黒き赤鬼の娘 (1.23挿話)
火の神の創りし灼熱の世界。
その世界の片隅には、鬼が棲む――
そこは、恐ろしいマグマの海に囲まれた孤島。
外界とは隔絶された、閉鎖的な土地である。
その土地は熱く、そして岩が多い。
そんな環境で生息出来る生物は、あまり多くはない。
赤鬼――。
そう呼ばれる、燃えるような赤い頭髪と、二本の立派な金色の角と瞳を持つ彼等は、そんな環境の中で慎ましく暮らしていた。
人口は、百にも満たない。
彼等の寿命は長いが、出生率は低い。
これでは発展性も無いのだが……彼等の住まう地は、苛酷な環境である。食料も豊富では無いのだ。
だから寧ろ、彼等にとっては、それで良かった。
出生率の低さについては、彼等の生態に原因がある。
赤鬼族の女性は、その長い生涯の内に、最高でも二度しか出産する事が出来ないのだ。
何故なら、赤鬼族は、産まれた直後に歩ける程、成長した姿で誕生するのだ。
母体の――腹を破って。
その出産は、生物として見れば、人間同様二足歩行の赤鬼族が、人間でいうところの5歳児程度の大きさの赤子を産むという事だ。
あるいは、四足歩行の大型草食動物ならば、普通の事ではある。
しかし、二足歩行の人型生物の場合、それが人間よりいくらか身体が大きかろうとも、当然のように産道は機能せず、腹が内側から裂ける様になったのだ。
人間であれば、自然分娩の形がそれだと、確実に死ぬ。
だが、赤鬼族は、幸いにして自然治癒力が高かったが故に、それを可能とした。
苛酷な環境を生き延びる為に、種として選んだ進化の結果である。
しかし、いくら治癒力が高い種族とはいえ、出産が重なる程に、固く治癒してしまう腹を破られる事は、死の危険が迫る事なのだ。
それが三度目ともなれば、子が腹の中から出られずに死ぬか、よしんば出られたとしても、その破裂のダメージには、母体は耐え切れなかった。
赤鬼族として、その土地に住まうようになってからというもの、連綿と繰り返してきたその生命のサイクルは、苛酷な環境に対する答えだ。
しかし、そのサイクルは、いつの間にか次第に間隔が広がっていったのだ。
――
ある日、赤鬼族の女性が、出産を迎える事となった。
その女性にとっての、初産である。
そして、赤鬼族にとっても、実に約百年ぶりの出産だった。
正確には96年なのだが、長きを生きる彼等にすれば、4年程度は誤差でしかない。
だが、久しく新たな生命は誕生していなかった為、赤鬼族は、少々浮かれ気味だった。
「シュカ!おめんとこのアカネさ、元気け?まァじき産まれンだろ?これ持ってけェ!」
「おお、ライドけェ。わりィな!美味そな火鶏でねェが!」
「ナンのナンの!目出てぇ事だかンな!長かァらも、御触れが出とるでェよ!なんせェ100年ぶりだけェな!宴の準備もしとるンだとよ!」
「おお、ありがてェ事だわィ。」
「かっかっ!こんな事でもなけりゃあよ、宴なんぞは出来ンからなァ。ワシらァにしても、ありがてェ事だわィ。まァ、早う帰ぇって、アカネにそれ食わせたれェや!」
「おうヨ!」
シュカと呼ばれた一際大柄な赤鬼は、受け取った火鶏の脚をしっかと掴み、住処へと戻って行った。
「アカネー!戻ったぞ!ライドの奴がよォ……お、オイ!」
シュカが住処に戻ると、赤鬼族の女性が、お腹を押さえて蹲り、呻いていた。
「う……うぅ……、アンタ……女衆……呼んどくれェよ……」
息も絶え絶えといった様子で、アカネは振り絞るように、懇願するように、言葉を発した。
シュカは、掴んでいた火鶏を放り投げると、返事もそこそこに走り出した。
「ま、待っとれェ!すぐに呼んで来るでェよ!」
――
赤鬼族の出産は、自然分娩が帝王切開のようなものだ。
いや、寧ろもっと酷いものだろう。
今から行われるのは、外科的手術。
しかも、内側から破裂する腹や内臓を繋ぎ、塞ぐのだ。
それは、素人には、難しい事だ。
そして、現存する赤鬼族には、出産経験者及び補助経験者は、実はあまり多くない。
赤鬼族の寿命の限界は、1000~1200歳程度。
だが、彼等を取り巻く環境があまり良くない為、平均寿命は、400歳程。
出産可能年齢は、300歳程度まで。
だが、そもそもの着床率自体が低い為に、妊娠する事すら稀だった。
故に、300年という長い年月があれども、一向に人口が増えないのだ。
そんな背景があって、呼ばれた女衆は、戦々恐々としていた。
「アカネ、大丈夫だろかィねェ……?アタイらァの手伝いなンかで、ちゃんと産めンだろかねェ……」
「アンタら!ボサッとしとらンと!サッサと準備せンかィねェ!」
「あ、あいヨ!」
シュカとアカネの住まいは、この集落の中では、二番目に大きな建物だ。とはいえ、簡素な掘っ建て小屋を三つ程繋げただけという有様である。
その中で、慌ただしく右往左往する女衆。シュカを始め男衆は、外に締め出され、ヤキモキとした心持ちで、中の様子を伺っていた。
そこへ、女衆を大声で呼び集めていたシュカの声を聞きつけた赤鬼達が、続々と集まってきていた。
「シュカ!もう産まれるンか!アカネに火鶏食わせる間ァすらなかったンけェ。」
「ライド……。」
「あぁ、産後に栄養付けたりゃええわィ!かっかっ!婆さも、中におるンだろ?安生よ、安生!」
しかし、その言葉も虚しく、建物の中では不安気な空気が漂っていた。
「婆さ、アカネ……おかしくないのけェ……?アタイん時ゃ、こんな風じゃァなかったでねェか。」
「そうよな……。」
婆さと呼ばれた赤鬼の女性……(見た目は30代といったところではあるのだが)は、やけに苦しむアカネの様子を見て、顔を顰めた。
「こんな事ァ初めてだわィ。
……お、おィ!ちょっと待て!何だィこりゃあ!腹が光りだしたじゃないかィ!」
「うぅ……あああァァァあぁーーーー!!」
「あ、アカネぇぇえぇー!!!」
俄に光りだしたアカネは、絶叫を発する間に閃光に呑み込まれてしまった。
そして、周囲の者達は、その激しい光に目が眩み、瞼を固く閉じるしかなかった。
「う……あ……ぁ……」
そして数瞬には、力無く漏れ出ただけの、アカネの呻き声と、ポタポタという水音だけが響く。
その水音は、新たな生命が誕生した音だった。
「どォしたァ!」
異変を感じ、中に飛び込んで来たシュカの目に映ったのは……
目を押さえて蹲る女衆に囲まれた、腹が内側から裂け、臓物と血の海を作っているアカネと……
その海に佇む、黒髪の幼子――我が子の姿であった。
「う……お……あ……な……なンだこりゃァァァ!」
――
「黒髪……」
「忌み子かィ……」
「産まれる時、様子もおかしかったしねェ……」
「忌み子……」
アカネの治療を始める為に、産まれた子を取り上げなくてはならないのだが、その場にいた赤鬼族達は、直ぐに動く事が出来なかった。
やっとの思いで目を開けたところにいた、一人の"黒"を持つ幼子に、戦慄を覚えたからだ。
――その幼子は、既に言葉が理解出来ている。
自分が、受け容れられない存在なのだという事も、取り囲む大人達の顔色で、理解出来てしまっていた。
そして――見下ろせば、腹が裂け、散乱した臓物と血の海を作る、己が母が、生気を失っている。
少女は思った。
この場から動かねば、母の治療が始まらない。このままではいけない。
だが……何処へ?
世に生を受け、踏み出す記念すべき第一歩目は、冤罪で処刑台に送られる死刑囚の歩みが如く、絶望に満ちていた。
――アカネは、その二日後に死んだ。
その手に我が子を抱く事も無く。
一目見る事すら叶わずに。
それは、赤鬼族からすれば、あまりにも呆気なく、唐突な、死。
その死をもたらせたのは、治療が遅れてしまった事が原因だったのだが――赤鬼族は、そうは思わなかった。
「シュカよ。」
「長……。」
「我が娘アカネは、最期何ぞかァ言うておったか?」
「子供は、無事ィ産まれたンか、おかしィところォはないかァ、と。頻りに……」
「そォか……。」
「で、あの忌み子は、どォするンだ。」
「殺しはせンがァ……。忌み子は、祟ると聞くでなァ……。」
少女は、シュカの住処の横に新たに設けられた、犬小屋のようなものに、鎖で繋がれていた。
時折、エサも与えられる。
だが、赤鬼族の誰からでも、その姿を見掛けられれば、石を投げ付けられたり、棒で打たれたりする。
アカネの仇だ、忌み子だ、不吉の子だと、そう罵られながら。
それは、殺される程ではない。
だが、少女はエサが与えられる時以外は、小屋の隅で震えて過ごした。
――
――四年後
灼熱の世界を治める神――火の神が、鬼族の住まう島に訪れていた。
「ふむ。ここは、あまり変わらぬな。
長よ。久方振りではあるが、どうだ?」
「は、はぁ。それが……。」
火神は、各地を十数年に一度訪問し、発展の様子見や、直属の配下の勧誘を行っていた。
各部族の長には、近況報告の義務を課している。
だが、赤鬼族の長は、言い淀んだ。
忌み子の件だ。
しかし、報告しない訳にもいかなかった。
神に逆らう事は、一族の滅亡にも繋がりかねない。
「ふむ。忌み子とな。どれ、見せてみよ。」
長は、仕方無く案内をした。
そこは、お世話にも建築技術が高いとはいえない簡素な造りの建物。
その脇に作られた、小さな犬小屋の様なもの。
その奥に、その忌み子は居た。
乾いた血の跡だらけのボロボロの布切れを一枚纏い、あちこち擦り傷や、打撲痕が見受けられ、腫れ塞いだ目、土埃や何かで汚れきった姿は、最早……鬼族かどうかすら、判別がつかないものだった。
「ふむ。此奴……この島には、必要なさそうであるな。我が貰い受けよう。」
火神がどの様な心根でそう言い放ったのか、長には分からなかったが、厄介払いが出来た……と、安堵した。
――
「鬼族の娘よ。名はあるか?」
「……ありません。」
「そうか。我は、名を与えてやる事は出来ぬ。
が、代わりにこれをやろう。」
火神の住処に連れてこられた鬼族の少女は、刀とそれを操る剣豪の記憶を与えられた。
「……何故ですか。」
「何故、か。勿論、備えである。
励めよ!かっはっはー!」
火神は、多くを語らなかった。
以来、百余年。
少女は、特に疑問を持つ事も無く、火神の元で、修行と、時折与えられる任務に明け暮れた。
火神の元を離れる、その日まで。
――
西の山に、化物が出た――。
灼熱の世界において、化物が顕れるなど、滅多にある事では無い。
しかも、その山は、ドワーフ達が鍛冶に使う素材が良く採れる山だ。
討伐か、放置か――。
放置してしまえば、生産が止まる恐れがある。それに、化物が移動しないとも限らないのだ。
火神は、いつものように、"刀鬼"に任せる事にした。
火神から依頼され、鬼の少女は討伐任務に赴く。
百余年を共に過した、大小の得物のみを携えて。
鬼の少女と、化物の戦い。
それは、語り継がれる事は無い。
だが、死闘だった。
情報通り、岩のような化物だったのだが――その化物には、刀での斬撃は効果が薄かったのだ。
斬れども斬れども周りの岩を吸収し、再生を繰り返す。
少女の研ぎ澄まされた斬撃に対抗し、暴れ狂う化物。
中々留めを刺しきれずにいる内に、少女も手傷を負わされていた。
結局、戦闘開始から、化物の核を斬り裂くまでに、丸一日を要した。
それは、剣豪である少女にしてみても、かなりの大仕事だった。
――
化物の討伐任務を何とか完遂し、しばしの休暇を与えられていた少女は、その傷も漸く癒えた頃、火神から呼び出された。
「刀鬼よ。」
「……はい。」
「我からの、最後の命を与える。」
「最後……ですか。」
火神からの言葉に、遂に自分も冥界行きか、それとも放逐か……と、少女の脳裏によぎる。
「そうだ。我に、新たな名"グエン・オージン"を与えし若き神に仕え、支えよ。」
想像とは違う依頼に、少し戸惑いを覚えたが、これもまた、体の良い厄介払いなのかも知れない。
この少女には、そんな風に考えてしまう癖があった。
「かしこまりました。その御方は、どちらに。」
「今は、我に名付けた事で、神力が枯渇した様でな。眠っておる。」
――
生まれ故郷で忌み子と蔑まれ、迫害された少女は、火神の計らいにより刀術を得て、今では刀鬼と呼ばれるようにまでなった。
然し、故郷での経験は、彼女の根底に深く刻まれている。その爪痕は、彼女の心を冷たく凍らせていた。
彼女は、火神には恩がある。という事実は分かるが、特にそこに感情は無い。
自身で目的が持てないから、従っているという方が正しい。
彼女は、火神グエンに申し付けられた通り、"次の主"が寝込んでいるという部屋に赴く。
ノックをしても、やはり返事は無い。
彼女は、世話も申し付けられている。
中に入り、"次の主"を覗き込んだ。
そこに寝かされていたのは、亜麻色の髪をした、今の自分よりも更に幼く見える神族。
どんな神なのかは、詳しくは教えられていない。
しばらくの間、いつ目覚めるとも分からない、その幼い神族の寝顔を眺めていると、少女は、不思議な気持ちになった。
火神から命じられた最後の依頼を、きちんと全う出来るのかという不安。それと混在する、今まで感じた事の無い気持ち。
それが何なのか、彼女には分からなかった。
だが、これが……
忌み子とされた、黒き赤鬼の娘の
運命の岐れ路だった。
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