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アルカディーナ言行録 初稿

 展示番号075  個人蔵


 とある修道院の書庫から発見された文書。

 書簡の形式で書かれてはいるが、シスター・ユリア直筆による「アルカディーナ言行録」初稿、もしくは原案の一部とみられる。

 貴方様もご存じのように、エリカ・ド・アルカディーナ様については、多くの逸話があります。

 その中の一つに、あのお方が神々の恩寵を信じていなかったというお話もあります。私はこの逸話を聞くたびに、とても悲しい気持ちとなるのです。

 はっきりと言って、これは大いなる誤解です。

 確かに、時として神々への不満を漏らされることはありましたが、そのようなことは誰にでも起こりうることでしょう。なのに、その一つをことさらに大きく取り上げて、不信心呼ばわりは納得いたしかねるのです。

 あのお方が如何に神々へ祈り、またその恩寵を人々へと分け与えたか。

 私は、アルカディーナ様のお傍にお仕えした経験を後の世へと伝え、その誤解を解きたいと思っております。



 私はかつてアルカディーナ様に問いました。

 人が生きる上で、最も大切な信仰は何でしょうかと。

 彼女の答えは意外なものでした。

 『人が生きるために信仰なんて要らない。必要なものは、衣、食、住よ』と。

 これは神聖語にて、お答えになられました。


 「衣」とは、身に纏う服の事です。

 服を着ていなければ、暑さ寒さを防ぐことも出来ずに死んでしまいます。また、人前に出るためにも服が必要です。

 「食」とは、食べ物、飲み物の事です。

 これには説明も不要でしょう。何も食べずに生きている生命など存在いたしません。

 「住」とは、家の事。

 風や雨露を防ぐだけではなく、落ち着ける場所が無いと人は安心して暮らせません。


 『神への信仰などは、これが満たされてから考えても遅くはない』

 『衣食住、これらは神々の領分ではなく、人の領分である』

 『糸を撚り、機を織り、服へと仕立てる。作物を植え、魚をとり、調理して口へと運ぶ。木を切り、石を積み上げ家となす』

 『これらのどこに、神々の介在する余地があるのか』と、仰られました。


 私が、人が生きるための糧をお与えになられたのが、神々なのではないでしょうかと、問いますと、

 『素材を与えたのは神様でも、形にしたのは人の力である』と、お答えになられました。

 そして、『生きる糧というものは、天から降ってわいたものではない。人の手で探し出し、成したものである。故にこの三つの命題こそが、生きるためには最も大切な課題である』と、結論付けられたのでございます。


 思えば、アルカディーナ様は「衣食住」の充実に、とても熱心なお方でした。


 家での服、外で動くための服、寝る時の服、戦装束に聖務での修道服、高位の方々とお会いになられる時の豪華な服。衣装棚には数えきれないお召し物が並んでいました。

 お食事にも気を配っておられ、行商人が持ち込んだ食材から、常に新しいお料理を編み出しておられまし、ニースを繫栄へと導いた砂糖も、お料理の過程で思いつかれたと伺っております。

 お住まいへの拘りも強く。特にグリーア(ガラス)の窓への関心はとても高こうございました。グーリアの窓は雨風を防ぎ、何よりもアルカディーナ様が苦手であられた、虫の侵入を防ぐのです。


 このように列挙すると、貴方様はアルカディーナ様が贅沢をお好きな方だと思られるのかもしれません。しかしながら、そうではございません。

 数多くの御衣裳は、アルカディーナ様がその時々に何をなさっているかを、見る者たちへと無言でお伝えする為の手段であり、数々のお料理は、新しい発想を常に生み続けるための実践であり、グーリアの窓への御関心は、室内での作業をより高める為のものなのです。

 決して、他人に見せびらかしたり、自慢なさったりするものではございません。

 


 また、ある時。私が問いました。

 行き倒れになっていたアルカディーナ様をお救いするために、神々はエリック様をお遣わしになったのではないでしょうか。これは、神々による恩寵ではありませんか。と。

 この問いには、少し困ったようなお顔をなさった後に、こう答えられたのです。


 『エリックが私を助けたのは、彼が優しい人だったから。彼が優しいのは、彼自身の資質であって神様の力ではない。善良な彼を差し向けたことまでは否定しないけども、もしもエリックが悪い人だったら、今の私は居ない。乱暴されたり、奴隷として売り飛ばされていたかもしれない。それは恩寵ではなく、只の悲劇でしかない』と。

 そして、こうも仰いました。


 『人のみが人を救える。神様は見守る事しかできない』と。


 『神々は恩恵のきっかけを与えることはできても、実際に救うために手を差し伸べるのは人であり、その救いの手を取るかも、また人の判断でしかない』と。

 『エリックが私に救いの手を差し伸べたのは彼の良心の発露であり、その救いの手を掴んだのは私の直感の成せる業なのだと。助けようとするのは善意であり、助かりたいと思うのは本能である』

 『神々に救いを求める前に、善良な人に救いを求めよ。善良な人は余裕のある人である。だからこそ余裕のある暮らしが大切なのだ。余裕のない人にまで善意の行動を求めるのは、貧乏人に借金を申し込むようなものである』と。

 『余裕とは金銭や物質の豊かさだけではなく、心の豊かさも含まれる。そしてこれらは、単独で存在している物ではなく、相互に影響し合うものなのである』

 その後、少しですが、教会の事をお褒めになられました。

 『貧しい人にパンを配り、病人の看護を務め、悩める信者の相談に乗る。時には孤児を引き取り養育をする。これらはとても素晴らしい行いである』と。


 アルカディーナ様が教会について褒めるなどと、何を当たり前の事をと、仰られるかもしれませんが、こと、エリカ・ド・アルカディーナ様においては、教会をお褒めになる事は少ないのです。

 あのお方は常に、教会組織の腐敗と不正に目を光らせておられました。故にお言葉が厳しくなることもございましたが、決して教会を軽んじていたのではなく、むしろ重んじておられたからこその、苦言だと私は理解しております。


 いつかアルカディーナ様が仰っていました。

 『期待をできない人に、かける言葉は何もない』と。

 『多くの人を救うためには、多くの財が必要なのは確かではあるが、それでも際限なく、かき集めればよいというものではない。自立した上で余裕をもって人を助けることが、教会の健全な有り様である』と。


 教会に大いなる期待を寄せていたからこその、お言葉であるでしょう。

 アルカディーナ様はその全ての活動において、人の役に立つことを目標となさった方でございます。

 砂糖のギルドを設立なさったのも、魔法使いとして北の国境線を超えて奮戦なさったのも、ご自身の為もありましたが、その行いのお陰で多くの人が救われたのでございます。

 砂糖は小さな村であったニースを今日の様に栄えさせるきっかけとなり、遠い北の国境線でのご活躍により、多くの無辜の民たちが暴虐の嵐をその身に受ける事無く暮らせたのです。

 それは、ご自身が行き倒れた時に、ご領主様に助けられた恩恵を、遍く人たちに分け与えたいとの思し召しから来た奉仕なのです。


 『助けられたから。助ける。単純な事よ。だから、貴方が助かりたかったら、誰かを助けたらいいの。その為の教会であり、修道会なの。神様ってのは、その手助けをしてくれる存在よ』


 このお言葉を発したアルカデイーナ様は、少し照れたような笑顔を浮かべておいででした。信仰心のないお方のお言葉ではございません。



 信仰についてですが、エリカ・ド・アルカディーナ様が最も信仰なさっていたのは、太陽の神「ウル・ハイル」でございました。

 ある時、ご領地であるモンテューニュを散策なさっていたアルカディーナ様が、海へと沈む夕日に向かって拝礼をなさいました。

 私はアルカディーナ様が、教会以外で拝礼をなさるお姿を見たのはこの時だけです。太陽神に強い信仰をお持ちだったことが窺えます。

 拝礼の作法も独特で、両の手で強く二回拍手をなさってから、両手を合わせたまま人差し指をおでこに付け、目を瞑って祈りをささげた後に、一礼をなさいました。

 私も共に祈りをささげた後、太陽神を敬っておられるのですね、と伝えますと。


 『お日様あっての、命、光、大地である』と、仰いました。

 また、『お日様がこの世界の中心であり、大地も含め我々はその付帯物でしかない』とも仰せになられました。

 アルカディーナ様は光と風の魔法を操る魔法使いでもあり、この世の不条理から人々をお救いになられる慈悲の化身でもあられます。暗闇切り裂き大地を照らす太陽神と、ご自身を重ねておられたのかもしれません。


 この言説をもって、アルカディーナ様を非難なさる方々が少数いらっしゃいますが、これは傲慢の心から生まれた振る舞いではございません。

 傲慢ではないという証拠といたしまして、我が修道会ではアルカディーナ様に対して拝礼することは厳禁とされております。

 聖別されたばかりの頃は、「様」などの敬称で呼ばれることすら嫌がったお方でございます。時が経つにつれ敬称については受け入れたと申しますか、諦められたと申しますか、嫌がられることは少なくなりましたが、ご自身に対しての拝礼だけは、ついにお許しになりませんでした。

 アルカディーナ様は高位の方と面談するときには、ご自身が拝礼をなさることを厭いませんでしたので、拝礼の全てを忌避したわけではございません。ただ、ご自身に対しては挨拶以上の礼は不要であると、厳しく定められたのでございます。

 事実といたしまして、村の子供たちがエリカ、エリカと、お名前ではやし立てた時は、とても嬉しそうになさってお出ででございました。

 私どもは事情を知らない他所から来た信徒や修道士に対して最初に説明することが、アルカディーナ様への拝礼の禁止なのです。



 我が修道会の特色として、音楽に力を入れていることは貴方様もよくご存じの事でしょう。

 これは、アルカディーナ様と修道院長様のお二人が共に音楽を好んでいたからではございますが、それだけではございません。

 アルカディーナ様は仰いました。


 『音楽は救いである』と。


 院長様も、ご自身の辛い逆境の中で、最も寄り添ってくれたのは音楽であったと仰られ、以降、我が修道会では、音楽の素養を必須の習得事項となったのでございます。

 言いにくいのですが、私は讃美歌の斉唱や楽器の演奏を得てとしておりませんでしたが、そのようなことは重要ではありません。

 どの様な音楽であれ、音楽そのものを楽しむ心持が重要であるのです。

 また、音に合わせて体を動かすことも、重んじられておりました。


 『音楽と共に自然と体が動くのは、普段は押さえつけられている衝動の表れであり、動くことによって喜怒哀楽が表現される』と。


 アルカディーナ様は幼少よりお父上様から、バルバットの手習いを伝授されておられたので、とてもお上手でございました。

 落ち込んだり嫌なことがあった時などに、ニースの浜辺で一人、バルバットを奏でられている姿をお見掛けいたしました。直ぐに子供たちが集まってきて歌いだすので、たちまち賑やかな催しへと変わります。私も幾度とのなくアルカディーナ様の声楽を拝聴したものです。

 『音楽は人の心を慰め、一時的であろうと嫌なことを忘れる効能がある。楽しい時にはその楽しさを倍増させるのも、また音楽の効能である』と、仰られていたものです。

 故に我が修道会では、他の会と比べても音楽に力を入れているのでございます。

 私が音楽の神について問うと、『ジミヘン』という神の名を唱えられたこともございました。良く分かりませんが、アルカディーナ様のお父上様が良く言っていた神の名だそうです。



 また、アルカディーナ様は、稀代の学者でもあられました。

 中でも教会において第一人者であられたのが、神聖語の巧みさです。

 それはもう、どれほど長く修業した者でも、あのお方に並ぶものはおりませんでした。

 神々のお言葉である神聖なる言語は『ニホンゴ』とも呼ばれ、アルカディーナ様のお生まれになった国では、皆がこの神々の言葉で会話するとのことでございました。

 故にアルカディーナ様と会話をすると、多くの神聖語を耳にする事が出来ました。また、より上位の神聖語も頻繁に口になさいますので、私はそれを記録し、折を見て意味を教えて頂きました。


 ここで、私の自慢話になりますがお許しくださいませ。

 私は長年、アルカディーナ様に付いてこの聖なる言葉を学び、『免許皆伝』のお言葉を賜りました。

 意味といたしましては、アルカディーナ様に代わり、他の方にも神聖語を教える事が出来るほど上達したとの証でございます。

 『もしかしたら、またこの地に、神聖語を話す人が迷い込むかもしれない。その時はユリアが助けてあげて』との、お言葉を賜り、その日一日は嬉し涙が止まらなかったことを覚えております。



 この様に、エリカ・ド・アルカディーナ様は、決して傲慢なお方ではなく、お優しく、人の生活と心を救うために活動をなさったお方なのでございます。

 貴方様に、神々とアルカディーナの祝福が降り注ぎますよう、お祈り申し上げます。



             ユリア


 スピンオフ作品は、思いついた時にちゃちゃっと書いてしまうのが吉。

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― 新着の感想 ―
エリカが後で読んだら悶絶しそうだなぁ
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