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第三十一話「花咲山へ」

「えっ、もう行くの? 新しいダンスを見てほしかったのに」


「ごめんよ、急ぎの用事なんだ」


 口を尖らすエミーラに、ステファンは素直にあやまった。

 エミーラは、舞にさらに磨きをかけ、最近はそこにバルアチアのダンスの要素を加えているようで、いまや里の若い女性の憧れになっていると松五郎からきいた。


「ベンさんという、カラクリ職人に会ってくる」


「えっ、あの全身真っ黒ってアキさんが言っていた人のこと?」


「ああ、僕らの国の人かどうかはわからないけど、なにか聞けるかもしれない」


「どこにいるの?」


「花咲山ってところだって。町から半日くらい歩いたところらしい」


 エミーラはうなずいた。


「わかったわ。でもちょっとまってね」


 エミーラは、その場で大きく手を広げ、ゆっくりと舞をはじめた。


 地へ祈り、山へ祈り、太陽に祈り、そして天から降りそそぐ龍の息吹に感謝をするような、自然と一体化した優しい舞だった。


「はい。これは神主さんから教えてもらった旅への無事を祈る舞でした。気を付けて行ってきてね」


 二人はエミーラに礼を言い、ふたたび里を出発した。


 エミーラは二人が見えなくなるまで大きく手を振ってくれた。


 ステファンは、なぜかその姿がとても印象的だった。



 今晩はまた宮之屋に泊めてもらう予定だが、急がないと日が暮れてしまう。

 

 しかし、なぜか迅の足取りがおもい。


「迅、ちょっと急がないと日が暮れてしまうよ」


 迅は小さくうなずいたが、うつむいたままだった。


 こんな迅を見るのは初めてだった。


「どうしたの、具合でも悪いの?」


「いや、そうじゃないんだ」


 迅はしばらくうつむきながらあるき、やがてぼそっとつぶやいた。


「……自分がなさけない」

「えっ?」

 

 迅は、ようやく顔をあげた。


「……僕は、君に嫉妬しているんだ」


「嫉妬、僕に?」


「ああ、君の聡明さは、長老や流兄ちゃんたちも一目置いている。それくらべて僕は、ただの赤忍者だ」


 ステファンはその返事を探すために空を見あげた。冬の短い昼はすぐに夕暮れを連れてくる。それでもオレンジ色に広がる空は、ステファンに少し力を分けてくれた。


「あのとき、僕は切られていたんだ」


「えっ?」


 迅が振りむいた。


「あの米問屋の猫部屋だよ。もしも僕が孫吉を連れていこうとしていたら、扉が開く前に隠れることができず、斬鉄に見つかって切られていたんだ」


「それは……」


「一緒だよ。僕は赤忍者なのに、迅のような身軽さも、忍術もできない。一人じゃ何もできないんだ」


「僕くらいの忍者はいくらでもいるよ」


 迅はかたくなだった。


「迅じゃないとダメなんだ。だって、僕は迅のことを信頼している。迅も僕のことを信頼してくれている。だから、僕と君の持ち味を互いに活かしあえるんだ。体と臓器と一緒だよ。君が心の臓、僕が肝の臓だとしたら、どっちがえらい?」


「なんだい、その例えは?」


 迅がわらった。その笑いは迅の気持ちをすこし晴らしてくれたようだ。

 迅は自分の胸に手を当ててみた。


「でもたしかに、心の臓も肝の臓も、お互いを支え合っている。どちらがなくても生きていけない」


 掌から鼓動がつたわる。


「ありがとう、ステファン」


「うん。じゃあ、急ごうか」


「そうだな、日も暮れるから走らなきゃ」


 そのときだった。

 シュッと音がして水の匂いがしたと思うと、突然目の前に若い女性があらわれた。


「つ、椿さん!?」


「やっと追いついた」


 そう言いつつも、笑みをうかべる端正な顔に疲れは見えなかった。


「どうしたんですか?」


「おばあちゃんがね、あなたたちにお供をつけてやれって」


「お供? まさか椿さん?」


「うふふっ、それも面白そうなんだけど、私もいまから別の任務で里をでるの。お供はこの子よ」


 そういって、椿の後ろからひょこっと姿をあらわしたのは、忍者犬だった。


「ムサシ!」


「ええ、連れて行ってあげて」


「百人力ですよ、なあ迅」


「ああ、二百人力かもね」


 椿はムサシの頭をなでて、赤忍者に向きあった。


「でもそれだけこれからの任務は危険が伴うってことなの。十分に気を付けて、危なかったら逃げてもいいからね」


ムサシも一緒に、わん、と吠えた。まるで、わかったな!、と二人に言っているようだった。


「わかりました、行ってきます」


 椿は走り去る二人をしばらく見送った。


 赤みがかった太陽が、山道を走る少年たちの影を優しくてらしていた。



 真っ暗になる前になんとか宮之屋についた。


「いらっしゃいませ」


 宿の扉を開けたら、二人は驚きのあまり立ちすくんだ。

 酒の混じったダミ声が飛んでくると思っていたら、きれいな女性の声が返ってきたのだ。

 宿を間違えたと思ったが、こんなボロ宿は他にあるわけがない。


「こ、こんばんわ」


 受付に座っているのは澄んだ目の美しい女性だった。


「ご予約の方ですか?」


「い、いえ。団之輔さんはいらっしゃいますか?」


 迅はたじろぎながらなんとか返事をした。


「あいにく父は仕事で外に出ております」


 二人はまたおどろいた。あんな酔っ払いにこんな清らかな娘がいるなんて。

世の不思議を感じつつも、昨日客で今日もまた泊めてほしい旨をつたえると、快く通してくれた。


「まあ、かわいいワンちゃん」


 ムサシは宿の入り口で丸くなって、ワウゥー、と聞いたことのない可愛い鳴き声をだした。


「撫でてもいいですか?」


「え、ええ」


 迅は、ムサシの変わりぶりに唖然としていた。


 娘に撫でられて愛嬌をふりまくムサシは、あの不愛想な忍者犬ではなかった。


「さすが、変装がうまいな」


 迅がステファンに耳打ちすると、ムサシが二人をギロっとにらんだ。



「おお、君たちか」


「治左衛門さん!」


 二階の廊下で学者に声をかけられた。

 ステファンは、猫が見つかったお礼を言うと、あごヒゲを触りながら、よかったなあ、とほほ笑んだ。


「次はどこかに行くのか?」


「ええ、花咲山に行きます」


「あんな山奥に!? 谷もあって冬は大変だぞ。そんなところで何しに行くんだ?」


 ステファンは、自分が任務内容を言い過ぎたと後悔した。迅もそれとなくこちらを見ている。


「知り合いのじいちゃんのところに行くんです。いつも行ってるから大丈夫ですよ」


「そうか、気をつけて行っておいでよ」


 治左衛門はまたヒゲをなでながら手をあげ、部屋に入っていった。


「気にすんなよ、ステファン」


 部屋で落ち込むステファンに、荷物を下ろしながら迅が声をかけた。


「やっぱり、さっき山道で言ったとおりだよ。僕もまだまだだ」


「ステファンは性格が素直で嘘をつけない体質だからね、でも、そこが君のいいところだよ」


 迅の励ましは押しつけがましいところがなく、ステファンの心にしみた。


 とりあえず今日は寝ることにした。考えてみれば、朝から動きっぱなしだったのだ。

 二人は布団に着くと、間もなく深い眠りについた。


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