第二十四話「里の外へ」
里の外にでる機会は意外に早くおとずれた。
それは、雪が舞うその年の暮れのことだった。里の厳しい寒さにステファンもエミーラも震えあがっていた。
ある日、長老が忍者たちをカラクリ屋敷の大広間にあつめた。
大広間の中央には薪ストーブが置かれ、そこに灯る赤い火がステファンたちをホッとさせた。
「知ってのとおり、闇の一派が活動をはじめているようだ。十年前のことなど思い出したくもない。皆もそうだろう。だが、私たちは備えなければならない。一方で、里での修行だけでは本当の強さを得ることは難しいとも思いはじめている」
「長老、それは里の修行では不十分とおっしゃるのですか?」
発言したのは雷太郎だった。彼はこの一年で精悍になり、人としてずいぶん成長した。
「いや忍術だけを学ぶには、皆は非常にすぐれた修行に取り組んでいる。しかし、実戦での経験は、里の中だけでは高められぬのだ。そこでだ。年が明けてからは、黒忍者同様、赤忍者たちにも街に出て任務をこなしながら実力 をつけてほしいとおもっている」
忍者たちがざわついた。それは動揺のざわつきなのか、喜びのざわつきなのかはわからなかったが、ステファンはこんなに早く外に出られる幸運に感謝した。
年が明け、長老に迅とステファンが呼び出された。
さっそく二人に海辺町での修行が言いわたされた。海辺町は忍びの里から山を下ったところにある比較的大きな町だ。
この修行は赤忍者二人一組が交代で町に出て任務をこなしてくるというものだった。
しかし、長老からは任務内容も期間も教えられず、ただ「町の旅館『宮之屋』の主に会ってこい」とのことだ。
「気をつけて行っておいで」
里の門まで見送りに来たアキが二人にいった。アキにとっても迅が長期間家を離れることはなかったので、少し寂しそうだった。
「大丈夫だよ、母さん。軍師様がついているからな」
迅はステファンの肩をたたいた。
「その軍師様を、どうぞよろしくね、迅」
エミーラは意外に平気だった。任務といっても町に言って人助けをする修行だと聞いていたからだ。
二人に見送られ、ステファンと迅は海辺町にむかった。
周りの山々は見事なほどに雪化粧をしていて、山道も例外ではない。
町は里から山を下りながら歩いて半日のところだそうだが、この雪ではもう少しかかりそうだ。
ゴソッゴソッという雪を踏む音が二人の足跡をつくっていく。
「海辺町に出るのは、一年ぶりだ。去年もこんな雪が降っていたんだ。町に出るって言っても買い物を手伝っただけだけどね」
「町は好きなのかい?」
迅は少し困ったように思案顔をした。
「もちろん里よりも楽しいところが多くて、いつも行くときはワクワクする。でも、ずっと住みたいとはおもわないな。ステファンの町はどうだったの?」
「僕の町はとても広くて大きかった。この国と違って山が多くない分、広いんだ。高いレンガの建物がいっぱいあったよ」
迅は目を丸くしてステファンをみた。
「高いレンガの建物がいっぱい……。想像もできないや。一度行ってみたいな、ステファンの国に」
「ぜひ招待するよ。ぜんぶうまくいったらね」
真っ白な山道をすすみ、二つ目の山を抜けとき、ぱっと視界が広がった。
迅は山の下のほうを指さした。
「ステファン、あそこが海辺町だよ」
ステファンは、迅の指さすほうをみると、そこは木でできた家と屋敷が立ち並ぶ町がみえた。その向こうには海が見える。
「それに、あっちを見てみて」
今度は海岸線の向こうの岩場を指さした。
「あそこにステファンたちが流れ着いたんだって。そのときは鶴山城の城主が通って大変だったそうだよ」
「松五郎さんから聞いたよ。もう少しで連れていかれるところだったって」
「そうそう、あまり良い城主じゃないんだ。向こうの山を越えたところに城が見えるの、わかる?」
ステファンたちのいる山の隣山の向こうに、城の屋根がわずかにみえた。
「主君に恵まれないと本当に不運だね。それにくらべて僕らはあの長老がいて本当に幸運だよ」
鶴山城のことは松五郎からきいていた。城主は民に関心がなく、家臣は私利私欲の塊らしい。
「忍びの里を狙われたりしないの?」
迅は、ふふっと鼻でわらった。
「何度か来ているけど、長老がいつも上手に追い返しているんだ。前も『忍びを我の軍隊に』といって殿様が直々に里にきたんだけど、長老がわざと家畜の糞を里の道にばらまいて、『これも忍びの修行の一環。殿の城でも修行をさせていただけますか?』といって追い返したんだ」
迅は、長老のモノマネをして、ステファンをケタケタ笑わせた。
「でもね、二年前に斬鉄っていう侍が殿の側近になって、権威を振りかざすようになったんだ。噂では斬鉄は将軍から鶴山城に派遣されたんだって」
「将軍?」
「ああ、この国を支配している最高権威者さ。都にある大きな城に住んでいるよ。斬鉄は剣の達人だけど、将軍から遣いだからって威張り散らしているそうなんだ」
「そうなんだ」
もし流れ着いた時に鶴山城主や斬鉄に見つかっていたら、今頃はどうなっていたかわからない。松五郎や流に救われたことを、ステファンは改めて感謝した。
「迅、それにしても、松さんって何者なんだい? 忍者ではないけれど、流さんとよく旅をしているよね」
「僕も松さんのことはあまりしらないんだ。旅の商人って自分で言っているけど、君の国の言葉も話せるし、剣の腕も黒忍者に匹敵するらしいよ」
「へぇ、そうなんだ」
感心するステファンに迅はほほえみかけた。
「でも、松さんが何者であれ、僕らはみんな松さんが大好きさ」
「そのとおりだね」
ステファンもエミーラも松五郎に何度助けられたかわからない。二人にとっては感謝してもしきれない人物だった。
そんな話をしていると、いつのまにか山道を下り終え、二人は街道にでた。
街道は雪のせいか人通りはすくなかったが、それでも行き交う人をみるとステファンはうれしくなった。里の外で人の営みを見るのが初めてだったからだ。
海岸線の街道を進んでいくと、ぽつぽつと家が見えはじめ、やがて屋敷が立ち並ぶにぎやかな通りにきた。
ステファンは髪の毛がみえないよう目深に頭巾をかぶっていたので、相手からは特にじろじろ見られることはなかった。
「うわぁ、人がいっぱいだね」
「これでも雪だからすくないほうだよ。見物もしたいけど、まずは『宮之屋』を探そうか」
海辺町の本通りには、食べ物や、米屋、両替屋、魚屋、などたくさんの商店が町をにぎやかにしていた。
「あれ、宮之屋はどこだ?」
本通りの店をすべて見たが、宮之屋らしい宿屋はなかった。
ちょっと聞いてみるよ、と迅は通行人の男に声をかけた。
「宮之屋? うーん、ああ、町はずれの団之輔のところかい。この道をまっずぐ町はずれまでいったところにあるボロい旅館だよ。あんな酔っ払いのところに用事かい?」
「酔っ払い?」
「なんだ知らないのかい。昼間っから酒を飲んで宿をやっていて、よくつぶれねぇなってみんな不思議がっているくらいだ」
おやっ、と男はステファンをしげしげとみた。
「おお、異国の人かい、初めて見たよ。噂では聞いていたが、本当に青い目をしているんだな。まあ町ではめずらしがられるかもしれないから、今みたいに頭巾をかぶっておいたほうがいいかもな。じゃあな!」
男は、手を振って立ちさった。
さすがに髪の毛は隠せるが、目の色までは隠せない。
ステファンに暗い気持ちが横切ったが、出発前に長老がステファンに話した言葉を思いだした。
「町の人間も新しいものに慣れないといけない。本質を見ず、見た目がちがうだけで異端とするようでは発展はない。まあめずらしがられるだろうが、それもまた修行だと思え」
(修行か。慣れるまで時間がかかりそうだ……)




