19631122(こんとらくと・きりんぐ)
「ですから、署長は出られませんよ。――え? そんなこと、分かるわけがないじゃないですか。いいですか、こっちはそれどころじゃないんです。連邦捜査局の人間がもう我が物顔で――ええ、ええ。そうですか。そうすれば、いいでしょう。こっちは別に痛くもかゆくもないですよ。この有り様に比べれば!」
そう言って、受付係の警官は受話器を電話機に叩きつけるように置いた。
「あのー」カウンターの前にはショートヘアの少女、あるいは長髪の少年に見える殺し屋がものをたずねようとして、上目遣いにしていた。「ちょっとおたずねしたいことが――」
だが、警官が受話器を置いたそばから電話が鳴り、警官はいらだたしくひったくるように受話器を取った。
「はい、こちら、中央署。――はい、警部――いえ、連中は戻ってきてません――もう、目撃者でパンク状態ですよ。取調室が全部塞がってますし、一番いい部屋は連邦の連中が分捕ってます――これ以上、目撃者を送られても、留め置く場所がないです――いえ、ウェアリー警部補はまだ戻られてませんよ――鑑識? さあ、どこにいるのか? ――そう怒鳴らんでください、警部。ブン屋どもはそれこそ蛆虫みたいに湧いてきます。電話はパンク状態で、テレタイプはそれこそ二時間待ちです。――ええ、ティピット巡査を殺ったやつは取調室です。連邦の人間ががっちりかためていて、わたしら地元の警官は全く近づけません。やつがやったと思っているようです。警部、きっとそいつの単独犯ですよ。犯人はアカのオカマ野郎で――」
チン。殺し屋は受話器のフックを指で押して、電話を切った。
受付係の警官が睨んだが、殺し屋はかまわず自分の用を述べた。
「腕時計をなくしたんです。おとといくらいからかな? 落し物コーナーに届いてませんか?」
「落し物? こっちはそれどころじゃない」
「でも、落し物を管理するのは警察の仕事でしょ?」
「あんた、テレビみてないのか? 大統領が撃たれたんだぞ!」
警官は部屋の上から吊り下げられたテレビを指差した。ニュースは何度も同じ映像を流していた。黒い大きなオープンカーに乗った大統領の頭――かっこよくまとめられたブロンドの頭がポンと吹き飛び、脳みそがこぼれ、ピンク色の服を着た大統領夫人が血迷って、トランクの上に這っているところへ、シークレットサービスがかけよって車に飛びつき、座席に押し戻そうとする――その映像を何度も何度も流していた。部屋にいる人間は男も女も、警官も警官じゃないものもテレビを見ていた。怒っているものもいたし、泣いているものもいたし、怒りながら泣いているものもいた。この一大事に置いて、事件をあえて矮小化することで自分の地位を相対的に上昇させようとした男はもっともらしく腕を組み、このテープの持ち主は百万長者になれるな、とどうでもいいことを言っていた。物事全てを懐疑的に見る癖のある老人が嘆きながら言った。
「この町の名が永久に残る。分からんのか? 永久に!」
そのうち口論が始まった。皮肉屋たちは大統領夫人は車から這って逃げようとしたのだといい、もう少しロマンチックな――だが、ややスプラッタな人たちはトランクの上に飛び散った大統領の脳みそをかき集めようとしたのだと言い張り、映像を指差して、ほら、夫人は集めた脳みそを大統領の頭に注ぎ戻そうとしているぞと声高に主張した。彼らに言わせれば、全ては愛のためらしい。
受付の警官はまた電話を取り上げた。
殺し屋は自分で遺失物係を探すことにした。なくすにはあまりに惜しい時計だったのだ。
階段を上がると風紀課のある区画へ入った。いつもなら変態と売春婦でいっぱいの部屋にはありとあらゆるタイプの人間が仕切り壁もない大広間のあちこちで刑事の取調べを受け、大統領の脳みそが吹っ飛んだ瞬間のことをべちゃくちゃしゃべっていた。刑事たちはうんざりして、メモを取るふりをして、美しい花の絵を描いていた。痩せた刑事がダンボールいっぱいの書類を運び、パレードを見に来た物見高い市民たち――オレンジのワンピースを着た太った女、鉄道修理工らしい男、ダブルの背広の中年男は自分が目撃したことをべらべら飽きることなくしゃべりちらしていた。
「だから、言っただろ? おれはそんとき、パンケーキを食ってた。そうしたら、生垣のあたりに一人いて、そいつが逃げたのを見たんだ」
「神にかけて、本当よ。刑事さん、わたし、犯人を見たの。犯人は女だったわ。きっと大統領に捨てられたのよ」
「撃ったのは黒んぼだよ。なんで撃ったかだって? そりゃ、黒んぼだからさ」
殺し屋は何度か、あのー、すみません、と話しかけたが、刑事も目撃者も自分のことに夢中で殺し屋のなくした腕時計に気をまわしてくれる人間は皆無のようだった。
警察記者のたまり部屋では自動車工場を一つ投げ込んだみたいに煙がこもっていて、あちこちのアルミの灰皿に吸殻が溢れるほど突っ込まれていた。発狂寸前の新聞記者たちは少しでもいいから、新しいことを知りたがっていた。警察記者用のテレタイプ端末には長蛇の列で、本社に向けて、大急ぎで記事を飛ばしたがっている記者たちはお互いを貪り食ってしまうくらいの気迫でお互いの足を引っ張り合っていた。新聞記者たちはニコチンを糧に頭のなかで事件の全様を組み立てていた。
「これはアカの陰謀だ!」
「これはマフィアの仕業だ!」
「これは産軍複合体の仕業だ!」
「馬鹿馬鹿しい。あの大統領はヤリチンだった。痴情のもつれさ」
自動販売機は全て売り切れでピーナッツバターのバーの一本も余っていなかった。警察署の食糧事情は悪化していた。本来、収容できる以上の人数の人間がこの古い建物に集まっていたのだ。人の口に入るものは暴騰し、ルートビア一本が五ドル、マスタードつきのホットドックが一本三十ドルもした。
どこも人でいっぱいだった。一人で椅子を占有できるものはおらず、たいてい二つか三つの尻が押し合いながら椅子の端に腰かけている状況だった。
「あのー、すいません。遺失物保管庫はどこですか?」
と、殺し屋がたずねた相手は殺人課の警部だった。
「遺失物保管庫?」大柄の警部はタチの悪い冗談をきいたような口ぶりで言った。「いったい、何を言ってるんだ?」
「時計をなくしたんです。それで遺失――」
警部は手で殺し屋を追い払うような仕草をしてみせると、自分のオフィスを我が物顔で占領している連邦捜査官たち目がけて突っ込んでいき、オフィスと捜査の主導権を取り戻すべく絶望的な試みを開始した。
この警察署で何かを成し遂げるにはコネが必要だった。真実だとか正義だとかではなく、コネ。それこそが宝の隠し場所の扉を開ける魔法の呪文なのだ。
だから、男子トイレでロールタオルをガラガラ引っぱって手を拭いている、髪もスーツも顔色も灰色の男を見つけたときは、殺し屋はうれしくて小躍りしそうになった。
「ああ、やっと知ってる人が見つかった。すいません。遺失物保管庫はどこだか分かりますか?」
灰色男は殺し屋を見た瞬間、信じられないといった顔をした。
「なんで、お前がここにいる?」
「落し物をしました」
「もう州を出ているはずだろ!」
「気にいってる腕時計なんです」
「ちょっと待て」
灰色男はトイレの個室を片っぱしから開けて、なかに誰もいないことを確かめた。灰色男の役割はこの混沌たる警察署で少しでも真相に近いものを見たものを探して、リスト化することだった。
「なんで、こんなところでぐずぐずしてるんだ?」
「何度も言ったとおり、落し物しました。それに替え玉を用意したんでしょう?」
「それについてはここじゃ話せない。来い」
灰色男は殺し屋の腕を取って、そのままエレベーターに乗ると、地下の留置所へ降りた。留置所を見た瞬間、殺し屋はここの警官が本当に混乱していることを改めて実感した。黒人と白人が同じ牢屋に入れられていたのだ。ここでは白人用の牢屋と黒人用の牢屋が分けられているのだが、そんな区別に気を配れないほど、地元警察は狼狽しているということだ。いつもは浮浪者や酔っ払い、ヤク中を閉じ込めるのだが、今日に限っては、少しでも大統領暗殺と関係していると思われた男女が年齢や人種の関係もなく、とにかく押し込められていた。
留置所の前を通り過ぎ、一番奥の部屋に連れて行かれたのだが、殺し屋はひょっとして灰色男は自分を口封じのために殺そうとしているのかと勘繰った。その可能性は捨てきれない。銃は捨てたし、変な疑いをかけられたくないので、ナイフも持っていない。だが、いざとなれば、素手でこの灰色男を殺せる自信はある。
殺し屋が通されたのは窓がなく、裸電球が一つぶら下がった部屋だった。真ん中にテーブル、電話が一つだけ置いてある。まわりは防音壁だった。
分厚い鉄の扉を閉めると、灰色男と殺し屋は一対一で向き合った。
「で、スケープゴートはどうなったんです?」殺し屋がたずねた。「逮捕に抵抗して警官に殺される手はずですよね?」
「ヘマをした」灰色男が憮然としてこたえた。「始末役の警官が逆に返り討ちを食った。スケープゴートはまだ生きてる。もう連邦捜査局の手のなかだ」
そうきくと、殺し屋のなかのビジネスライクな部分がひょいと頭をもたげてきた。
「もし、追加料金を払ってもらえるなら、もう一がんばりしちゃいますよ、ぼく」
「もう一がんばり、だと?」
灰色男は新種のトカゲを見つけたような顔をした。そして、少し考えてから、
「ちょっと待て。それはおれ一人では決められん」
そう言って、電話の受話器を取って、ダイヤルを回し始めた。
「その電話は?」
「安全だ。局を通ってないし、盗聴もできない」
そのうち、電話口に誰かが出た。それが誰なのかは殺し屋は知らされていない。
「どうも――ええ、そうです。ええ、うまくいってます。半分は――スケープゴートがまだ生きてるんですよ――ええ、ええ。でも、それは我々の不手際じゃないですよ。地元警察の不手際です。バニスターに文句を言ってください――はい、その始末のことですが、例のやつが、追加料金を出せば、もう一がんばりすると言ってます――そいつの腕のよさはテレビを見れば、飽きるほど教えてくれますよ。自動車で移動中の頭にボルトアクション・ライフルで二発。あんな見事な狙撃をあのスケープゴートのボンクラに出来るわけがないことはもうすぐ知れるでしょう。――ええ、ええ――。連邦捜査局は問題ありませんよ。長官がこっち側ですから。でも、あの弟の、司法長官が――ええ、厄介ですから、もう、この際、スケープゴートも――え? ああ、あのナイトクラブを持ってる男ですよね? チームスターの会合で見たことがあります。――あいつに? まあ、あなたがそう言うなら、それでも構いません。ただ、覚えておいてください。今度の不始末は全部バニスターのヘマですからね。あいつには一つ言っておく必要があります。正直、あいつはおしゃべりが過ぎるんですよ――ええ、そいつには言っておきます。では」
受話器が置かれた。
「追加の一がんばりはしなくていい。こっちで目途が立った。それより、上の連中はお前がいい仕事をした。そう言っていたぞ」
「お客さまに満足いただけてなにより。それでぼくの腕時計は?」
「新しいのを買えばいい」
「あれは一点ものなんです。同じものは二つとないんです」
灰色男はふーっと大きくため息をつくと、自分の腕時計を外した。
「ほら、これを持ってけ。ボーナスだ。二百ドルもしたんだからな」
その後、灰色男は交渉はしないと言わんばかり、殺し屋に背を向け、また電話をかけた。
「ジャックか? おれだ。サム・Gからの伝言だ。お前はこれから大統領夫人のためにあいつを撃つんだ。誰を撃つかだと? オズワルドに決まってるだろ、この馬鹿が。いいか。サツにパクられても、大統領夫人がかわいそうだったから、撃ったと言い張れ。ほんとのことを少しでももらせば、サムがお前をどうするか、分かってるだろ?」
灰色男はちらりと殺し屋に目をやると、しっしと手をふって追い払った。
殺し屋の涙色のクーペは警察署から二ブロック離れたダイナーの前に駐車していた。
ダイナーのスツールにはおかわり無料のコーヒーにありつこうとしている年寄りたちが座っていて、テレビに釘付けだった。殺し屋は最後の一つに座ると、店主にハンバーガーを注文した。
「落し物は取り戻せたかい?」コーヒーをポットから注ぎながら、店主がたずねた。
「だめでした。もう、ひどい有り様です」
「そりゃ、大統領が撃たれたんだから、騒ぎにもなる」
「あなたは入れたんですか?」
「何を?」
「票です」
「入れなかったな」
「どうして?」
「髪型が気に食わなかった」
店主はミンチ肉を鉄板に押しつけた。脂がじゅうじゅう鳴り出した。
ひょっとしたら、と殺し屋は考えた。時計は教科書倉庫を下見したときになくしたのかもしれない。結局、ぼくが撃つのはあそこじゃなくなって、倉庫にはスケープゴートがはめられて出向くことになったんだけど――。
客の誰かが言った。「見ろ。あいつが大統領を売ったんだ」
テレビにはスケープゴートが映っていた。小柄で細くて弱々しい疲れた笑みを浮かべた男。テンガロン・ハットをかぶった背の高い二人の私服刑事に両脇をはさまれたスケープゴートは手錠をかけられ、警察署から連れ出されるところだった。
「ぼくの時計!」
殺し屋は思わず叫んだ。スケープゴートの手首に彼の時計が巻いてあったのだ。
「ぼくのだぞ! 返せ、泥棒! ちくしょう! 時計泥棒!」
だが、殺し屋の叫びに誰も耳を貸さなかった。ちょうど、殺し屋が叫んだ瞬間に中折帽をかぶったずんぐりとした男がスケープゴートの前に飛び出して、スケープゴートの腹に二発撃ち込んだのだ。
それからは大騒ぎだった。男が取り押さえられ、スケープゴートは仰向けに倒れ、フラッシュが焚かれ、アナウンサーは取り乱し、倒れたスケープゴートを追う映像のなかで地元の警官が履くカウボーイブーツがバタバタバタバタとコンクリートの床で足踏みし、そして――、
グシャ。
殺し屋の腕時計はスケープゴートの手首ごと踏み潰された。
ひどく焦げ臭いのに気づいて見てみると、彼のハンバーガーに供されるはずのミンチ肉がブスブス焦げていた。ダイナーの店主は殺し屋のハンバーガーのことはすっかり忘れて、口をぽかんと開けて、テレビに見入っている。
もうこうなっては何を言っても、何をやっても無駄だ。因果応報だと思ってあきらめるしかない。
殺し屋はがっかりして、無料のコーヒーを空しくすすった。