危機 002
生徒会役員に立候補した者は自身の意気込みを伝えるため、生徒の前でスピーチを行うことになっている。
三階にある大教室に、一年生の大部分と教員数名が集まり――彼らの演説が始まるのを待っていた。
候補者三人の中で、ほぼ百パーセント当選すると言われているのが……入学成績トップの魔術師、エイム・フィールである。
彼は涼しい顔をしながら、教卓の上に三つ並べられた椅子の一つに座っている。
この教室にいる大勢は、彼がどんな言葉を述べるのかに興味を持っているのだろう。
しかし一部の学生の間では、別の人物が注目されていた。
エイムの双子の妹であり、魔法が使えない落第魔女――エルマ・フィールである。
落第組から生徒会選挙に立候補した厚顔無恥さに惹かれ、半ば見世物小屋的な好奇の目に晒されている彼女だが……未だ候補者用の席に座ることなく、姿を見せていない。
それどころか、朝のHRにも顔を出していなかった。
「……なあ、そろそろ始まるっぽいけど、エルマはどうしたんだ?」
一向に現れない彼女に疑問を持ったレグが、隣で暇そうにしているシルバに訊く。
「ああ? 知らねえよ、そんなの。寝坊でもしたんじゃねえの? それか腹壊してるとか」
「なるほどな」
エルマの芯の強さを少なからず知っている彼らは、別段心配しているという風ではなかった。
だが、他のクラスの者たちは違う。
「ねえ、エルマって子、全然出てこないね」
「恥ずかしくなったんじゃない? 落第組から立候補するなんてありえないしねー」
「しかも魔法も使えないらしいぜ、魔術師のくせに」
「うそー! なんで立候補したの? 頭おかしくない?」
「魔術師だからって、自分が特別だって勘違いしたんじゃねえの?」
「兄貴は優秀なのに、妹がそんなんだと可哀想だな」
いたる所から、そんな憶測や悪口が聞こえてくる。
「……もしかして、大分評判悪い?」
「まあ、妥当な反応だな……とは言え、クラスメイトがあれこれ言われんのは、気分わりいぜ」
「……シルバって、意外と情があるよな」
「意外ってのは何だ、おい……まあ、魔術師はいけ好かねーけど、それでも一応仲間だからな。エルマがどう思ってるかは知らねーが」
獣人は他の種族に比べて、仲間意識を非常に大切にしている。それは彼らが「群れ」を好む習性の表れだ。
――最初に会った時とは、大分印象違うなぁ。
周囲の空気に不満そうな顔をするシルバを見て、レグは思う。
粗暴な態度が多く不良少年なのだと思っていたが……彼が理不尽に暴れたのは、猫呼ばわりされた時だけだ。
今でもポロっと猫っぽいと言いそうになるが、できるだけ我慢しようと――レグは再度心に決める。
「……なんだレグ、急に頷いて」
「何でもない……って、あれ?」
教室内がエルマに対する嘲笑で盛り上がり始める最中――レグは、一人の少女が廊下に出ていくのを見つける。
「……サナ?」
それは、赤い髪をした人間の少女。
サナ・アルバノだった。
◇
「……」
あと数分で演説が始まるという段になって、サナは大教室を抜け出した。
スピーチの聴講には全員参加を求められているが強制ではないので、彼女を咎める者はいない。
現に、教室に来てすらいない生徒も何人かいる。
「……」
サナは不機嫌そうな表情を隠さずに廊下を進んでいた。どこに向かうというわけでもない――ただ、あの場の雰囲気に耐えられなかったのだ。
――……何で私が気まずくなってるのよ。
時間になっても姿を見せないエルマに対し、あらぬ憶測や悪口を言い合っている空気に不快感を覚えたのだが……それが何故なのか、自分でもわかっていない。
――昨日あんなことがあったから気になってるだけよ……。
エルマと魔術師組の生徒が揉め、経緯はどうあれ彼女が土下座しようとしたのを目撃したサナは……内心、酷く混乱していた。
「はあ……」
魔術師に碌な奴はいない――過去の経験からそう決めつけていた彼女は、エルマと初めて会った日、些細なことで逆上してしまった。
この子も、自分たち人間を見下している、と。
だがよくよく思い返してみれば……あの青い瞳の魔術師は、人間を馬鹿になどしていなかった。言葉の端々に棘はあったが、それは彼女の強い意志の表れだったのだろうと――サナは遅まきながら納得する。
それに加えて、昨日の出来事。
レグのために頭を下げようとしたエルマの姿が――頭から離れない。
――どうして……あんなことをしたのよ。
サナは唇をかみしめる。
魔術師はノーマルを見下し、差別する。
だからこそ、ソロモンで成り上がることで、そんな彼らに一泡吹かせたいという思いが彼女の中にはあった。
それなのに。
魔術師にも良い人がいるなんて知ったら、決意が揺らいでしまう。
「……」
サナは握った拳を見つめた。
――私は、アルバノ家の名に恥じない騎士になるために、ソロモンに入学した。例え人間であっても、魔術師より上に立てると証明するために。
掌に熱がこもる。
――……大丈夫。私は何があっても、この学園で強くなってみせる。
落第組に入った生徒は、例年惰性で学園生活を終えることが多い。
だが自分は違うと――サナは改めて決心する。
家の名に恥じぬため。
差別してきた魔術師を見返すため。
私は、必ず成り上がってやるんだと――彼女の赤い瞳が、再び輝き出した時。
ふと、廊下の先で角を曲がる、二人の魔術師が目に入った。
「……あれは」
見覚えのある風体に記憶が刺激される。
――……うん、昨日エルマさんと揉めていた中の二人だわ。間違いない。
直後、嫌な予感がサナの脳内を走り抜けた。
魔術師組の生徒なら、自分たちのクラスから立候補したエイム・フィールの演説を聞きに行くだろう。
そうでなくとも、昨日一悶着あったエルマを嘲笑ったり、どんなものかと見物したりするために、やはりあの教室に向かうはずである。
だが例の二人は、全く逆の方へと歩いていった。
「……」
嫌な予感を振り払おうと頭を振るが……直感が、サナの体を突き動かす。
――ああもう! 何で気になっちゃうの!
廊下をまっすぐ進む。
角を折れたが――既に魔術師たちの姿はなかった。
「……【ワープ】!」
他の大教室に人の気配はない。とすれば、彼らも【ワープ】を使ってどこかに移動したはずだ。
――一年生がいける階層は限られてる……とりあえず、手あたり次第ね。
サナは自分の行動に疑問を抱きつつ、魔術師たちを追う。




