第二十六話「初任務」
「たぶん神社は、このあたりだと思うんだけど……」
迅は眉を寄せながら殴り書きの地図をみている。
「迅、あれじゃない?」
少し向こうに立派な鳥居がみえてきた。
近づくと入り口には「大塚神社」と堂々と書かれている。どこかの宿屋の腐った看板とは大違いだった。
神社の周りにはたくさんの小さな民家が立ち並んでいた。
「ここから北に三軒目だから、あそこかな」
迅が一つの家を指さした。他と同じ簡素な家だ。
トントントン
「ごめんください、宮之屋です」
迅が呼びかけると、中からバタバタバタッと音がした。
引き戸が開き、中年の女性が勢いよく出てきた。
「お待ちしておりまし……」
女は迅とステファンをみて声をうしなった。
「こ、子ども?」
すると、奥から大声がきこえた。
「なにぃ!」
勢いよく中年の男が、どけっ、と女を退けてでてきた。この男が主の徳吉だろう。
「どういうことだ!」
いきなりステファンたちを怒鳴りつけた。
「あ、いえ、宮之屋から来た者ですが」
一連の出来事に慣れてきたのか、迅もステファンも冷静だった。
男は顔を真っ赤にした。
「だからどういうことかって聞いてんだ! 何日も待たせたかと思うと、お前たちみたいな子どもを寄こして。おい、今から宮之屋を雇った町奉行に文句を言ってくる」
いまにも飛び出しそうな男を、女が必死でとめる。
「やめて、あんた。そんなことしたら、あんたがしょっぴかれるよ」
「かまうもんかい! 俺たちは、孫吉を、孫吉を愚弄されたんだ!」
「あんた! やめて! お前たちもこの人を止めておくれ」
迅もステファンもなにがなんだかわからない。
とりあえず落ち着いてもらおうとステファンが男を止めようとした。
「やめろぃ!」
男がステファンの手を払いのけようとしたとき、ステファンの顔が目に入り、その手がとまった。
「お、お前は、異国の者。……なんたる、なんたること」
そういって、男はその場で気をうしなった。
男を居間に運ぶと、迅とステファンは玄関わきに座り、男が目覚めるのをまった。
家の中は、玄関と居間だけの質素なものだった。
女は、二人を歓迎しようともせず、かといって追い出すでもなかった。
女がしばらく男の顔を布で拭いていると、やがて男が目をさました。
起きた途端、玄関の二人を見て、悪い夢じゃなかったんだ、とまた激昂した。
「あんた!」と女は言うが、疲れたようで、さきほどの勢いはない。
差し出された水を飲みながら、男はふたたび声をあげた。
「千代、よくお前はそんな冷静でいられるな。あいつらは孫吉を侮辱したんだ。もう黙ってられぬ。散々待たせておいて、やっと来たと思えば、子どもの、しかも異国の者」
「あの」
思い余ってステファンは声をかけた。
「うるさい、お前たちは黙っておれ!」
男は思わず持っていた湯呑をステファンたちに向かって投げつけた。
「あんたっ!」
女は思わず声をかけた。間接的にも奉行所からつかわされた人間に怪我をさせたとなれば、ただではすまない。男も投げたあとに悟ったのだろう。顔が青ざめた。
次の瞬間、男も女も目を丸くした。
勢いよく投げられた湯呑をステファンは軽く首を動かすだけでよけ、迅はあえて手を伸ばして湯呑を受けとめた。
迅が湯呑を見ながら平然といった。
「よかった。割れずにすみました。水はこぼれてしまいましたが」
顔色も変えずに離れ業をこなした少年たちに、中年夫婦は口をあんぐり開けていた。
「ま、まぁ、せっかく町奉行から来てくださったのだから、少しだけでも話を聞いてもらいましょうよ、あんた」
「そ、そうだな。文句を言うのはそのあとでも遅くないしな。ははっ、ははは」
居間にあげられた二人は、今度はちゃんとお茶を出された。
徳吉は急に正座をして語りはじめた。
「じつはな、十日前に神社の縁日があっただろ。俺たちも神社の手伝いで店を出していたんだ。寒い日だったから俺たちの出したふかしイモは大繁盛。列ができるくらいのにぎわいだったんだ」
徳吉は得意げにはなした。迅はさっきからの徳吉の言動を見て、この人は情に厚い人なんだ、と好感をもった。
「まあ、売上の半分は神社に寄付するって話だったし、俺たちも奉仕のつもりでやっていたからそれはいいんだが、あまりにいそがしくて、ふと気がつくともう夕方だ。横で待っていた孫吉に『おつかれさん』と言うと、孫吉がそこにはいないじゃないか」
徳吉の感情がまた高ぶってきた。
一方、ステファンはさっきから家の中を見わたしている。
徳吉がつづけた。
「孫吉、孫吉、と大声で探したが見つからない。近所のやつらも少しは手伝ってくれたが、早々に帰ってしまいやがる。そこで、俺たちは町奉行に行って、孫吉を探してほしい、と訴えたんだ。すると、奉行所の役人は困った顔をしやがって、宮之屋というところから人をやるから待っておれ、だとよ。そこで来たのがお前たちよ」
感極まった徳吉の目には涙がうかんでいる。女房の千代も袖で目を押さえている。
迅も子どもが行方不明になった二人をかわいそうに思い、また子どもが誘拐されたのに冷たい対応をする奉行所に腹が立った。
「何で、奉行所は取り合ってくれないんですか!?」
「知らねぇさ! 俺たちみたいな貧乏人には相手する価値もないんだろうよ」
「ひどい!」
迅が立ち上がった。
「徳吉さん、千代さん、僕たちが孫吉を探します! なあ、ステファン」
迅は、ステファンのほうを向くと、友人は優しくうなずいた。
徳吉と千代はうるんだ目で少年たちをみた。
「ありがとう! ありがとう!」
徳吉と千代が落ち着いたところで、ステファンは徳吉と千代のほうに向きなおった。
「徳吉さん、千代さん、一つお尋ねしてもいいですか?」
「ああ、なんでも聞いてくれ」
徳吉は袖で涙を拭きながらこたえた。
「……その、孫吉は、何色ですか?」
迅は驚いてステファンをみた。子どもに対して何色ってどういうことだ、と目で語っている。
しかし徳吉は、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに顔をあげた。
「孫吉は、黒くてそれはかわいい雄猫だ」




