其の一
ツグナイ
この世には、行ってはならない場所がある。
呪われていたり、単純に危険だったり。
信じない人もいるだろう。
ただし、信じても信じなくても、結果は変わらない…。
「肝試し?」
「ああ、肝試し。ほら、裏山に廃墟があるだろ?あそこに出るらしいんだよ、霊が。」
クラスのお調子者であり、幼馴染である、春宮凛汰の言葉に、クラスのアイドル、天野咲妃は怪訝な顔をする。
「行かない。私、やりたいことあるし。」
「えー、行こうぜー。」
凛汰は尚も説得を試みるが、咲妃の首は縦には振られない。
しかし、次の凛汰の言葉で、先の負けず嫌いに火が付いた。
「あ、分かった。怖いんだろ。」
「は?」
咲妃は勢いよく立ち上がると、凛汰を睨みつける。
咲妃の整った顔立ちは、鬼のように恐ろしくなっている。
「行く。そんな所、怖くもないし。」
「お、おう。じゃあ、今日の放課後に裏山の麓の公民館集合で…。」
「分かった。」
咲妃はそのまま、教室を出ていった。
残された凛汰がぽつりとつぶやく。
「化け物もあいつの怒った顔なら怖がるんでねぇの?」
***
夜8時、凛汰と咲妃は、山道を歩きだした。
目指すは、壊れかけた小さな古民家。
周辺の住人からも、ほとんど存在を忘れられたようなその家には、15分ほど山道を登れば到着する。
7月とはいえ、8時ともなるとさすがに辺りは闇に染められている。
「く、暗いね…」
「まあ、夜だしなー」
凛汰は懐中電灯で足元を照らしながら先導する。
「お、ここだ。」
山道を途中まで歩くと、横にそれる細い道があった。
この道もまた存在はほとんど忘れられていて、手入れなどはもちろんされていない。
二人はその道に足を踏み入れた。
少し歩けば、その古民家があるはずだ。
「雑草が多くて歩きずらいな、ってうおっ!?」
「へ?な、何?」
凛汰が木の根のような太い何かに足を引っかけ、転ぶ。
「んだよ、いてえな。」
「だ、大丈夫?」
「ん、ああ。どこも怪我してねえ。よし、それじゃあ行くか。」
切れた木の根のようなものを足で払い、先に進んだ。
「あ、これがその古民家?」
少し歩くと、開けた場所に出た。
なるほど、ぼろぼろの古民家が建っている。
「なんか、気味が悪い…。」
咲妃がつぶやく。
障子はもはや枠すら朽ちていて、土壁もはがれている箇所が多い。
そのままホラー映画の撮影に使えそうな場所だ。
「ん?」
凛汰はふと気づき、足元を見る。
「何だこの石、でかいな。」
足元に敷き詰めてある砂利には、ところどころ河原に落ちているような、大きめの石が混じっている。
「ね、ねえ凛汰、帰ろうよ。もう時間も遅いし…。」
「そうだな。あーあ、結局何もなかったな。」
二人は何事もなく山を下り、それぞれの家へと向かった。
***
「行ってきまーす…。」
凛汰はいつも通りドアを開け外へ出る。
昨夜は興奮したせいか、なぜか違和感を感じてよく眠れなかった。
大あくびをして、歩き出す。
「ん?」
家の前に、平べったくてつるつるとした大きめの石と、磁器製の小さな皿が置いてあった。
「なんだこれ?柚子か?」
妹、柚子が置いたのだろうと考え、そのまま学校へと向かった。
「おはよう」
「おう、おはよう」
教室に入ると、咲妃が話しかけてきた。
「昨日、寝れなかったんだよね。なんか変な違和感を感じて。」
「俺もだ。怖くて興奮しすぎたんじゃないのか?」
「こ、怖くなかったし!」
ふわあ、とあくびをする。
その時、後ろから視線を感じて振り返る。
「…?」
誰もいない。不気味なくらいに、廊下には人が一人もいなかった。
「…考えすぎか。」
廊下に生徒が来たのを確認してから、自分の席に座った。
***
「ただいまーっと」
何事もなく授業を終え、家へと帰ってきた。部活もバイトも無かったから、いつもよりも早い。
「柚子は…塾か。」
荷物を置き、冷蔵庫を開ける。
ふと、また後ろから視線を感じた。
「柚子か?」
そう言って、自分がおかしなことを感じ、言っていることに気が付く。
今立っている場所の後ろには、壁しか、ない。
「……ッ」
後ろを振り返るが、当然何もいない。
「ははっ、まあそうだよな…。」
冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、一気に胃袋に注ぎ込む。
ここで、咲妃からチャットが来た。
『なんか、変な視線を感じるんだけど…。』
画面に映るそのメッセージを見た途端、冷汗が噴き出る。
「…偶然、だよな?」
遠くで鳴く蝉の声が、いやに大きく聞こえる。
『俺もだ。まあ疲れてんだろ。明日は休日だし、ゆっくりしようぜ。』
打ち込むんで送信ボタンを押すと、すぐに既読が付き、かわいらしいスタンプでの返信が来る。
「はぁ、ほんと、疲れてるな。」
***
「行ってらっしゃい」
柚子に見送られて家を出る。
「はあ、結局土日もよく休めなかった…」
土曜日は部活があり、日曜日は、急に家に友達が押しかけてきて、近所の大型ショッピングモール、EAONに連行され、彼女へのプレゼント選びに付き合わされた。
「お?」
家の前にあった石が増えている。前は一つしかなかったはずだが、今は絶妙なバランスで縦に積みあがっている。
対して、皿は依然空っぽのままだ。
「柚子もなかなか器用なことするなぁ。」
学校に向かって歩き始めた。
「はよーざいまーす。」
教室に入る。
しかしそこに咲妃はいない。
いつもはかなり早く来る彼女にしては珍しい。
俗里と背筋が寒くなった。
また、視線を感じる。
後ろを振り返ると…
咲妃が立っていた。
「おはよう…。」
「おはよう。寝坊しちゃった。」
咲妃は可愛く舌を出して言った。
「そ、そうか。」
やっぱり、考えすぎだよな。
***
5日が経ち、土曜日。
家の前の石は一日一個ずつ順調に積み上がり、今や9個。
皿はやっぱり空っぽのまま。
「なんなんだ…。」
ここのところ毎日、視線を感じながら生活している。
部活にも身が入らない。
「凛汰、ボール行ったぞ!」
「へ?」
次の瞬間、サッカーボールが顔に直撃する。
「いってぇ!」
「ごめん凛汰!大丈夫か!」
「やっぱり疲れてんなぁ…。」
翌日、日曜日。
早朝に、凛汰は悪夢を見て目が覚めた。
「はあ、夢か…」
ひどい夢だった。
咲妃と並んで歩いていると、自分は河原へと飛んだ。咲妃はいなくなっていた。
その後も自分は歩き続ける。景色は途中、森へと変わり、そしてまた、元の河原に戻ってくる。
しかし、戻ってきたとき、その川は真っ赤に染まりあがり、そして、上下で半分に分かれた咲妃が浮いていた。
せっかくの日曜日、ゆっくり寝ていたかったが、そんな夢を見てもう一度寝れるわけもない。
時計を見ると、3時1分。
少し早いが、起きて顔を洗う。
タオルで顔を服と、また視線を感じた。
「……」
すぐには振り向くことはできなかった。
夢のことももちろんあるが、それよりも、
一瞬だけだったが、鏡に黒い影が映ったからだ。
一分ほどその場で硬直し、視線を感じなくなり、やっとその場から動いた。
「…はぁ。」
ゆっくりと息を吐きだし、机に向かう。
別に勉強熱心なわけではないが、スマホをいじるよりは集中できると考えたからだ。
一時間程すると、新聞配達が来る音がしたので、外に出た。
石は一つ増えて、10個になっていた。
皿は、空っぽのまま。
「はあ…」
昨日、石について柚子に聞いたが、そんな石は知らないと言われ、疑問はさらに増えた。
と、そこに咲妃からチャットが来た。
『3時ごろ変な夢を見て早く起きちゃった…。』
蒸し暑い空気がこもる部屋にいるにもかかわらず、寒気がした。
『俺もだ』
すぐに返信が来る。
『家の前に変な石もあるし…。なんなんだろ。』
…偶然か?偶然なんだよな?
『俺の家にも、ある。』
『なんか、怖いね』
『ああ。』
『ね、今日予定ある?』
特に何もない。
『特にないぞ。一日中ゲームでもしようかと思ってた。』
『じゃあ、EAONでも行かない?気晴らしにさ。』
『いいな。じゃあ、10時ごろでいいか?』
『おっけー。じゃ、また後で。』
スマホを机に置く。
さて、と。着ていく服でも選ぶか。
特に何もなく、EAONで一日遊び、帰り道。
家からの最寄り駅から出て、並んで歩く。
「いやー、楽しかったねぇ。」
「そうだな。視線も感じなかったし。」
「…うん。やっぱり、気のせいだったのかな?」
「そうだろうな。疲れてたんだ、絶対。」
咲妃に、というよりも自分に言い聞かせるように言う。
事実、EAONにいる間、視線は感じなかった。
他愛もない話をしながら歩き続け、咲妃の家に着いた。
二人の家は50mと離れていない。
「それじゃ、また明日、学校でな。」
「うん、またあし―――」
咲妃が固まる。その視線は、今通ってきた道に注がれている。
そこには、小学生くらいの少年が立っている。
それだけなら、別段おかしな光景ではない。
しかし、二人とも、絶句せざるを得なかった。
その男の子には、腕が4つあった。
そして、眼孔はぽっかりと空いている。
「ひっ!」
咲妃が小さく悲鳴を上げる。
その化け物は、大きく吊り上がった口から何か言葉を発すると、驚くべきスピードで走ってきた。
「逃げろッ!」
とっさに叫び、咲妃の手を引いて走り出す。
しかし、つかんだ手を引くと、あっけなく咲妃の体が倒れた。
文字通り、身体しか倒れなかった。
ゴトッという音とともに、近くに咲妃の首が落ちる。
「あ、あああ」
悲しみが、怒りが、恐怖が、
湧くよりも早く、釣りあがった口からは、また言葉が発せられた。
今度は、はっきりと、聞こえた。
「アッチモ、10コツメタァ」
瞬間的に、言っていることがわかった。
鍵となるのは、積みあがった石だ。
自分の家まで全力で走ると、そのままの勢いで、積みあがった石を蹴とばし、崩す。
すると、その化け物は霧散した。
「なんなんだ…なんなんだよ!夢か?夢だよな?」
そういって咲妃に、咲妃だったものに駆け寄る。
まだ少しだけぬくもりが残る。
整った顔立ちは恐怖に満ちたまま落ちている。
脳内に、文字が浮かび上がる。
『タチイリキンシ』
どこかに書いてあったわけでもない。
思い当たることと言えば、あの古民家。
ずっと頭の隅にあった一つの可能性。
しかし、別にあの場所は立ち入り禁止じゃなかったはずだ。
そこまで考えて、足音に気が付いた。
さっきまではうるさかった蝉は鳴きやみ、ただ足音だけが響く。
顔を上げ、足音がする方に目をやる。
2メートルほどのミイラのように細い人型の何かが立っている。
その手には、木の根っこ。
いや、根っこに見えるそれは、紙垂が付いた、しめ縄だった。
そして、そのしめ縄には、紙垂だけでなく、赤く「立ち入り禁止」と書かれた木製の看板が垂れている。
凛汰の脳内に、あの夜のことが浮かぶ。
古民家にたどり着く少し前に、つまずいた、あれ。
あれは、木の根ではなく、立ち入り禁止と書かれた看板と、しめ縄。
恐ろしいくらいに頭が働き、さらに恐ろしい可能性を導き出す。
人型は、ニタリと笑うと、言った。
「チョーダイ?」
「待っ…!」
凛汰の視界は、闇に染まった。
「オネダリ様、という言い伝えがあってなぁ、縄張りに入ると、目ぇつけられて、家の前に皿を置かれるんだ。その皿に食い物を置けば、満足して帰っていくそうだが、置かないで放置しておくと、しびれ切らしてその目ぇつけた人間食っちまうんだ。
え?何で知ってるかって?あったんだよ、昔な。オネダリ様に目ぇつけられて、食われちまった人間が。
…おいおい、そんな顔すんな。冗談だよ。言い伝えられてることなんて、大体自戒かなんかで、実際起こる分けねぇんだ。
最近の事件?ああ、この、高校生が2人惨殺されたってやつか。
知らんが、ストーカーか強盗じゃないかね。少なくともあんた、
言い伝えの化け物が犯人ってことはあるめぇ。
んなことはあんたら警察が考慮するもんじゃぁないだろ。」
風鈴が響く縁側で、老人は若い警察官に静かに語る。
そばにある新聞が、風でめくれる。
『高校生惨殺死体見つかる
恐ろしいほどの力で引きちぎられた可能性』