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第三十二話「平和の『信』と隠密の『疑』」

「おまえら! 起きろ!」


 翌朝の夜明けごろ、気持ちいい眠りが悪夢のようなダミ声に妨げられた。


「早く起きろ! 朝飯を用意している」


 二人を揺さぶり起こす勢いで迫る主人に、二人はしぶしぶ目をさました。


 朝食はやはり抜群だった。


「ご飯は、団之輔さんが作っているのですか?」


 焼き魚の塩焼きに舌鼓をうちながら、ステファンがたずねた。

 迅は団之輔が苦手なようで、応対はもっぱらステファンが担当している。


「ああ。半分は花織が作っている。昨日会ったろ?」


「ええ。きれいな方でしたね」


「そうなんだ。俺に似てよかった」


 団之輔は、茶碗でご飯をほおばりながら真顔でこたえた。聞くと、花織さんは食事の支度と店番を手伝っているそうだ。


「奥さんも、おきれいなんですか?」


「ああ、それなりにな。美男美女だ、うらやましいだろう?」


「そうですね、とくにその前向きな姿勢が」


「なにかいったか?」


「いえいえ」

 

 二人のやり取りに迅が笑いをこらえている。


 団之輔が玄関に目をやると、ムサシも朝食をおいしそうに食べている。


「あのスケベ犬は、お前たちの犬だろう」


 二人がなんて答えようか迷っていると、団之輔がムサシから視線をそらした瞬間、玄関から小石がすごいスピードで団之輔の頭に命中した。


「いてっ! なんだ!」


 後ろを向いても、だれもいない。

 

「あれ、なにかが頭に当たったんだけどな。天井からなにかおちたか? おかしいな」


 二人は、あの忍者犬は油断できない、と背筋が寒くなった。


「それで、ばあさんの手紙には花咲山のからくり職人に会いに行くって書いてあったが、あんなところにもいるんだな」


「ええ。かなり腕が立つそうです。ご無事ならいいんですが」


「こちらも町奉行に伝えて体制を整えはじめた。なにせ相手が城だと、なかなか動きにくいんだ。だから、お前たちの力を借りたいとおもっている」


「ええ、長老もそのつもりです。よろしくお願いします」



 旅支度をして宿の玄関にでると、


「おおい! ちょっと待ってくれ」


 と、宿の上から声をかけられた。治左衛門が窓から手をふっている。

 治左衛門は、袋を手にもってやってきた。


「これを持っていくといい。地図と特製の足袋だ」


 見ると、花咲山周辺の地図に、治左衛門がなにか書きそえていた。


「私もあのあたりに調査で行ったが、最近崖くずれがあって危険な場所もある。君たちはあの辺をよく知っているだろうが念のため教えておくよ。それにこれは雪が滑りにくい特製の足袋だ。よければ使ってくれ」


 治左衛門はステファンの嘘に気づいていたが、それを優しさで覆うような気遣いをみせた。

 

 ステファンは自分の未熟さを感じると同時に、治左衛門の好意に胸が熱くなった。


「ありがとうございます」

 ステファンは素直にお礼をいった。

 二人は足袋をはいてみると、足が温かく包まれた。


 治左衛門は喜ぶ二人に目を細めながら、


「気をつけていってくるんだよ」


 と、少年たちの旅路の無事を祈るようにいった。



 ステファンと迅、そしてムサシは街道を海沿いにすすんだ。花咲山は里とは反対の方向で、途中に鶴山城も見えるらしい。

 空には冬の暗い雲が広がり、雪はないが風が強く、海がゴウゴウと荒れていた。

 街道を行き交う人々も、風の強さに身をかがめて道を急いでいる。


 途中、街道で老婆と孫が歩く姿をみつけた。その老婆をみて、ステファンは、聞けず仕舞いになっている素朴な疑問を迅に投げかけてみた。


「迅、どうして長老は若返りの術を使っているの?」


 急な質問に迅は目を丸くしたが、やがて笑いだした。


「はっはっは、慣れって怖いよね。僕らは長老を見慣れてすぎて、あの奇想天外な事実が普通になっている」


 迅はゆっくり笑いをおさめた。


「じつは僕も詳しくは知らないんだ。里の人でもほとんど知らないとおもう。本人にきいても『情熱的な恋が女を若がえらせるんだよ』って長老節ではぐらかすだけだしね」


 迅の長老を真似た口ぶりに二人はわらった。


 しかし、迅は少し考えこむように歩いていた。


「どうしんだい、迅?」


「うーん、ステファン、ここだけの秘密にしてね」


 意味深な迅の言葉にステファンはうなずいた。


「じつはね、月鈴草に若返りの力があるみたいなんだ」


「あの月鈴草が?」


「うん。月鈴草は里では長寿の草として知られていて、里の繁栄と民の健康を願うために毎年竜神祭で供えられているんだ。でも、ある日、カラクリ屋敷を掃除していると、紫電様の、あっ紫電様は八十年前に忍びの里を開かれた偉い人だけど、紫電様の似顔絵が大広間の奥に棚にあったんだ。そこに『不老の秘薬 月鈴草』と書かれた。


「不老の秘薬?」


「ああ。それが長老の若作りの術となんか関係あるのかなとおもって。」


 ステファンは、竜山で見た白く光る幻想的な草を思いだした。たしかに不老の力があるといわれても納得できそうだ。


 そのときムサシがワンワンと吠えた。見ると山あいに灰色の巨大な建物が見えてきた。


「あれが鶴山城か」


「ああ。あの城へは街道から山に入り、川沿いを上るんだ。谷間や崖が天然の要塞になっている」


「行ったことあるの?」


「ああ、一度だけ、父ちゃんと行ったんだ。付いていっただけだから何の用事だったかは覚えていないけど」


 迅は、少し寂しげな目で鶴山城を眺めていた。父との思い出を山上の城に映しているのだろう。


「先代の殿様は、まだまともだったんだ。名君ではなかったけど、それなりに民のことを想ってくれていた。でも……」

 

 といって、迅は拳をにぎりしめた。


「今の殿様は、人をさらったり、無理やり働かせたりして民を苦しめるんだ。 絶対許せないけど、僕にはまだそれを正す力はない」


 悔しそうにうつむく友の姿に、ステファンはそっと寄り添うようにこたえた。


「まずは、できることからやろう。ベンさんが無事かどうか、そこからだね」


「ああ。そうだね」


 迅は灰色にたたずむ城を一瞥し、ふたたび目の前の道に視線をもどした。



 赤忍者と忍者犬の一行は街道をずっと進んだあと、目印の大きな神社を曲がり、花咲山へつづく道をすすんだ。


 ゆるやかな山道だったが、進むごとに道が白くなっていく。

 先日の寒波で降った雪がまだ溶けずに道にのこっているのだ。


 しかし治左衛門からもらった足袋は温かく、滑りにくかったので、雪道をすいすいとすすめた。


「迅、僕ね、任務のことを治左衛門さんに話してしまったとき、もし彼が悪人だったらどうしよう、と怖くなったんだ。信じるって難しいね」


 ステファンは足袋を見ながら、友人に問うでもなくきいた。

迅はうなずいた。


「そうだね。特に忍びの里の忍者は、平和という『信』と、隠密という『疑』を両極端に向き合わないといけない定めなんだ」


「平和の『信』と隠密の『疑』か……」


「うん。僕はさっき、力がないと言ったけど、一番必要な力は、何を信じ、何を疑うかの見極める『目』なのかもしれないとおもうんだ」


 たしかにだれも信じず、平和を得ることはできない。逆に、すべての人を信じて得られるほど、平和は甘くない。でも、その見極めには、相当な経験とそして信念が必要で、今自分にできる自信はない。

 

 むしろ、すべての人を疑ってかかったほうが、楽にさえおもえる。平和を得るというのは、簡単ではなく、むしろ茨の道なんだと、ステファンはおもった。


 「この先の谷の橋を渡れば、すぐに花咲山があると思うよ」

 そう迅が言ったとき、ムサシがまた吠えた。


 見ると、思わず二人はあっ、と声をあげた。 


 なんと谷の間の橋が、崩れ落ちていていた。

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