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「おじゃまします……」
小さな家なので、入った瞬間にリビングだった。それでも一通りの家具が揃えられており、不自由なく暮らしていることが窺える。
きちんと掃除も行き届いており、彼の几帳面さを映したような部屋だ。
十三歳でローシェの元を飛び出してしまった弟子だが、しっかりと錬金術師として自立できているようだ。厳しく育ててしまったが、彼の役には立つことができたらしい。
「アーくんどこ?」
そう呼びかけるも、リビングに併設されている扉は玄関の他には三つしかない。半開きになっている扉の先を覗いて見ると、すぐにアルベルテュスを見つけられた。
ここは浴室だ。彼はお風呂の準備をしていたらしい。
あらかじめ汲み入れておいたのか、浴槽にはたっぷりと水が蓄えられている。ローシェの家のお風呂と同じならば、浴槽の底に魔法陣が描かれているはずだ。
アルベルテュスは浴槽の中に木炭を一本入れると、次に錬金術には欠かせない錬金液を流し込んだ。
「アルケミア」
錬金術を発動させる呪文をアルベルテュスが唱えると、一瞬だけ光を放った浴槽からは次の瞬間には、温かそうな湯気が立ち始めた。これが錬金術師特有の、お風呂の焚き方である。設備に乏しい森の中などでは、非常に役に立つ。
「まずはお風呂に入りましょう。師匠も脱いでください」
「ふえっ!?」
躊躇なく服を脱ぎ始めたアルベルテュス。ローシェは慌てて後ろを向いた。
「まっまさか、いっしょにはいるつもり?」
「はい」
「ローシェは、あとでいいよ。アーくん、さきにはいって……」
今のローシェはとても汚れているので、お風呂が必要なことはよく理解できる。しかしながら幼児化したローシェにも、それなりに羞恥心は残っているのだ。
アルベルテュスが幼い頃には一緒に入ったりもしたが、立場が逆転したからといってすんなりとは受け入れられない。
「ですが、僕と一緒に入らないと……溺れますよ?」
「…………」
まさかと思いながらローシェは背伸びして、浴槽の中を覗き込んだ。そこそこ深そうなので、彼の言うとおり溺れる危険性がありそうだ。何よりローシェは、この不安定な幼児体型が信用ならない。
「恥ずかしいなら、タオルを巻いてください。僕も巻きますから」
アルベルテュスの提案を渋々受け入れたローシェは、マントを脱ぎ捨てて代わりにタオルを巻きつけた。
その姿をまじまじと見つめたアルベルテュスは、すぐさま浴室から出て行くと、何かを持って戻ってきた。
「傷薬も飲んでください。今の師匠なら、お湯が染みて大泣きしそうですから」
弟子とのやり取りで傷の痛みなどすっかりと忘れていたローシェだが、思い出したかのように擦り傷がジンジンと痛み出す。
けれどアルベルテュスが差し出した飲み薬は錬金術で作ったもので、高額で取引される貴重な薬。弟子の収入を奪いたくはない。
「ローシェ……、いたくないもんっ……」
「涙目で言われても、説得力がありませんよ。ほら、口を開けてください。苦いのは我慢してくださいよ」
無理やり口に流し込まれると、すぅっと傷の痛みが消えていく。それと同時にこの薬独特の苦さが、ローシェの口いっぱいに広がった。
再び顔を歪めるローシェの口に、続いて何かが放り込まれる。
口の中に広がる味が一気に塗り替えられたので、ローシェは目をぱちくりさせた。
「……あまい」
「飴は甘いに決まっています」
泣かれると面倒だと思っての行動だろうかと、ローシェは首を傾げた。
それからローシェは、弟子に抱っこされながらお風呂に入るという羞恥を味わった。
(もう死にたい……)
威厳ある師匠の姿はもう、どこにもない。ここにいるのは立派に成長した錬金術師と、無力な幼女だけ。
無意識のうちに口をお湯につけて、ぶくぶくと遊んでしまう自分が悲しい。
「師匠、それ楽しいですか?」
「きかないで……」
その後もアルベルテュスは、テキパキとローシェの身体や髪を洗ってくれた。
「お湯をかけますので、目を閉じてください」
言われたとおりに目をぎゅっと閉じ、さらに両手で目を押さえながら、ローシェは『おかしい』と疑問を抱き始める。妙に弟子が、子供の世話に慣れているではないか。
「アーくんもしかして……、かくしご、いる……?」
「馬鹿ですか。僕はまだ十六歳ですよ。なぜ、そのようなことを聞くんですか?」
仮にも師匠相手に『馬鹿』呼ばわりはひどい。いかに弟子に嫌われているかを、実感できる発言だ。
「だって……。こどものおせわが、じょうずだから……」
「それは、師匠を見ていたからです。僕にも、こうしてくれたでしょう」
「あ……」
ローシェが彼を保護したのも、ちょうど彼が三歳の頃。当時のアルベルテュスは人間不信だったので、付きっ切りで世話をして安心させることから始めなければならなかった。師匠と弟子となる前の話で、唯一、彼に優しく接していた時期でもある。
思えば先ほどもらった飴も、ローシェが幼いアルベルテュスへ薬を飲ませる際に使っていた技だ。
(あんな昔のこと、覚えていたんだ……)