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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Time over syndrome

作者: EDU先生

*この作品はフィクションです。



ああ、これで何度目だろうか、この日が過ぎて行くのは。

人々が"令和初"だのと騒ぎ飽き、過ぎ去っていく初夏を横目に見る。

8月9日。燦燦(さんさん)と微笑む太陽と、風物詩の跋扈(ばっこ)する時節。

蝉の鳴き声に、鬱陶しさとノスタルジーを感じながら、冷房がキンキンに効いた我が家へと帰宅するような。

海へ向かう高揚感と、ドアを開けた瞬間の異様な熱気が葛藤し、瞬殺されてしまうような、そんな季節。

俺は鎌倉の寂れたアパートで目を覚ました。午前四時。スマホにさっと目を通し、手頃なパンを手に取る。

食欲は無い。が、今日の事を考え、胃に詰め込む。消化される感覚はないけれど。

俺は呆けたように家を出た。まだ外は薄暗く、冷たい空気が心地よい。憧れの鎌倉だ。

大学進学を機に、バイトでコツコツと貯めた貯金を切り崩しながらボロいアパートを借りている。

ノスタルジックな街並みを眺めながら早足で階段を駆け下りる。夏も本番だというのに、肌寒く吹く風が妙に夏への渇望を掻き立てる。

「あら伊織くん。しばらく見ない間に大きくなったねぇ。」

「あ、どうも…...。」

「もう大学生だっけ?早いねぇ…ここに越してきたのが昨日のことのように感じるねぇ。」

「最近は物騒な事件が多いから気をつけてね......つい先日もN大学の変死体が発見されたそうだし......。」

隣に住む町子おばさんに出会ってしまった。話が長いことに関しては天下一品だ。

早いうちに旦那さんを亡くし、どうも寂しいのか俺を子供のように接してくる。

だが構っている暇はない。何せ俺は今から『人を殺す』。殺人をしようとしている者に気をつけて、など愚の骨頂だ。

少しでも自分の情報を消しておきたい。俺は話半分に彼女の話を聞き流し、長谷駅へと走り出した。

あの時の俺は幸せだった。願えば宙を翔ける鳥にでもなれた気がしたし、干からびているミミズにも堕ちてしまう気がした。

今となっては泡沫の夢に過ぎない。


「彼の有名なウィリアム・シェイクスピアはこう言った。

『後悔する! それこそ卑怯で女々しいことだ。』と。」

俺は大学の友人である真尋に会っていた。彼はこの件について唯一相談できる友人であった。

俺は虎視眈眈とした性格から、友人が少ない方だ。その中でも掛け替えのない存在である。

彼は哲学の授業を取っているらしく、よく偉人たちの名言を引用しては語り出す、端から見れば変わり者だ。

「おーい、僕の話聞いてるかぁ?」

「ん、あぁ。聞いてるよ。」

「それでどうするんだよ。本当にやるのか?お前。誰がそんなことをやってるのかも検討がつかないのか?」

今に至るまでの経緯を説明するとしよう。なにぶん自主的に殺人を犯す理由などない。


8月2日22時頃、俺はバイトを終え帰路に着いていた。暗い夜道、人通りも少なく何者かからの視線を意識してしまう時間帯。誰もいないのは分かっているのに、つい身構えてしまう。そんな時間帯。

だがその意識は、やがて現実となる。

真後ろで鳴る足音、背後に感じる人の気配、嗚咽のような荒い息遣い。その全てが、これから起こるであろう”惨劇”を予感させた。

「だれだ......」

俺が振り向くより早く”ソイツ”は口を開く。

「受け取れ。そして従え。さもなくば、死...」

背筋が凍りつく。全身の神経がピリピリして、1秒が1時間のように感じる。ボイスチェンジャーを使った無機質な声に、俺は恐怖と緊張で数秒の間動けなかった。

はっ、とようやく理性を取り戻した俺は、

「は?何言ってんだよ!」

と言い、振り向いた時にはもう奴はいなかった。

辺りを見回してもそれらしき人物はおらず、代わりに封筒が一つ置いてあるだけであった。

不気味な、白い封筒。両面テープで留められている。今にも飛んで行ってしまうようなその封筒を手に取る。

「受け取れって...これの事か...?」

宛名や郵便番号などは書いておらず、もはや封筒としての意義を見失いつつある。

アドレナリンのせいか、恐怖や状況把握よりも怒りが脳内を占めていた俺は、何の躊躇もなくその封を開けた。

中には一枚の小さな紙切れが入っているだけだった。

しかしそこに書かれていたのは、その無機質な紙からは想像もできない恐怖への(いざな)いだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一週間後の8月9日、"宮崎 沙耶香"を殺せ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

血で書かれているその文字に、俺は思わず吐瀉物をまき散らかしてしまった。


そのまま家に帰った俺はポストも確認せずにドアを開け、ベッドに倒れ込んだ。

「状況を整理しよう。まずだ、まず奴は誰なんだ?何が目的なんだ?

ボイスチェンジャーを使っていた...性別はわからない。

そして"宮崎 沙耶香"という名前...クソ...。」

心の安寧を保つために大声で独り言を言う。

"宮崎 沙耶香"は俺の元彼女で、同じ大学に在籍していた。

彼女はいわゆる"ヤンデレ"というもので、俺への犯罪行為とも思しき行為が絶えなかった。

携帯の徹底した管理。帰宅時間の制限。外出先へのストーキング行為......。

挙げればキリがなかった。そんなある日、バイトでのストレスが溜まっていた上に愛想も尽かしていた俺は、

彼女に別れ話を切り出してしまった......あとはセオリー通りだった。

地雷を踏まれてしまった彼女は怒り狂い、キッチンにあった包丁で号泣しながら俺の腹部を刺した。

そしてその包丁で手首を切断し自殺を図ったのだ。

俺は救急搬送され、1ヶ月程度の入院となった。ニュースにもなり、かなりの大事になった。

幸運な事に、悲鳴を聞いたアパートの住人が通報してくれたらしい。

それから一切の連絡をとっていない。が、今だにポストにラブレターじみたものが届いたりする。

果たして悪戯なのか醜く歪んだ愛なのかは置いておこう。

気持ち悪くて仕方がない。と思いつつも、どこかで別の感情を抱いている自分も否めなかった。

「アイツを殺せって?フッ。誰が従うかよ。」

恐怖から一転、嗤い飛ばしてやろうという気持ちにするために自己暗示をする。

高を括っていた俺は不意に尿意を催し、廊下へと出る。電気のスイッチを弄り、ドアノブに手を掛けた。

その刹那、

......ガコン。

と、玄関の方から自動販売機のような音がした。

あんな事が起きた後だ。焦らないはずはない。冷や汗がどこかから湧き出る。奴からのアクションに構える。

が、その音の後にはただ静寂が残るだけだった。

恐る恐るポストを確認しに歩を進める。

、、、スマートフォンほどの大きさの四角形の箱が入っていた。

先ほどの事もあり、しっかりと覚悟を決める。。

手の震えが止まらないが、残しておく訳にもいかない。

恐る恐る箱を取り出し、中身を取り出す。

その意味を理解するまでに数秒かかり、その後箱を落としてしまった。

箱の中には「家の鍵」が入っていた...

これが意味をするのはつまり、

「逃げ場はない」

「やらなければ殺される」

という事なのだろう。

その日は一睡もできず、朝になるまで家中の電気をつけて体を強張らせていた。

これが一週間前に起きた事。そして今に至る。一週間経っても策は見つからないままです。

「つっても警察も頼りにならないよなぁ。『被害が出るまではあまり動けません。最低限の予防には努めます。』とか適当な事言いやがって、宮崎の事件のこと知らないのかねぇ。」

「......まぁしょうがないよ。」

真尋の言葉を聞き流す。ここ最近煮詰まった生活をしている古びた喫茶店の匂いが心地よい。ぼーっと外を眺めてみると、

見覚えがある顔を見つける。

「あ、あれって佐々木教授じゃないか?」


彼は俺の大学の教授で、考古学を教えている。齢は48才で、特徴的な喋り方がチャームポイント(自称)だ。痩せ型の体型で、どこか病弱な印象を与える。プライベートでも少し交流があり、親戚のおじさんのような関係性になっている。

僕は丁度彼に本を借りていたので、それを返しに喫茶店を一人で走って出た。

「おや?伊織くんじゃあないか。」

「突然すみません先生。借りていた本を返しにきました。」

「おお、わざわざ届けに来てくれたのか。ありがとう。」

「すごく面白かったです!特に主人公が殺人鬼に追われている時の描写とか!」

「そうか。気に入ってくれたのなら良かったよ。」

「あの.....。」

「ん?どうしたのかな?」

「もし時間がよろしければ、少しお話しませんか?真尋もいるんですよ。」

「ああ、すまないね。今から妻の病院に行く道中なのだよ。」

彼の妻はステージ4の胃がんらしい。もう余命はほとんどないそうだ。

なので彼はしばし奥さんのお見舞いに行っている。

もう残された時間は少ないのだろう。ここで引き止めても迷惑でしかない......か......。

「あ、そうなんですか......時間を取ってしまい申し訳ありません。」

「気にすることは無いさ。それじゃあ。」

彼は足早に去ってしまった。話を切り上げて正解だったな。

俺は真夏の喧騒から少し冷え過ぎとも感じられる喫茶店に戻り、真尋のいる席へと着く。

「おお。本は返せたのか?」

「ああ。彼にも相談しようと思ったが、奥さんの見舞いに行くみたいだ。」

「......そうか。」

そのままこそばゆい空気が流れる。今日はそのまま解散になった。

俺は焦燥感に駆られながら帰路についた。

すると突然心地よいスマホの通知音が流れる。

......一通のLINEが来ている。特に何も考えずに心ここに在らずといった様子でアプリを開く。

そこには俺を発狂させるほど、見覚えがあるアイコンとメッセージが来ていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

宮崎 沙耶香 一件のメッセージ


「今日の20時、稲村ヶ崎で会いましょう。」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

何故だ......何故俺のLINEを知っている......!

登録は削除しているはずだ。誰かが情報を横流ししたとしか思えない。

稲村ヶ崎...殺す事に関しては絶好のタイミングすぎる......仕組まれている?

落ち着け......落ち着くんだ俺......これは誰かの悪質なイタズラ......なのか?

心臓の音がする。喘鳴が聞こえる。スマホを持つ手が震える。

冷たくなった指先で電源を切る。

俺は近くにある公園のベンチにへたりこんでしまった。

時計を確認すると、もう16時を回ろうとしている。赤く濁り始めて来た太陽が、俺の汗を奔流させる。

焦りのせいだろうかそれとも......。そんなことはどうでもいい。あの家に届いた鍵とLINEが、俺の思考を支配する。刻一刻と迫る時間。全てを捨ててどこかに逃げ出してしまいたい。そんな事を考えた。

「やる......しか無いのか。」

ポツリと独り言を言う。稲村ヶ崎は海のすぐそば。ちょっと詰めよれば突き落とせる距離まで迫れるだろう。

証拠も残らない......はず。

だが問題はもう一つある。大前提として俺はアイツに会って大丈夫なのか?仮にでも人を刺したような奴だぞ......。俺は貧乏ゆすりをして苛立ちを少しでも抑制しようとする。

不思議と彼女に対する恐怖はあまり感じない。この特異な状況のせいだろうか。それとも...

もう夜は近い。

俺は彼女を殺す事を心に決めた。


「順調すぎるのも興醒めだな。」


ー20時頃ー

今日の未明、雨が降っていた上に水はけが悪い土地だったので地面が少し湿っていた。

稲村ヶ崎。

海と接している、磯の香りがツンとくる穴場の観光スポット。とはいっても、夕暮れを過ぎると人っ子一人いなくなるような場所。

「あら、来てくれたのね。ダメ元って言葉もあるものね。」

そこに彼女はいた。岬の上に佇んでいる彼女はとても妖艶で、千里眼を持っているようだった。覚束ない輪郭でどこか儚げな表情をし、虎視眈々とこちらを見つめていた。

心臓を掴まれるような不敵な笑み、目元まで垂れ下がった長い前髪に、俺は蛇に飲み込まれるカエルを憶えた。俺たちは取り憑かれたような空気感の中、暗黙の了解のように海が見える公園のベンチに別々に腰を掛ける。冷たい空気がピリピリする。風が肌を刺し、フォトジェニックな光景が目に飛び込んでくる。

油断してはいけないのに、と頭のどこかで考えながら俺はその景色に目を奪われる。

......最初に口を開いたのは彼女の方だった。

「ずっと謝りたいと思っていたの。」

顔の表情は一切変えずに、しかし突然弱々しく発するその声に、

俺は不覚にも母性のようなものを感じてしまった。

「あの日のこと。本当に気が立っていただけなの。殺すつもりは......。」

「俺へのあてつけのつもりか...?それを言いにわざわざ?殺す気は無かっただと!

ふざけるなよ...。俺があのあとどんな目にあったか知りもしないのに!」

彼女の言葉を食い気味に遮りながら怒りを露わにした。

我ながら良い()()ができているのではないか。もはや心には罪悪感などとうに無かった。

心を鬼、いや、悪魔にして演じる。正常な人間なら幾ら脅迫されたからといって人を殺める事はないだろう。だが俺は手紙を渡された時は無かった感情が芽生え始めている事に気づいた。

()()()()()()()()()()()()()。と。

ふっ、と鼓動を整える。

案の定彼女はひどく動揺し、すかさず言葉を挟んだ。

「そんなつもりじゃ......。ただ私はあの日の事を謝りたくて......。」

「ああ、お前はまだイかれたままだったか。刑務所で少しは頭を冷やしていたのかと思ったのにな!」

いつの間にか立ち上がって彼女を罵倒していた。自分でもこれほどの暴虐的な語彙を思いつくとは思わなかった。将来は俳優になろうかな。ハハ。

「私は......ただ......。」

俺が今にも殴り出しそうなのを察したのか、涙で歪んだ顔を露わにして俺の腕にしがみつく。

「やめろ!離せ!」

と嘘を吐きながら都合が良いので手加減をし、完全に人から見えない死角まで引き摺り込んだ。ここなら半端に這い上がれるような高さではない。

「ねえちょっと!何でそっちに......!」

一心不乱に抵抗する彼女を見て、一瞬だけ俺に慈愛の心が芽生える。

「悪魔にならなければ死ぬ...」

と、自分でも聞き取れない声量で口に出す。

それにつられたのか、一瞬彼女の腕が緩まる。その隙に俺は全身全霊の力で彼女を海の方に引きずる。

「離して!!!」

と叫ぶが、もう誰の耳にも届かない。俺にさえも。

「謝るからぁ!!!!!お願い!!!!!」

彼女の腕を振りほどき、肩を思いっきり突き飛ばす。

その瞬間、彼女は俺の袖を掴んでいた。

「やばい、俺も..」

俺はバランスを崩し、宙を泳ぐ。

...

走馬灯が見えた。ここ最近の物だ。

彼女と過ごした楽しい日々、遊びに行った遊園地、一緒に暮らした部屋......

「ちょっと待っ...」

後悔していた。ずっとどうしようか迷っていた。ただ、もう遅かった。彼女の悲鳴は海の底に沈み、やがて消えていった。俺は間一髪後ろに倒れ、尻餅をつき、倒れこむ。ついさっきまで生きていた人間を、殺した......。

不思議と罪悪感は無かった。それよりもただただ美しい夜空と、先ほどまで聞こえていた悲鳴に魅了されていた。

俺はスマホのライトを付け、彼女が海底に沈むのを確認すると、辺りを見渡し、護身用のスタンガンを構えてみる...誰もいないようだ。自分でも何故殺したのかは定かではない。ただただ、この状況を利用していただけなのかもしれない。

トボトボと帰路につく。着ていたパーカーのフードを被り、月に照らされた舞台を降りる。

「けけけ。気持ちいいなぁ!」

その時の俺の顔面は醜悪で、とても人間のできる形相とは思えなかった。

...!突然腹部に痛みを感じ、その場に倒れこむ。

少しばかりの快感と愉悦を覚えていた俺は、背後から近く足音に全く気づいていなかった。

腹を押さえてみると、生暖かい血が溢れ出していた。助からない。そう悟るのは当然のことだった。

そうか。まあそうだよな。当然の報いだ。半分諦めていた俺に対して、奴は言う。

「君は従った。しかしこれで終わりではない。君が気づくまで、この地獄は終わらない。」

ボイスチェンジャーの声が妙に心地よい。もう、そいつの言う言葉の意味なんてどうでもよかった。

俺はただただ、後悔と快楽の狭間で揺蕩っているだけだった。

...

...

...ああ。どれだけ経っただろうか。無限に続く眩い光の中で、幾星霜を眠っていた。

もはや自分が誰かも分からない。どうだっていい。自分が誰かなんて、此処では関係ないのだから。

どこかから声が聞こえる。「伊織...世界は輪廻するんだよ。今日は終わり、タイムオーバーが始まる。」

ああ、なんだ、煩わしい。この世界には、何もないのに。そう思い、ふと目を開けてみる。

するとそこには眩い光などどこにも無かった。代わりにあったのは、自分の部屋の見慣れたベッドだった。

慌てて飛び起き、スマホを確認する。



                  8()()1()0()() ()()()()()


俺は焦ってカレンダーを確認しに行く。頭が真っ白だった。何より、昨晩の光景が頭から離れない。

毎日カレンダーに印を付けている。10日の日付には、「決行日」としか書いていなかった。

自分でもこの書き込みは無いな、と一抹の反省をしながらも、脳内の焦燥は止まらない。

「”今日”がループしている ...?」

昨日起きた時間とほぼ同じ時間。全く同じ状況だ。流石にそんな事は無い。と思い、外に出て様子を確かめる事にした。俺は足をもつれさせながらも玄関のドアを開け、勢いよく飛び出し手すりにぶつかる。頭を押さえていると、突然声を掛けられる。町子おばさんの声だ。

「あらまあすごい勢い。」

あらまあすごい他人事。と脳内で反復する。そんな事はどうでもいい。今日の日付を確認しないと。

「き、きき、今日は何月何日で何曜日ですか!!!」

たどたどしい日本語で問いかける。血相を変えた俺の顔に面食らったのか、息を飲むように話し出す。

「えと、、、多分8月10日の土曜日だったと思うけど...」

「やっぱり...」

とだけ言い残してその場を去る。きょとんとしたおばさんの表情を俺は見る事は無かった。

正午ごろ、喫茶店で真尋に会った。ここまでは完全に昨日と同じ。同じ時間に同じ人間。同じ天気に同じ気温。

全てが俺の恐怖心を掻き立てる。考えれば考えるほど、俺が俺を畏怖に誘う。

「話があるんだ。先日までとは違う物の。」

「どうしたそんな鬼みたいな顔して。」

「バカな事を言っていると思うかもしれない。最初から信じてもらうつもりも無いが、コレだけは伝えておきたい。」

「なんだよもったいぶって〜。結論から言おうぜ。」

「ああ、結論から言うと俺は時間をループした。」

「ほえ〜すげぇなぁ〜」

「反応薄くないか!?」

「いや、だってそんな事あるか?言われても証明のしようが無いだろう?

時間だけは神様が平等に与えて下さった。これをいかに有効に使うかはその人の才覚であって、うまく利用した人がこの世の中の成功者なんだ。っていう本田宗一郎の.....」

俺は彼の名言集には耳を傾けず、少ない脳みそをフル稼働させ、説得のピースを集める。

「そうだ!これからこの店の横を佐々木教授が通るぞ!」

「はあ......まあそんな表情だしな。しばらく期待せずに待ってやるよ。」

、、、数分後、案の定彼は来た。

俺は前日と同じように彼に本を帰しに行こうとした所で一つのことに気づいた。

本が昨日と同じ状態で自分のカバンの中に入っていた。ついにここまでくるともう逃れようは無い。

俺は少しの冷や汗と直射日光による汗を混ぜ合わせつつ、彼の前まで到着する。

「おやおや、伊織くんじゃないか。」

「突然すみません先生。借りていた本を返しにきました。」

昨日と同じような会話を繰り広げる。しかしどこかに違和感を覚えるが、その正体を追求する事はできなかった。

「おお、わざわざ私のところまで届けに来てくれたのかね...

という一連の流れをした後に、喫茶店へと戻る。

「おお。本は返せたのか?」

「ああ。そうなんだが、どこか違和感があるような...」

「違和感っていうとどこに?」

「この一連の流れだ。昨日はどうだったか...」

「はあ。まあ一応教授は来たし信じるっちゃ信じるけどさぁ。」

こいつはまだ疑心暗鬼なようだ。もっと巧みな話術がほしいな、と上の空で考える。

...数十分が経ち、今日はお開きとなった。

「それじゃあ、俺も何か調べられる事があったら調べとくわ。できれば今日中にでも電話するよ。」

「ああ。ありがとう。」

俺は彼女を殺した事を言わなかった。真尋も分かっていたのだろう。分かっていた上であえて聞かなかったのだ。俺はいい友人に巡り会えたのかもな。そしてまた"今日"が繰り返される可能性も考慮し、

今日中に済ませられる事は済ませる事にした。

「繰り返さないといいな。」

その日の夕方、俺はまた公園で夕日を眺め佇んでいた。

この雄大で荘厳な太陽の前では、人間の悩みなんてちっぽけに感じてしまう。

(もうすぐ、LINEが来る頃ー

と考えていた矢先、LINEではなく着信音が公園に鳴り響いた。

慌てて画面を確認すると、先ほど別れた真尋からだ。そんなすぐにどうしたんだ、と思いながら電話に出る。

「もしもー

「おい、聞いてくれ、重大な事が発覚したぞ。」

俺の言葉を遮って言う。

「今、宮崎に会った。」

「っー。」

「それで、近況についてとお前について聞いてみたんだ。」

喋り方がいつもと違う、割と焦ってるみたいだ。

「今は新しい男ができて、お前に未練は無いそうだ。かなり神妙な顔をしていたから、信じていいと思う。」

「そしてお前に伝えたい事があるそうだ。」

内容は容易に想像できる。

「20時に稲村ヶ崎に来てくれ、だろう?」

「お前...まあその通りなんだが...」

「他に何か言ってたか?」

「どうしても謝りたいそうだ。俺も着いていく、って言ったら断られたが...」

「大丈夫だ。ありがとう。あとはこっちでなんとかしておくよ。」

そんな算段は無いがな。と言いかけて辞めた。まだ心の余裕がある、と自分を飲み込んだ。

電話を切り、帰路につく。今日は『殺さない』。逆に俺を襲った犯人を突き止めてやる。

自分の冒険心が肥大化しているのか、正義感の暴走なのかはわからないが、その気持ちを胸に歩みだした。

しかし、本当に重要なのは犯人では無かったと気づくのは、もう少し後の話。

今日も20時頃、稲村ヶ崎の崖辺りに彼女はひっそりと世間の目から逃れるようにそこにいた。

真尋に電話を貰ってからするように決めた事が幾らかある。実践の時間だ。

「なあ。お前、何か気づいた事はないか?」

俺から声を発する。この二度目の”今日”を知っているかの確認だ。

「いいえ。特に何も無かったわ。」

「ではやはり、このことに気づいているのは俺だけ...」

「ん?何か言ったかしら?」

「いいや、独り言だ。」

少し間が空いた後、

「それで...」

「謝りたい。だろ?もう分かってるさ。」

なんだか落ちつかない。真尋といた時にも感じた違和感だ。

「でも、しっかりと言葉で伝えたくて。」

昨日の最初とはうってかわって、かなり弱々しい。

一息置いてから、こちらに少し近く。が、その刹那、彼女の姿が視界から消える。

「は!?」

状況を理解するまで3秒ほどかかった。落とし穴に落ちたのだ。

()()()()()()()()()()()()()()

だがそんな事は気にも留めず、俺は彼女に駆け寄る。が、背後からチャキ、という声が聞こえる。

「助けて!」

という声と重なり、反応が一瞬遅れる。すぐさま後ろに振り返ろうとするが、止める。

()()()()

「コイツを絞め殺せ。」  ・・・

それだけをポツリと言った。()()()()


その事実に気づいた俺だが、判断する余裕など無かった。俺は銃口の威圧感と冷たい声に怯え、彼女に近づく。

夏の魔物が、俺の頰を撫でる。涼しい海辺に対し、俺の額には汗が滲み出ていた。しかしそれは冷たく、

同時に緊張の表れでもあった。

「どうした?早くやったほうが身の為だ。」

嘲笑混じりのその声は、まだ俺の耳に届いていた。理性を失ってはいなかったが、どちらにせよ彼女の首を絞める以外には選択肢は無かった。と今では思う。

穴に落ちた彼女を見つめ、そっと屈んで中に入る。と同時に、

覚束ない手つきで、沙耶香の首にそっと触れる。と思いきや一気に力を込める。

彼女はもう全てを悟っていたようで、ふっ、と目を閉じた。瞼から光る物が溢れ出る。俺も彼女もだった。

「ごめん...本当にごめん...」

涙で顔さえ見えなかった。しかし手を緩める勇気は俺には無かった。ただただ、そこには謝罪しか無かった。

「ぅう...っう...」

そのうめき声に、俺は一瞬だけ手を止めた。背後に迫る銃口より、彼女の最期になるであろう言葉を優先した。その結果に、意味なんて無いのだろう。懺悔と後悔が頭の中を巡っていた。

「ごめ...んね...」

彼女に謝る必要なんて微塵も無い。

「そんな...俺は...」

「好きよ...今でもずっと...」

彼女は最期にそう言った。

......

......

......

その後はもうよく覚えていない。静かに泣きながら崩れ落ちる彼女を見た後、全力でそいつに殴りかかって...

そこからはただただ光が広がっていた。幾千年の無を過ぎた後、俺はいつものベッドで目を覚ました。

もう結果は分かっていた。精神が消耗しきっていた。.......8月10日 土曜日だ。3日目の今日が、今始まる。

「ああ......あ......」

涙で目が腫れているのが分かる。開いた口がまだ塞がらない。本当の意味で。

これでようやく分かった。俺の目的がハッキリした。俺は奴を殺す。そして"今日"が終わったら俺も死のう。

己の道を踏み外してしまった愚か者には、制裁を。それぞれの正義は、それぞれにとっての悪である。

目頭を抑えながら起き上がる。首を絞めた時の感覚がまだ残っている。ベッドを見ると、かなり寝汗をかいていたようだ。パジャマから着替えた俺は、昨日一昨日とは違い、狭いワンルームの部屋の食卓に腰かける。

考えよう。考える事から始まる。まず大前提として、何故時間というものが繰り返されている?

殺される"だけ"ならまだ良いが、こうも何度も今日を過ごしていると、気が滅入ってしまう。早急に片付けなくてはならない問題だ。大事なのは条件と経過。なんらかの条件があってループしているのなら、それを止めればいい。だがそんな物が簡単に見つかるとは思えない。見つかっているとしたら最早悩みなど無用。試行錯誤しかないのだろうか。それは一度置いておいて、次は経過だ。この周期の中で、何か変わっている事は無いか。人物の行動や発言や物の位置など。どうやら自分の状態は保持されるらしいが、それ以外には手がかりは皆無だ。全て手探りなのだ。心が折れかけているが、まだまだ考える事はある。

男の正体と目的だ。昨日はあまり意識出来なかったが、昨日の奴は確実に男の声だった。一言だけだったので、声色はあまり分からなかった。分かったとて、多少は喋り方を変えているだろう。そもそも一週間前に俺を襲った奴と、一昨日の奴と昨日の奴、同一人物とは限らない。極めて低い可能性だが、念慮すべき事だろう。理由についてだが......時間に関係しているように思える。恐らくだが、時間のループを起こし、何かをしようとしている。と考えるのが妥当だ。そして奴が俺に干渉してきているのは、俺が殺される時のみ。もしかし

()()()()()()で時間がループする?そう考えれば、俺に殺しを要求したことに説明がつく。ひとまずそれを指針として行動しよう。他にも可能性は色々とある。俺と昼間に関わった人がループさせている。或いは俺自身がなんらかの行動をとっている。等...。挙げればキリが無い。あまり深掘りしている余裕は無いので次の件に移ろう。

......今俺がすべき事を整理しよう。足を組み、頰に手を当てる。どこぞやで見たシャーロックホームズを、無意識で真似ている。そう。今の私は犯罪のナポレオン、モリアーティ教授と敵対している世紀の探偵ホームズ。

稲村ヶ崎はライヘンバッハの滝だろうか。気をつけなければ。

そんな妄想に浸りながらも、緊張感は兼ね備えていた。現実に戻る。

まずは変化が無いか確かめよう。決戦日は明日以降。今日はなるべく平穏に過ごし、隙があれば奴を返り討ちにする。行動や言動は初日に合わせ、スマホのボイスレコーダーで全てを記録する。そこは徹底しよう。

そしてなるべく夕方以前に沙耶香に接触し、惨劇を止める。その為、LINEが来たらすぐに返信でもなんでもして会わなくては。行動力が無い事で有名な俺だが、やる時はやるという事を証明してやる。手頃なパンを手に取る。食欲は無い。が、今日の事を考え、胃に詰め込む。消化される感覚はないけれど。

俺は外へ飛び出した。体が軽い。やっと何かが見えた気がする。

そういえば今日は町子おばさんに会わなかったな。時間帯が違ったせいか、或いは。

......ざっとまとめるとこうだ。俺は真尋と会うための喫茶店へと向かう道中である。

真尋と会い、教授と話した後、LINEが来るのを待つ。

そして家に戻り自衛に徹する。不備は無い。

原動力を確かめ、早足になる。不安要素を拭いきれていない事への誤魔化しだろうか。

その後は1日目と変わらぬ会話や行動を繰り返した。

特に変わったこともない。と思いたい。

そしてまた俺は公園のベンチ......ではなくブランコで揺れていた。

全てを放り出してゆりかごの中で眠ってしまいたい。そんな気分。

ポケットの中からバイブレーション。無視していたいがそういう訳にもいかず、

一旦ブランコを漕ぐ足を止め、渋々スマホを確認する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「今日の20時に稲村ヶ崎で待っています。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ん?

()()()()()?......。

なぜだろう。確証は無いが絶対に初日とは文章が違う。それに今日は真尋からの連絡も無い......。

()()()()()()()()()?彼女はループに関して何か知っている?若しくは他の誰かと干渉して結果として

行動が変化した。とも考えられる。現に2日目は真尋と沙耶香が邂逅を果たしていた。

「駄目だな。」

いくら考えたって結論は出ない。なに。今後もループするとしたら時間は長いのだ。気長に考えるとしよう。

楽観的思考の裏に焦燥感があるのは気のせいだろう。なんとかなるさ。

俺は今日録音したボイスレコーダーをイヤホンでぼんやりと聴きながら、長谷の家への帰路に着く。


18時半頃。極楽寺駅付近。

俺はあの後思考を巡らせ、閉店間際の中華食堂に沙耶香と集まる話を取り付け、俺の前で呑気に

チャーハンを頬張っている。やけに美味しそうに食べるのが長所ともいえよう。

注文したラーメンの面を豪快に啜り、口内で旨味と弾力が奏でる極上のハーモニーを堪能し、水と共に一気に流し込む。これが俺の編み出した「必殺・胃袋殺し(仮)」だ。

「早速本題なんだがお前、時間のループって知ってるか?」

「ええ。知ってるわよ。勿論現実のものとは思えないけど。」

「それが今俺の身に起きている。」

「ついに壊れたか...。というより、そんなに急いでどうしたの?全然私に怖がる様子も無いし...。」

「落ち着け、今はそれどころじゃ無いんだ。」

「落ち着いてないのはアナタでしょ。」

確かに腰が浮き、前のめりの姿勢になっていた。俺は来ていたTシャツとジーパンを整え、コホン、と一息ついて話を続ける。

「すまない。それでだ。お前はそれを体験していないんだな?」

「当たり前でしょ。そんな国民の義務じゃないんだから。」

「そうか...。」

俺は脱力感と共に何処に安堵感を認めていた。ああ、クズ中のクズだな。

自虐で心の安定を取りながら、少し目を逸らして話を続ける。

彼女は付いてきた餃子をポン酢に浸している。

「それで、今日他の奴に会ったりは?」

「してないわ。連絡つく人なんて殆どいないもの。」

「なら良かった......。そうだ、呼んでおいてなんなんだが、今日は早めに帰らないか?」

「はぁ...まあ用事があるから良いんだけれど。」

「用事?なんだそれ?」

また食い気味になるのを自制しつつ、そわそわしながら坐り直す。

「言えないわ。正確に言うと、止められているのだけれどね。割と警察関係の事よ。」

「そうか。悪かった......。」

詮索するのはやめておいた。なんとなく触れてはいけない気がした。

それからはお互い黙々と料理を食べ進め、駅で解散になった。

「それじゃあ、また近いうちに連絡するわ。」

「ああ。わかった。俺は由比ヶ浜方面だから。」

「そう。じゃあ反対ね。それじゃあ。」

そそくさと歩き去ってしまった。ここから安全な場所を通っていけば、少なくとも家までは帰れるはず。

...そもそも家にいる事が安全なのに何故わざわざ沙耶香と会ったか、と問われれば、せめて昨日の記憶が無い事を確認する為だった。罪滅ぼしの下位互換とでもいえよう。

俺は懺悔の念を抱きながら玄関のドアを開けた。


ーそこには町子おばさんの死体があった。正確にはうつ伏せになり、血が周囲に飛散していた。

俺は状況理解などする暇など無く、

その場に倒れ込んでしまった。精神的にも煮詰まっていたせいか、腰が抜けて叫ぶ気力も湧かなかった。

カン...カン...階段を登ってくる足音。これから俺の身に起こる事を想像するのは容易だろう。

「やめて.....もう......無理だ.....。」

自分の耳にも届かない消え入るような声を出した時、奴が目の前に立ちはだかった。

薄暗い闇の中にキラリと光る物。軍手でナイフを握っていた。

目出し帽を被り、ギョロリとした目だけがこちらを真っ直ぐに見つめていた。

「予定とは違うがまあ良い。今回もありがとう。」

だがその瞬間、俺は昨日の事を思い出した。そうだ。こんな所で殺される訳にはいかない。

俺は完全に油断しているそいつの腕を掴み、自分の限界を卓越した馬鹿力を全身に込め、

音速を超える勢いでそいつを押し倒し、無我夢中で手からナイフを剥ぎ取った。

考える猶予など無かった。頭より早く腕が動き、胸部にナイフを決死の思いで突き刺した。

一瞬の事だった。まさに形勢逆転。窮鼠猫を噛む。盛者必衰といえよう。

しかし奴は苦しむ素ぶりも見せずに笑い、ポツリ、と一言だけ呟いた。

「これもまた一興。だがこれでは終わらない。もうすぐこの今日は消滅する。」

と耳に届いた瞬間、町子おばさんの体も、奴の体も、全てが光に包み込まれていった。

「正解じゃなかった......。」

慣れた事だ。もう四回目だったかな。もう数えるのも止めようか。

ボイスレコーダーも忠告も意味がない。

俺は町子おばさんの死体が転がっていない家で目を覚ました。

落胆と放心とが混ざった虚無感に襲われた俺はまたポツリと呟いた。

「もう、死ぬかぁ。」


永遠に続く時を作り出す。そんな夢物語を聞いた。実現などできるはずがない。そう思いながらも、私を突き動かす原動力があった。数々の本を読み漁り苦節数年。

遂に私は”タイムオーバー”と呼ばれる空間を作り出す事に成功した。

8月9日、世界が始まった日。その歪み掛かった時空にヒビを作り出す。

即ち"人を殺す,殺されるの関係が成立する"事で二人の時の螺旋に亀裂が走る。それは捻れ、裂け、接着される。このループを止めるにはそれを未然に防がなければならない。

しかし彼を選んだのは失敗だっただろうか。私は"去年も"これを作り出している。

何故そのままループしていないか、と問われれば答えは一つ。

"違う人間を殺した"からだ。どうやら最初に殺した人間以外は判定が付かないらしい。

危うく警察沙汰になる所であった。多少の後悔は抱いているが、それもまた一興。

しかし昨夜は特に可笑しかったなぁ。逆転勝利だとでも思ったのだろうか。

自分でループを作り出すとはなんと滑稽で情けないのか。

今でも吐瀉物を出して笑い転げそうだ。

さて、今日はどんな日になるかな?


()()()()()()()


キッカケは突然だった。妻の為に図書館を漁っていた時の事だ。

三年前、妻に胃がんが見つかった。その頃にはもうステージIVになっていたらしく、化学療法が採用された。

全身への転移から、3年生存率は5%以下とも言われた。

私は妻の為に最善を尽くす為に東奔西走し、知り合いの医者やあらゆる病院に行き、

どうにか天から垂れる一筋の糸に縋るように献身した。

しかしその甲斐虚しく、私は8月7日の夕方、ついにあと一週間も持たずに妻は死ぬと医者から通告された。

ありとあらゆる手段を使ったのに。救えたかもしれないのに。

悲しみに暮れ、実感が沸々と湧き上がってくる。あの時ああしていれば、こうするんじゃなかったと。

昔の自分への怨恨と悔恨が脳を圧迫した。その圧力は、精神をショートさせるのには余りに強すぎた。

私は壊れた。

こんな時の為にと準備していた最終手段。すでに破棄されていた方法。その名もタイムオーバー。

万が一の為に、と孤児院出身の学生を被験体として私の研究室でタイムオーバーの実験をしていた。

その頃はまだ文献の解読に手こずっていて、殺す目的ではなかった。彼も協力的で、私の研究を親身になって

手伝ってくれた。今となっては愚かだ。私も、君も。最初に方法を見つけたのは彼で、なんと正直に報告してきたのだ。何という皮肉なのだろうか。結局二人目を殺した時点でタイムオーバーは終わり、双方とも海に死体を遺棄しておいた。最悪見つかっても構わない。そんな諦めの感情は、首の皮一枚繋ぐ事となった。

そして急遽準備し、伊織君を脅迫した。それが事の顛末だ。そして4回目の今日。

()()()()()()()()()()事にすら気づかないだなんてね。

なぜ彼に殺人を命令したかって?それは簡単な理由だ。

タイムオーバーの条件を撹乱するのと、万が一自分が殺し損ねた際の保険だ。

タイムオーバーは当人以外は記憶を引き継がない。私は殺すことを目的とした最初の状態に戻るだけだ。

もっとも、崖から突き落としたり首を絞める程度で期待はしていなかったが。

もはや彼は家からすら出ていない。精神を消耗しきっているのだろう。このまま1日の終わりに殺す。スポーン地点に規則性は無さそうだが、もう廃人寸前の彼には何もできない。

「永遠に終わらない理想郷の完成だ。」病院に見舞いにいく中、そっと呟いた。


loop syndrome  終


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「と、いう風な本を書いたのだが、どうだろう?」

「ストーリーとしてはとても面白かったのですが......なにぶん現実の人間を登場させている割りにファンタジー要素が強いというか......」

「おや?私は一箇所しかフィクションを混ぜていないはずだ。そう現実離れしているとは思わないのだが。」

不敵に笑うその人は、いつかどこかで見たような笑顔をしていた。

「なんだかデジャヴです......それにしても嘘が一つだなんて。教授は興味深い本をお書きになられるんですね。」

()は仕返しをするように、彼に視線を送る。

そして彼は真っ直ぐこちらを見つめ、少し哀しい目をしながらこう呟いた。


「この作品はフィクションです。」


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