに心配しなくていいのでは?と思ったが、なんとオルガ嬢、金の絡まない計算は出来ないらしい。そんな人いるんだ……。計算を、現実のお金に絡めて考える方法を教えて、なんとか、難易度の低い、学園の寮を使わない枠を勝ち取ってもらった。
第一王子が、聖女候補のミラーナ嬢を妾に、という話は、オルガ嬢がミラーナ嬢から聞き出した、
「教会から、学園に通っている間に、第一王子殿下や高位貴族の方たちに媚びを売って、籠絡するように言われています……」
という言葉を逆に使わせてもらった。
ミラーナ嬢は、可愛らしい顔立ちに、発育の良い体つきをしていて、第一王子に近づいた時は、いやらしい目で見られたこともあるそうだ。
ミラーナ嬢には、オルガ嬢を通して、ロフスカヤ公爵家が後ろ盾になるので、そんなことをしなくていい、と伝えてもらっている。
ナターシャにも一役買ってもらおうか、という話を夫人とダニエル様としたが、裏のある行動を取れる気がしない、ということで、可哀そうだが、巻き込んでいない。
このまま順調に行けば、ナターシャと第一王子の卒業くらいには、ナターシャと第一王子の婚約の解消、セルゲイ殿下の立太子が発表されるだろう。
今は、側妃と第一王子が、セルゲイ殿下の補佐に回れるかどうかを見極めているだけだと思う。
と、思っていたら、第一王子は思っていたより愚かだったらしい。
「ナターシャ・ロフスカヤ!貴女との婚約を破棄させてもらう!!
この愛らしいミラーナをはじめ、何人もの平民を毎日のように泣かせているようだな!!
貴女のような者は国母には相応しくない!!
このような婚約、無かったことにさせてもらおう!!」
こんなことを突然言い出したらしい、驚き。
ナターシャが、学園でどれほど、平民に慕われてるか知らなかったなんて。
ナターシャは第一王子の言葉を聞いて、即座に動き出し、ロフスカヤ公爵に知らせて、ロフスカヤ公爵閣下が、瞬く間に、婚約解消、僕とナターシャの婚約の手続きを終了させた。
……公爵閣下、すごく有能な方なんだよね。普段、変人度が高くて、目立たないけど。
王子は、あの言葉の後、学園で暴れようとして、あっさり、周りの貴族に取り押さえられたらしい。
なにそれ、見たかった。
公爵夫人の仕掛けで、貴族に第一王子の立太子が無い認識が浸透しているから、あまり遠慮されなかったみたい。
地面に膝をついて、後ろ手に拘束される王子とか、前代未聞じゃない?
今は、したり顔のダニエル様と一緒にいる。
「婿入り先を探してきたの、わざとなんでしょう?」
妹を溺愛しているこの人が、オルガ嬢と一緒に学園に通えることになって、少し持ち直したとはいえ、落ち込んでるナターシャを放って、隣国に相手探しの留学をしたのを不思議に思っていた。
「この家は、ナターシャが継ぐべきなのさ」
ナターシャ父娘と違って、この人の変人は演技だ。
「幼い頃のナターシャが喜んでくれたものでね」
成長過程のどこかで、修正しとけよ。
まぁ、この人は自分の欲望に忠実な人だから、婿入り先の相手を気に入ったのもあると思う。
予定が少し狂ったけど、僕もやっておくことをやっておきますかね。
「父上母上、兄上方、正式な縁切りをしない代わりに、実質的な縁切りをして下さい」
「そんな必要はないだろう……」
「そうよ。ロフスカヤ公爵家に婿入りするにしても、後ろ盾になってあげられるわ」
「父上母上の代ではそうでしょう。兄上の代になれば、私には不利益しかありません」
「そんなことは……」
「あるでしょう。
これまで、兄上方が私に何かして下さったことがありましたか?
私を利用された事を、親切だったとは言わせませんよ」
「しかし、私達は兄弟で……」
「では、私の誕生日を言えますか?父上母上は、言わないで下さい」
「「「「……」」」」
「そうでしょうね。
父上母上は、私が領地にいた時、二年に一度ではあっても、訪ねて来て下さった。
毎年、誕生日には贈り物を届けて下さった。
こちらに来てからも、兄上方が気付かない程度ではあっても、誕生の祝いはして下さっていた。
兄上方が、何か私にして下さったことはありません。
父上母上の代までは、私も協力出来ることは致しましょう。
兄上の代になった後に、私とロフスカヤ公爵家に何か要求されるのであれば、対価を頂きます。
こちらに、誓約書を用意しましたので、ご署名を」
「……分かった」
「では、私はこれで」
「……マキシム」
「何か?」
「今まで、すまなかった」
「悪かった」「ごめん」「……」
「……もう、終わったことです」
第一王子は婚約破棄宣言騒動により、王家に謹慎処分を受けることになった。
これは、最終処分を下す前の、暫定処置。
この間にどう動くかで、側妃と第一王子の処遇が決まる。
だったんだけど、側妃も思ったより愚かだったみたいだ。
側妃と第一王子の唯一解は、謙虚さを見せて、役に立つと思わせることだった訳だけど、取った行動は完全に逆。
「何故、私達が、このような目に?」みたいな表現ばかり繰り返し、一度は味方に引き入れた者達も、離れていった。
まぁ、諦められなかったんだろうね。
残った正解の先には、セルゲイ殿下の臣下のような立場しかなかったから。
今では、側妃の実家に二人で戻されている。
側妃の実家は、最低位の伯爵家。
代替わり済みで、側妃の兄が継いでいる。
贅沢を覚えきった側妃と、贅沢しか知らない王子は、さぞかし負担だろう。
事がここまで進んで初めて、自分の立場を僅かながら理解したらしい王子が、ロフスカヤ公爵家に直接来て、
「ナターシャ・ロフスカヤ!
私との婚約破棄を撤回してやろう!
有難く、私の婚約者の立場に戻るが良い!」
と叫ぶ、なんて事があった。
公爵閣下と一緒に出ようとしたけど、ダニエル様が
「私が出ましょう。可愛いナターシャへの置き土産です」
マントを翻して出て行った。
「どこから出したんだ?あのマント。さっきまで着ていなかっただろう」
首を捻りながら、公爵閣下も、一応追いかけていくことにしたみたいだ。
公爵閣下に突っ込まれるとか、もう末期なんじゃないの?ダニエル様。
変人は演技のはずだけど、板につきすぎ。
「アハハ。お兄様ったら」
ナターシャが楽しそうだから、まぁ、いいか。
「愛してるよ、ナターシャ」
「と、と、突然どうしたんですの?う、嬉しいですけど、あ、あ、わ、わたくしも愛してますわ」
「そう言えば、返してるけど、僕の方からは言ってなかったな、と思って。
そんな反応なんだ。嬉しいよ。もっと言っとけばよかった。
奇声を発して走り去る想像しかしてなかった」
「……マキシムの中のわたくしってどうなってますの?」
愛しい変人かな。
側妃の実家に様子見で戻されていた二人は、正式に、王族籍を剥奪されることになった。
それを受けて、元側妃の実家の伯爵家は、二人を、修道院に入れることにしたようだ。
そのまま、大人しく修道院に向かうようなら、放っておく可能性もあったんだけどねぇ。
手に入れておきたかった物も調合終わって、こうして手元にあるし、行くとしますかね。
***
ザリッ。砂を踏む音に振り返ると、そこに魔王としか言いようのないものが立っていた。
月明りしかない夜の闇で、なお存在感を示す、美しい容貌、均整の取れた体つき、何より、只人には許されない紺碧の髪と瞳。
「ヒッ。お、お前は、闇の魔術師。な、何の用だ?」
「何処に行こうとしてるのかなぁ?元王子様?」
「も、元ではない!私はこの国の王になるのだ!」
「まだ言ってんのか。
で?
この先は、ロフスカヤ公爵邸なんだけど?」
「ナターシャだ!あの女さえ手に入れば、私は全て取り戻せる!」
「……本気で言ってんの?
全てがあんたのものだったことなんか無いし、
ナターシャは、ナターシャ自身のもの。
ナターシャの婚約者の立場は僕のものだ」
「違う!違う!違う!
……く、良いだろう!
ナターシャは譲ってやる、だから、私に、協力するんだ!」
「……ふぅ。
これを飲め。
飲んでなお無事だったら、何でも聞いてやる」
手にした小瓶を軽く振っている。
「毒か?騙されないぞ!」
「……これは、王都の平民二十人の記憶。
飲めば、彼らのそれまで人生を追体験出来る。
追体験の時間と、現実の時間は、一対一ではないから、二十人分の追体験で一週間程度だ。
嘘ではないことを誓約魔法に誓ってやろう」
「記憶?追体験?誓約?そんな魔法などない!」
「人の心の領域に影響を及ぼすことが出来る、希少な闇属性だよ」
「ば、馬鹿な。
お前が、お前自身が証明したんじゃないか!
闇属性とは全属性の事、闇属性は存在しないと」
「闇属性は、単独属性ではなく、全属性として存在する。
全属性、即ち、風水火土の基本四属性に、光属性と闇属性。
人の上に立つ者は、情報を正しく理解し、人々の最低限は守ってやるべきなんじゃないのかい?
少なくとも、闇属性の者が人の心を操る術を持つらしいことを知ったからと言って、正しい情報を得る機会を封印し、闇属性の者を迫害対象に追い込むことで、全ての解決とした、教会のようなやり方を、僕は許容しない」
「何を言っているんだ?
私は王子だ!
他の人間は、全て、私のために存在するんだ!」
「もう、いいよ。
飲むの?飲まないの?
受け取れば、噓じゃないと分かるようにしてあるよ」
手を伸ばして、小瓶に触れると、不思議と、これが毒ではなく、これを飲めば私を助けると言った言葉が真実だと分かった。
「先に場所を変えようか。
飲んだ後は、少し、無防備な状態になるからね」
奪い取ってしまえばよかった。
そう思ったが、仕方ない。
後を追う。
そうして、着いた先は
「なんだこの、あばら家は?」
「あばら家、ね。
しばらく見つからなければいいんだから、少し我慢すれば?
食べ物と水も置いていくよ」
「あ、お、おい!何処に行くんだ?」
「飲んだ後で様子を見に来るよ」
行ってしまった……
小瓶を見る。相変わらず、毒ではないと分かる。
「仕方ない」
蓋を取ると、一気に飲み干した。
それは、農村に生まれた一人の男の記憶だった。
貧しくとも穏やかな暮らし。
やがて、幼馴染と結婚し、子供が生まれる。
ある不作の年。
困窮した一家のために、冬、男は出稼ぎに王都にやってきた。
荷運びの仕事にありつけた。
ある日、崩れた荷の下敷きになる男。
命は助かったが、足を失ってしまう。
仕事が出来なくなり、帰るすべもない。
王都の貧民街で、男の記憶は終わった。
それは、ある女の記憶だった。
町での、優しい両親と、可愛い妹との暮らし。
ある時、妹が難病に罹ってしまう。
薬は高額で、とても手に入らない。
意を決して、娼館の扉をたたく女。
妹は助かったが、女は性病に罹ってしまう。
病で動けなくなり、娼館の片隅に放っておかれる女。
家族は迎えに来てはくれなかった。
それは、男の記憶だった。
それは、……
それは、……
「ごめんなさい、ごめんなさい、ゆるしてください、ごめんなさい、ごめんなさい……」
気づけば涙が流れていた。
何の罪もないのに、非業な目に遭った人達。
一人一人は、自分が着ている服の金ボタン一つで助けられた。
謝ったことなど、ほんの子供の頃にしかなかったから、拙い言葉しか分からない。
「もうやめてください、ゆるしてください、ごめんなさい、もうゆるしてください、もうやめて……」
***
いや~、材料集め、大変だったなぁ。
何が大変て、自業自得じゃない記憶を選りすぐるのが大変だった。
賭博や酒や女で身を持ち崩してる人の方が圧倒的に多いんだよね。
ちなみに、記憶を写し取るのに殺す必要とか全然無いので、皆、生きてる。
病気とか怪我も出来るだけ、治癒魔法で治したし。
欠損とかまでは治せないけど、義足とか手配したし、援助もしたんで、残りの人生は何とか自分で頑張ってもらいたい。
憎い教会の奴らは、散々奉仕活動でこき使ってやってやったぜ。
これからも、奉仕活動で働いてもらう予定。
教会ってそんなもんじゃない?
後日、
元第一王子の死体が、王都の富裕層の空き家から見つかったそうだ。
閉じ込められた様子もなく、暴力を振るわれた形跡もなく、食べ物や水が近くにあるのに手を付けてもおらず、死因がよく分からなかったそうだ。
人間、一週間、水も飲まないと死ぬからね。
追体験の合間に、強い意志を持って、食事したりすれば、生きてられたと思う。
同じような人達を助けようという強い意志があれば、中断できるように設定しといた。
無理だろうな、とは思ってたよ。
ナターシャの予知は精度が高い。
ナターシャ父娘が無自覚に使っている時空属性魔法は、まだ僕も習得できていない。
元側妃の方は、公爵夫人が手をまわしている。
僕と同じく、修道院で大人しくするかを分岐にしたようだ。
御者に賄賂を渡して、逃げようとしたんで、助からないところに放置。
崖で転落死したらしい。
今は、ナターシャと公爵家の後継教育を受けている。
オルガ嬢が遊びに来たから、中断。
「あっ、これ公爵家の後継用の資料ですか?見ちゃダメなやつですね」
「これは全然構いませんのよ、ほら」
「?橋の建築方法、こっちは堤防の作り方?」
「ロフスカヤ公爵家の土魔法を効率的に使えるような教育ですわ」
「……お、思ってた後継教育と違う……」
それは僕も思った。土魔法も使えて良かったよ……
何はともあれ、今は幸せです。
読んで下さってありがとうございます。
前書きにネタバレしてしまいましたが、最後の方で、2回ばかり騙された気持ちになっていただけたら、作者的に本望な気がします。騙されなくても全然構いませんが。
入れられなかった、どーでもいい設定。
マキシムが感情的になったり、強力な魔法を使うと、髪と目の青みが増す。
滲み出した魔力によるもので、魅了魔法の効果を持つ。
なので、最後に元第一王子が出会ったマキシムは5割増くらい美形になっています。なんて無駄。
本編のナターシャ視点を書き終わった時点で、関連作品は全く考えていませんでした。
自分が思ったより遥かにご好評頂けたので、何とか捻り出して、蛇足だったかな?という後悔もあります。
オルガ視点が出来た時点で、マキシム視点まで書いて完成かな、と思いましたので、何とか、ここまで書きました。
最初マキシム視点を書く前は、オルガ視点で作品の明るい部分と説明は受け持ってもらったので、マキシム視点では、暗い部分をササッと書くだけ、と思いましたが……
オルガ視点(説明回、テンションが斜め上に飛んでった)→マキシム視点(ざまぁ回、暗い)=落差酷い
やっちまったな、と思いまして、マキシム視点を単独でも読める、ちょっと明るいところも、に変更しました。
結果、文字数が増えてしまい、申し訳ございませんでした。
お付き合い下さり、本当にありがとうございます。
ポイントやいいね、ブクマして下さった方、ありがとうございます。