第四十七話「龍鈴の錬」
竜神の滝の前では、「龍鈴の錬」の準備が粛々と行われていた。
広場には赤い布が敷かれ、神をたたえる品々が用意された。
猿飛は白い袴をまとい、赤い布の中央にすわった。
長老も儀式のための赤い袴をまとい、猿飛の前にたった。
「今から『龍鈴の錬』をおこなう。この試練を乗り越えれば、龍脈の力を与えられる。しかし、値のない者には、大いなる災難が待つ。汝、その覚悟はできておるな?」
猿飛は白い歯を出してニタっとわらった。
「あたりまえよ!」
「承知した。それでは猿飛に聖酒『天龍神酒』を!」
猿飛は差し出された金に光る酒を飲みほした。
「この酒に入っておる月鈴草を通して、竜神や天の神の御加護が得られるだろう」
長老は猿飛をみた。猿飛はうなずいて立ちあがった。
そして長老から白い鈴の輪をうけとった。
猿飛は迷うことなく鈴を腕に通し、手を胸にあてた。
「我は龍鈴の力を欲す者。我に試練をあたえよ」
すると鈴が白く光りだした。
猿飛はまるで時間が止まったかのように動かなくなった。
その静寂がかえって忍者たちの心をさわがせた。昨日刃の姿がまだ鮮烈に記憶にのこっている。
猿飛は急に目をカッと見ひらいた。しかし、その目には猿飛の意識は感じられない。そして次の瞬間、
「ぐおぉぉ!」
けたたましい猿飛の叫び声があがった。
周りの者は、どうすることもできずただ見守るしかない。長老はひざまずき、ひたすら猿飛の無事を祈願している。
「ぐうぅぅぅおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおわぁああああ!」
猿飛は頭を抱えながら、もだえ苦しむように全身で悲鳴をあげた。そして、急に立ちあがった。
「ワンワンワン」
ムサシが警戒して吠えだした。ムサシがいままで猿飛に吠えることはなかった。
「ぐううぅぅうわぁあああ!」
猿飛はもだえ苦しみながら暴れだし、まわりの供え物を破壊した。
「みんな、下がれ!」
長老は忍者たちに命じ、自らはいざというときのために猿飛への射程距離に居つづけた。
(龍鈴の錬でこんな暴走は初めてだ)
流のときも、椿のときも、もだえ苦しんだが、その場で収束していた。
猿飛は、飛び上がったり、手刀であたりの物を切りつけている。
(いったいだれと戦っているんだい、猿飛)
「ぐおぉぉぉ!」
ついに猿飛は意識のない目で長老をにらんだ。
「長老、逃げてください!」
しかし、猿飛のほうがはやい。手刀で長老に襲いかかる。
バシッ
長老が猿飛の手刀を白羽取りでとめた。
(なんて力だ。猿飛がなにかに乗っとられかけているな)
猿飛はさらに力をくわえ、長老がぐっとあとずさった。
あわてて忍者たちが助けに入ろうとした。
「ぐうぉぉぉ」
猿飛の体から猛烈な風が吹き、忍者たちは吹きとばされた。
さらに力をくわえた猿飛の手刀は長老の力の限界を上回ろうとしていた。
(こりゃまるで風神の力だな。お前にやられるのは本望だが、目覚めたときに胸くそ悪いだろう。さて、どうしてものか)
そのときだった。
鉄の鎖が猿飛にむかってとんできた。
猿飛はそれも風の力で押し返したが、何本も何本も飛んできた。
ステファンが振り向くと、そこには三人のカラクリ職人がいた。
「ベンさん、マックス、ポポン!」
「おお! 俺たちも加勢するぜ」
三人は奇妙な形の大砲のような箱をいくつも並べ、そこから鉄の鎖を発射している。
やがて一つの鎖が猿飛の足にからまった。
「よっしゃ! ポポン逆回転じゃ」
「はいさ!」
ポポンがカラクリのなにかを操作すると、絡まった鎖を引っぱりはじめた。
ベンが忍者たちに大声で呼びかける。
「さぁ、お前たちも手伝ってくれ」
忍者たちはポポンのもとへ集まった。
「この鉄の輪をまわせば鎖が回収される。たのむ!」
忍者たちはカラクリの箱についている鉄の輪をぐっとまわしはじめた。
するとずるずると猿飛が引き寄せられ、その分、長老への力が緩和された。
「よし、その調子じゃ、回せ、引っぱれ! そーれ、ほらほらよいよい」
「おい、じいさん、こんなときに楽しんでるんじゃねーぞ」
そういうマックスだが、彼もなんだか楽しそうだ。
忍者たちの力を得た鉄の鎖は、ぐいぐいと引っぱられ、とうとう猿飛を長老からひきはなした。
「ぐおぉぉぉおおおおお!」
猿飛は天に向かって雄叫びをあげた。
「おい、なんだか怒らせたんじゃないか」
忍者たちが小声でつぶやくと、案の定、猿飛は鎖の先にある忍者たちをにらみつけた。
いまにも猿飛が忍者たちに飛びかかろうするとき、反対方向から鎖が飛んできて猿飛の足にからまった。
ステファンがカラクリ装置を移動させて発射させたのだった。
「こら、勝手に使うじゃねぇべ!」
というポポンに
「すみません!」
と謝り、忍者たちには
「こっちにも加勢を!」
と呼びかけた。
逆方向から鎖をつながれたので、猿飛は身動きが取れなくなった。
「これでなんとか収まればいいが」
迅がステファンの隣でつぶやいた。
猿飛は自分が身動きが取れないことを悟ると、また天に向かってほえた。
しかし、その雄叫びは先ほどの比ではなかった。
「ごおおぉおぉおぉおおおおおおぉぉぉぉおおおおお!!!!!!!」
空気が揺さぶるほどの轟音に忍者たちは思わず耳をふさいだ。
猿飛は手刀をかかげると、その手に風があつまってきた。
「もしかして……」
マックスはさすがに冷や汗をかいた。
パリンッ パリンッ
猿飛は鉄の鎖を手刀で打ちくだいた。
忍者たちは鎖から解き放たれたこの怪物をただ茫然と見つめるしかなかった。
そのときだった。後ろから茜の声がきこえた。
「兄さん、やめて! いまの猿飛は猿飛じゃないの」
そこには、全身包帯だらけの星丸がゆっくり歩いてきていた。
「あいつは猿飛だ。負け犬づらで遠吠えしてやがる」
猿飛の前にやってきた星丸を見て、猿飛の表情が明らかにかわった。
星丸はふらつきながら忍者刀をかまえた。
「おい、猿飛! 眠い目をしてんじゃねぇよ! 俺が叩き起こしてやる」
忍者たちが星丸を止めようとしたが、星丸がそれを制した。
「あいつの目を覚ませるのは、俺だけだ」
星丸は素早く走りだし猿飛にとびかかった。
バンッ!
星丸の忍者刀を、猿飛は風をまとった手でうけとめた。
しかし星丸はその反動を利用して猿飛の体に蹴りをいれた。
後ろに飛ばされた猿飛だったが、風の力で倒れずにいた。
「便利じゃのう、あの力」
ベンが感心したようにうなずいた。
「じじい、空気読め」
マックスがあきれていった。
「そんなこと言って、お前もあの力があればどんなカラクリができるか考えておるのだろう?」
「うっ……」
図星だった。
ふたたび星丸は攻撃をしかけた。
体も万全でなく、猿飛も化け物のようになっているのに、星丸は懐かしいような不思議な感覚におちいっていた。
(お前とこうやって本気で手合わせするのは、赤忍者の時以来だな。手合わせと言ってもあれはケンカだったがな)
猿飛が体の小さな星丸をバカにしたことをきっかけにケンカがはじまった。体が大きく力が強い猿飛に立ち向かうのは技術と素早さしかなかった。
里は二人のケンカで大騒ぎになり、大人たちが止めに行こうとしたがそれを長老がとめた。
「若者のケンカを大人が出しゃばって止めるもんじゃないよ」
星丸は持ちうる限りすべての力と技を猿飛にぶつけた。猿飛も必死にそれを受け止め、自身の力も星丸にぶつけた。
不思議なことに次第にそれが気持ちの良いものになってきた。たしかにあのとき星丸は笑っていたし、猿飛も笑っていた。
そしていま星丸は同じ気持ちになっていた。心のどこかで猿飛と思いっきりぶつかってみたい願望があったことはたしかだ。もしかしたら猿飛にも同様の願望があったのかもしれない。
星丸は攻防の中でこの化け物の中に猿飛の意識がたしかにあるとかんじた。
あのときと同じように、星丸と猿飛はいつのまにか竜神の滝の上まで来ていた。
星丸は笑みを浮かべ。そして猿飛にむかって突進した。その速さは怪我をしているとは思えなかった。もしかすると万全の星丸より速かったかもしれない。まさに神速だった。
ドンッ! と体当たりをし、二人は滝から滝つぼに真っ逆さまにおちた。
「猿飛、あのときと同じだ! 滝つぼで頭を冷やしやがれ!」
バチャン!
滝つぼからは水しぶきがあがった。
「兄さん!」
茜が心配そうにかけよった。忍者たちも滝つぼのまわりにあつまった。
ブクブクブクブク……
しばらくすると、星丸と猿飛が浮かび上がってきた。
「いてぇんだよ、星丸! 病人は良い子になって寝てろよ」
「お前の寝ぼけた頭を冷やしてやっただけだ」
その声をきくと、まわりから歓声があがった。
水から上がってきた猿飛は皆を見わたした。
試練の記憶は完全にきえているが、周りを見れば自分がどんな状態だったかわかったのであろう。
「みんな、心配かけてすまなかった。記憶は飛ばされたが、なんとかこのバカのおかげで戻ってこれたようだ」
猿飛は、長老に目でうなずき、滝つぼのほうをむいた。
そして白い鈴をはめた手を前にだした。
「うりゃぁぁ」
猿飛の腕が光り、かまいたちが滝を切りさいた。
「バカモノ! 体力は温存しておけ!」
一喝した長老だったが、その顔には安堵の気持ちが読みとれた。
「これにて、龍鈴の錬をおえる。猿飛は夕方まで休め。その後、都に向けて出発する」
「俺はいつでもいけるぜ、ばあさん!」
バコッ
長老は杖で猿飛を小突いて屋敷に帰っていった。




