第17話 男女の距離感
「ラミナ、今日は一緒にランチしてくれてありがとう」
サフィリーンは微笑みながら、向かいに座るラミナに声をかけた。
今日はラミナと、彼女の幼馴染である令嬢二人──マリノアとミスティア──の四人でランチを楽しんでいる。
入学から一年、ようやく学園の食堂で食事をする機会に恵まれた。もっとも“食堂”と呼ぶにはあまりに豪奢で、まるで高級レストランのような内装とメニューだ。
「何ですの、急に」
ラミナは猫の目のようなつり目を細め、少し警戒するような表情でサフィリーンを見つめる。首を傾げるたび、オレンジがかった赤い巻き毛がふわりと揺れた。
「初めて来たから嬉しくて。それに、ラミナたちと一緒に来られたのも素敵。ラミナ、なんだかいつもよりご機嫌じゃない?」
「べ、別に……暇だったからですわ。貴女とランチできて嬉しいだなんて、思ってるわけないでしょう!」
ラミナは頬をほんのり赤らめながら、そっぽを向いた。その様子を、幼馴染の二人は微笑ましく見守っている。
(わかる……ラミナは尊い)
「ラミナちゃんったら、本当はすっごく嬉しいくせにぃ」
砂糖菓子のような柔らかい声で間延びした口調をするのは、マリノア・ランブルス子爵令嬢。ミルクティーブラウンのふわふわした髪に、濃いチョコレート色の瞳。まるでお菓子のような甘い雰囲気をまとっている。
「マリノア!? ちゃん付けはやめてって、いつも言ってるでしょう! わたくしたち、もう学園に通う年齢ですのよ。いつまでも子供扱いはやめていただきたいわ!」
「マリノア、ラミナの言う通りよ。公私を分けましょう。でも、ラミナはこう言っておきながら、誰も呼んでくれなくなると寂しがる子だから。屋敷の中では、ちゃん付けに戻してあげましょうね」
凛とした声で諭すのは、ミスティア・ノーザントラ伯爵令嬢。漆黒のストレートヘアに、湖面のように澄んだ水色の瞳。同じ年齢とは思えないほどの落ち着きと気品があり、つい「お姉さま」と呼びたくなるような雰囲気を持っている。
「……貴女たち、わたくしをからかってますのね?」
ラミナは顔を真っ赤にして抗議する。怒っているように見せかけているが、どう見ても羞恥で赤くなっているだけだ。鮮やかなエメラルドグリーンの瞳は、うっすらと涙目になっている。
ツンデレ属性に子猫のような見た目──ラミナは三人にとって、まさに“尊い”存在なのだ。
「まぁまぁ、落ち着いて。みんな、ラミナが好きだから構いたくなるのよ。ラミナが可愛いのが悪いのです。ね、マリノア、ミスティア?」
「……いつもの変態が居ないと、やけに活き活きしてますわね。入学して一年経ちましたけど、悪化する一方ですわ。まだ婚約者も居ない者たちにとっては、目に劇毒よ。どうにかしなさいよ、サフィリーン」
フォローのつもりが、つい弄ってしまったサフィリーンに、ラミナはクロードへの嫌味をぶつける。
ラミナを通じて仲良くなった三人は、いつもこんな調子でラミナを囲んでいる。“ラミナは尊い”同盟──ラミナには内緒だけど。
「変態って……不敬の極みですわよ、ラミナ。べたべたな態度しか見てないから忘れがちだけど、あの方は皇国で二番目の権力者で、しかも異常なほど優秀なのだから、気をつけて。そういえば、今日は変態はいませんのね」
変態性は否定しない。むしろ日に日に酷くなっている。
サフィリーンは己の婚約者の嫌味はすべて受け止める覚悟である。
申し訳ない気持ちでいっぱいになりつつ、ミスティアのあの方で誤魔化しているけれど間違いなくクロードだろう不敬スレスレ忠言を訊く。
ミスティア的にはクロードは変態だが能力はチート級で、容赦のないタイプだ。それに将来の皇帝なのだから、一応はラミナには釘を刺しておく。ミスティアだって不敬スレスレではあるのだが。
「今日は急な公務が入って、どうしても抜けられないって。今朝、説明してくれた後に皇城へ戻っていかれたの」
クロードは涙目で城へ戻っていった。
自分は登校しないのに、いつものように屋敷まで迎えに来てくれて、学園まで送ってくれた。帰りも迎えに来ると言っていたけれど、忙しいのだからやめてほしいと諭しておいた。でも、きっと来るのだろう。
「殿下がサフィリーンより優先せざるを得ないことが起こるなんて、明日戦争でも起こるのかしらぁ。いやだわぁ」
マリノアの冗談に、ミスティアがギョッとした顔をする。
「縁起でも悪いことを言うのではなくてよ」
「冗談よぉ」
そんなやり取りの中、ラミナがふと思い出したように話題を変える。
「マリノア、あの噂って本当なの? マリノアの家と以前付き合いがあったクシュナ子爵令嬢のこと」
「ああ、真実みたいですわねぇ。お父様がクシュナ子爵との取引を打ち切って、私もアイカ嬢とこれ幸いと疎遠にさせていただいたのですけれど……やはり正解でしたわね」
マリノアは声を潜め、眉間に皺を寄せる。ミスティアも静かに頷いている。
「噂が真実なら、確かに正解ね。それに、行動がどんどん大胆になってるって話も聞いたし。真実だとしたら、もう“噂”とは言えなくなる日も近いわ」
ラミナも声を落として話す。
(噂……? クシュナ子爵令嬢とは面識がないけれど、三人のクラスには居なかったわね)
皇妃教育の一環で、皇国貴族の名前と絵姿はすべて把握済みのサフィリーン。見かけないけれど……と考えながら、会話に耳を傾ける。
「サフィリーン、何が何やらって顔してるわね。最近の学園内は、クシュナ子爵令嬢の噂で持ちきりよ。……ああ、変態がサフィへの情報規制してるのね。本当に性質の悪い変態だと思うけど、この手の噂を耳に入れたくない気持ちも、わからなくはないわ」
「そんなこと言われたら、ますます気になっちゃうわ。教えて、ラミナ」
仲間外れは嫌よ?と首を傾げるサフィリーン。
「……う、か、かわ……んんっ。ろくでもない噂ですわ」
ラミナは言いかけて、何かを喉に詰まらせたように咳払いをひとつ。慌ててお茶のカップに口をつけ、上品に一口だけ飲む。
「マリノアの話では真実らしいから、余計に……ろくでもないと感じますけれど。お話しますわ」
普段はツンとした態度を崩さないラミナが、珍しく言葉を選びながら話す様子に、三人は自然と身を乗り出す。
「クシュナ嬢は……男女交際のルールを逸脱──いえ、破壊しているのですの」
「破壊……?」
サフィリーンは思わず聞き返す。言葉の選び方があまりに物騒で、場の空気が一瞬だけ張り詰めた。
ラミナは視線を伏せ、カップの縁を指でなぞる。
「ええ。破壊、ですわ。貴族社会の常識も、礼節も、すべてを踏みにじるような振る舞いをしていると……そういう噂ですの」
その声には、軽蔑とも憐れみともつかない複雑な感情が滲んでいた。
サフィリーンは、ラミナの言葉に真剣に耳を傾ける。ラミナがここまで慎重に語るのは珍しい。だからこそ、その“ろくでもない噂”が、ただの娯楽では済まされない何かを孕んでいることが伝わってくる。
ご覧くださいまして有難うございました。




