異世界君主論 第一話
本作は「異世界チート知識で領地経営しましょう」の外伝にあたります。
ニースの村はレキテーヌ地方の片隅。街道から外れた海沿いの入り江の奥に広がっている。
つい最近までは、何処にでもある田舎の漁村であったが、新しい領主が就任してから、その力は日に日に増していた。
領主の名はエリック・シンクレア・センプローズ。
ニースで生まれ育った青年が、北の国境での戦いで武勲を上げ、生まれ故郷を封土として授けられたのだった。
その若き騎士を補佐するのは、一人の女性であった。
名をエリカ・クボヅカ・センプローズ。
道の途中で行き倒れていたところを、まだニースの代官であった頃のエリックに助けられ、以後、ニースの村の住人として暮らしている。
頭脳明晰な女性で、今はエリックの右腕として辣腕を振るっている。
「はい。今日はエリックに君主としての、心構えを学んでもらおうと思います」
エリカは大きな本を前に宣言する。
様々な知識が書かれたこの本の存在が、エリックの大躍進の原動力であった。
だが、エリックにはこの本を読むことはできない。
なぜならば、この本は全編、高等神聖語と呼ばれる難解な言語で書かれていたからである。
通称「魔導士の本」この本は、エリカにしか読めないのだ。
「君主? 騎士の心構えじゃないのか?」
「似たようなものよ。それに今から勉強しておけば、いざ君主になった時に困らないでしょ」
「俺は、君主になる気は無いんだが」
「甘い。そんな事でセシリアお嬢様を迎えに行けると思っているの。今の十倍の領地を目指しなさい」
「エリカはどうなんだ」
エリカも武勲を立て、ニースの隣のモンテューニュ騎士領を拝領している騎士であった。
「私はいらない」
「いらないのに教えられるのか」
「私が教える訳じゃないもん。魔導士の書が教えてくれるの。いいから始めるわよ」
「構わないが。分かりやすく頼む」
「善処します」
エリカは魔導士の書を読み上げ始める。
「えっと、題名は『君主論』著者はニッコロ・マキャヴェリ。君主の心得が書いてあるみたいね。題名だけなら私も知ってる」
「エリカの国の人か?」
「違う。イタリア人よ。イタリアのフィレンツェ出身。いいなぁ。行ってみたいなぁフィレンツェ。オシャレな街でジェラートとか食べたい」
「どこにあるんだ」
「物凄く遠く。たどり着けないぐらい遠くよ」
エリカは地球から異世界に転移させられた転移者である。
「で、そのフィレンツェという国の君主だったんだな。著者は」
「うんん。君主じゃないわよ」
「君主じゃないのか。でも、君主の心構えが書いてあるんだろ。君主でなければ書けないだろう。そんなもの」
「普通はね」
「普通はねって、からかっているのか」
「違うわよ。このマキャヴェリって人が普通じゃないのよ」
「君主でなければなんなんだ。君主の血族か何かか」
「書記官」
「は?」
「だから書記官よ。フィレンツェの街の書記官。書記官が何をする役職か知らないけど。きっと会議で書記の仕事をするんでしょうね。簡単に言えばお役人よ。お役人。オルレアーノの街にもいたでしょ。あの人たちと同じ仕事よ。たぶん」
「おいおい、大丈夫なのか。街の役人に君主の心構えを説かれても、説得力がないぞ。誰も聞いてくれないんじゃないか」
「そんなことないわよ」
「どうしてだ」
「誰も聞いてくれなきゃ、私の国の本屋さんに並んでいる訳ないじゃない。むしろ、ただの役人なのに君主の心構えが分かっているからこそ、有名になったのよ。このマキャヴェリって人、数百年前に生きていたのよ。そんな人の著作が今でも読まれているんだから、内容が凄く良かったのよ。きっと」
「そう言われるとそうだな。しかし、役人から君主の心構えを教えられるっていうのが・・・」
「だって他に教えてくれる人いないじゃない。将軍様に聞いてみる」
エリックは騎士に成る前は、レキテーヌ侯爵の代官を務めていた。その侯爵の呼び名が将軍である。
「なんて聞くんだ」
「将軍様みたいになりたいです。どうやったらなれますか」
「聞けるか。子供じゃあるまいし」
「でも、他の誰に聞くのよ。若殿?」
若殿とは将軍の跡取りである。
「・・・その本でいい」
「心配しないでも大丈夫よ。この本に影響された人をマキャベリストって言うぐらいなんだから。有名人よ。有名人」
「ただの役人なのにか」
「言ったでしょ。普通じゃないって。エリックだって普通にしてたらセシリーまで届かないわよ。普通じゃない力が必要なの。だから普通じゃないマキャヴェリがマストなの」
「神聖語を混ぜるな。でも、分かった。普通ではない力か。確かにな」
エリックは将軍の娘で幼馴染のセシリアを、妻に迎えるべく奮闘している最中であった。平民から騎士に成ったとはいえ、侯爵の娘を妻に迎えるには、まだまだ身分も実力も足りない。
やれる事は全てやるつもりだ。
「うん。この人、普通じゃないことに関しては折り紙付きだから」
「続けてくれ」
「では、参ります」
エリカは咳ばらいを一つ。
① 君主国にはどんな種類があり、どのように征服されたか
「君主国には代々統治している君主の国と、新しく出た君主が統治する国の二つに分かれるみたいね。エリックの場合は新しく出た君主よ」
「まぁ、そうなるな」
「新しく手にした場合は、力ずくで手にしたのか、それとも他人の力のおかげなのか、運なのか力量なのかでも分かれるみたい」
「俺の場合は国王陛下より封建されているから、力ずくではない。運か力量かでいえば運だな。運が良かった」
「運じゃない。力量よ」
「いや、運だ」
「たとえそうでも、ここは力量って言いなさい。覇気が大事なの。覇気が」
「なんだそれは」
「なんかこう、グワーって自然とあふれ出る力の事よ」
「そんなものは出ないぞ。エリカと違って、魔法使いじゃないんだからな」
「まぁ、確かに」
エリカは魔法が使えた。
奇跡の力だが、本人は種も仕掛けもない手品程度の感覚であった。
② 世襲の君主国の場合
「世襲じゃないぞ。新参だぞ」
「そうね。でも、いずれ世襲になるわよ。エリックの子供が次のニースの領主なんだから」
「子供もいない」
「それは、セシリアお嬢様に頼みなさい。取りあえず概要は、世襲の国は維持が簡単。昔からの習わしに沿って運営すれば、滅多と失敗しないみたいね」
「昔からの習わしが大事なのは分かる」
「生粋の君主は、人を虐げる動機も必要性もないから、どちらかというと慕われるみたい。エリックもニースが生まれ故郷だから、みんなから慕われているわよね」
「だといいんだけどな」
「大丈夫よ。領主になった時は、歓迎してくれたじゃない」
「まぁ、そうだな」
「エリックも、村の人を虐げるつもりもないでしょ」
「当たり前だ。そもそも、人を虐げる動機ってなんだ。思いつかない」
「さあ。お金が足りなくて、税金を重くするとかかなぁ。私の国も年々税金が重くなっていく」
「それは嫌だな。気を付けよう」
「うん。そうしてちょうだい」
③ 混成型の君主国の場合
「混成型?」
「本領がある君主が、別の領地を獲得した場合みたい。分かりやすくいえば、エリックが私の領地を征服した場合よ」
「どうして、俺がエリカの領地を征服しなきゃならないんだ」
「たとえ話に突っかからないの。この場合は大変みたい」
「そうだろうな。ありとあらゆる揉め事が起こりそうだ」
「私の領地を保持する場合は、私を抹殺するのが簡単な方法なんだって。殺しておかないと奪還されるかもしれないからね」
「随分と物騒な事が書いてあるな。だが、偶に聞く話ではあるな」
「そうなんだ。怖いわね。それ以外は今まで通りにして置けば、揉め事は最小限に収まるみたい。統治が穏やかであれば、領民からしてみたら誰が統治者かなんて、特に気にしないからかな。私も京都市の市長が誰でも気にしない。大作でもいいし、違う人でもいい」
「そんな事はないだろう。全く知らない者に統治されたくはないと思うぞ」
「まぁ、知らないより、知っている方がいいもんね」
「ああ」
「言語も風習も違う場合は、もっと大変だって」
「言葉も風習も違うのに統治なんて出来るのか?」
「だから難しいんだって。この場合は君主本人が新しい領土に住むのがいいみたいよ。暴動が起こった場合でも、直ぐに対処できるからね」
「離れて住むよりはいいだろうな。遠くだと手遅れになるし、そもそも言語も風習も違うのなら現地に住んで学ぶしかない」
「うん。その通り。他には移民兵?ってのを使うといいみたい」
「何だそれは」
「兵隊を移民させるのかなぁ。よく分かんない」
「ふーん。ドルン河北岸に、マキナという町がある。軍団を除隊した者たちが集まって作った町だ。それと同じものだろうか」
「ドルン河の北岸って周りは全部、北方民の領土じゃない。大丈夫なの。その町」
「たまに襲われるらしい。撃退には成功しているが」
「なにそれ。大丈夫じゃないじゃない。守りの軍隊を送った方がいいんじゃないの」
「何人かはいるだろう。規模までは知らないが」
「だったらいいけど・・・あれ、本には駐屯軍は駄目だって書いてある」
「どうして駄目なんだ。意味が分からない」
「お金がかかるから」
「お金・・・だからって放置できないだろう」
「そうなんだけど、そうなったら収益よりも経費の方が大きくなって、その町が君主のお荷物になるんだって」
「国境警備は損得ではないと思う。その町で収益が出なくても、全体を見れば多くの地域が安全になるんだ。お荷物って事はないだろう」
「確かにね。ああ、だから移民兵なのかもよ。移民だったら経費が節約できるんじゃないかな。ニースの村を将軍様に守ってもらうより、私たちが守った方が手っ取り早いし安上がりだし」
「それなら納得だ」
「後は、周りの小さな勢力と仲良くしておけばいいみたい。私達でいえばジュリエットと仲良くしているわよね」
「アマヌの岩壁の一族は、俺たちより遥かに強大だけどな」
アマヌの一族は北方民の一部族である。先の戦いで協力関係になっている。
「尚更、頼もしいじゃない。普段から仲良くしないと、いざ問題が起こってからでは遅いからね」
「ジュリエットがその気になれば、ドルン河は一瞬で突破されるかもしれない。守れる自信がない」
「あの子、強いからね」
「強すぎるよ」
④ アレクサンダー大王が征服したペルシャ帝国は、大王の死後に反乱が起こらなかったが、その理由は何処にあるのか
「ん? なんか学校で習ったのと違う。大王の死後、後継者戦争が起こったとかなんとか聞いた記憶がある」
「そのナントカ大王ってのは誰だ。聞いたことが無いぞ」
「大昔の凄く戦争に強い王様よ。小さい国から大きな帝国を征服したんだって。でも若くして死んじゃったから、彼の帝国は幾つもの国に分かれたのよ。シリアとかエジプトとか」
「すまん。帝国ってなんだ。王国とは違うのか」
「あっ、そこからですか。うーん。なんて説明すればいいのかな。難しいわね。騎士の代りに役人が多くて、色々な民族を支配しているおっきな国? みたいな?」
「良く分からん」
「えっとね。基本的には強力な軍隊を持っていて、その軍事力で多くの国々を併呑した超大国よ。どこかの国が力ずくでこの国を征服したら、それが帝国」
「剣に誓って言うが、そんな事はさせないぞ」
「分かってるって。たとえ話よ。たとえ話。アレクサンダー大王の天才的な力で多くの国を統合したけど、その天才が死んじゃったら帝国は崩壊したのよ」
「偉大な君主が死んだら、それは分裂するだろう」
「そうよね。普通に分裂するわね。ここはたぶん本が間違ってる。でもマキャヴェリが言いたいのは、騎士が沢山いる国は征服しやすいけど、統治はしにくい。役人が沢山いる国は征服しにくいけど、統治しやすい、って事みたい。まぁ、私達には関係ないかな」
「騎士が沢山いたら征服しにくいだろう。何を言っているんだ」
「私に怒んないでよ。本には諸侯や騎士にはそれぞれの思惑があるから、力を合わせるのが苦手って書いてある。敵の寝返り工作とかで分断されるんじゃないかな。ヘシオドス家の一件もあったじゃない。役人は一家じゃなくて個人だから寝返りとかしても影響が低いのかもよ」
「・・・・・・そうかな」
「封建諸侯の中には常に不満分子や変革を望むものが一定数いるから、侵略する側がそういった人たちを味方につけやすいのよ」
「敵の甘言に乗ってしまう、輩が現れるんだな」
「そうそう、だから内部の手引きにより征服は簡単らしいけど、征服した後に味方してくれた連中が問題を起こすみたい。役人の国だと、統治者を根絶やしにしてしまえば、残された役人たちは従順に従うけど、封建諸侯の場合はそうはいかない。味方してくれたのだから根絶やしにするわけにもいかないし、各地に独自の力を持っているから、統制が難しいみたいね」
「再び寝返る連中が多いと言う事だな」
「自分の利益のために国を裏切ったのだから、もう一回裏切るのだって訳ないわよ」
「俺はそんな事はしないぞ」
「言われなくても分かってます」
続く
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参考文献
「君主論」新訳 マキアヴェリ著 池田 廉訳 中公文庫
「わが友 マキアヴェッリ」フィレンツェ存亡 塩野七生著 中公文庫