4 春休みのおバカたち
誰もが呆然と見守る中、季節外れのサンタもどきはためらうことなく店内に設置されたゴミ箱の前へ行き、担いだ袋を置いて手を突っ込んだ。
取り出されたのは、おもちゃのプレゼント――などではなく、空になった弁当箱。新聞。ペットボトル等々。
それら生活ゴミをキッチリ分別して投棄すると、サンタもどきは回れ右して店外へ出て行こうとした。
「やだー、何あれー。さっき駅の売店でも同じことしてたよね」
さっきのカップルの、女のほうが声を上げる。その声で、店内の客たちと店長が正気を取り戻した。
「こらー! 生活ゴミは収集所に捨てろ!」
「……う」
店長が怒鳴り散らす。その途端、サンタもどきはビクッと背筋をこわばらせ、油の切れたブリキ人形のような硬い動きで振り向いた。
――あ! もしかして、コイツ泣くかな?
「うあぅおぉぉ、ぅあああああああ!」
夜のコンビニに、レンの感動的な泣き声が響き渡る。嗚呼、なんという甘露!
声に圧倒されたのだろう、店長は注意したままの姿勢で硬直していた。その隙にレンは、ゴミ袋を大切そうに抱えて走り去った。
――これは、なんかこう、面白いことが起こっている気配がする。
僕はコーヒーの入っていた紙コップを捨てると、自動ドアが開くまでの時間さえもどかしく、彼女の後を追った。
雨の夜の逃走劇は、さして時間をかけずに終了した。荷物を抱えている分、走る速さは彼女のほうが遅い。追いつきそうになったところで、僕は声をかけた。
「あの、ちょっと待って!」
「ひっ!?」
彼女は半泣きで振り返る。だが、それは雨で濡れた歩道を走っている最中には、あまりにも不用意な行動だった。
つるり。足を滑らせた彼女は、放物線状にゴミをまき散らしながら、アスファルトの歩道に倒れ込んだ。一拍遅れてドシャッという音が聞こえる。
「いったぁーい! うわぁぁぁぁん!」
「え!? ちょっと、大丈夫!?」
「足が痛っ、足折れた! えーん、痛いよおおおおお!」
「おいおい、そんな簡単に骨が折れるもんか」
……もしかしなくてもコイツ、底抜けのアホなんじゃないか。
僕は倒れたレンに向かって、右手を差し出した。しかし奴は「無理ですぅ」の一点張りで立ち上がろうとしない。
そのまま時間だけが過ぎて行った。
……気まずい。
小雨が降っていたとは言え、周囲には人の目もある。さすがに放っておけなくなった僕は、携帯で救急車を呼ぶことにした。
救急隊員の人たちも、最初はレンを見て大きな駄々っ子だと思ったらしい。なぜか僕に対して「最近は高齢化で緊急通報が多いんです。転んだくらいで救急車を呼ばないでください」と文句を言って来た。
ところが、レンのスカートの裾をまくった途端、彼らの顔色が変わった。
「膝付近の複雑骨折です! すぐにでも手術します!」
「はあ!?」
一瞬、相手の言葉が脳みそを上滑りした。複雑骨折? 雨で滑って転んだだけで?
救急隊員さんは真顔で話し続ける。
「これから病院へ行きますが、お友達の方も救急車に同乗しますか?」
「あっ、いえ、僕は結構です。お母さんと連絡取れると思うので、電話してください」
「あっ、ダメぇ! お母さんだけは嫌ぁ!」
「それじゃ、僕はこれで」
「やめて、たーすーけーてー!」
なんとなく、ややこしくなる気配を感じた僕は、早々にズラかることにした。
羽水レンが救急車で運ばれてから一週間が経過した。
僕が得た教訓といえば、本当にギャグ漫画みたいな骨折する人って居るんだなということだった。体が細い人はうらやましいけれど、骨まで弱くなるようなダイエットは避けよう。
そうして僕は、ありきたりな春休みに入ってゆくはずだった。
――ところが、羽水レンとの関わりは、そこで終わらなかった。
僕の携帯にモリセンから電話がかかってきたのは、その日の夕方だった。
『鐘梨。羽水が骨折して救急車で運ばれたそうだな』
「はい……」
『お前が救急車を呼んでくれたって、本人も親御さんも感謝していたぞ』
「いえ、僕は偶然、居合わせただけで……」
するとモリセンは、大げさに溜息をついてみせた。
『あのなぁ鐘梨。『僕』は止めろと言っただろう』
「あっ……今度から気を付けます」
『社会に出てからじゃ遅いんだ、早く直したほうが……』
そこまで言葉に出しながら、モリセンは不意に口をつぐんだ。病院から電話しているのだろうか、受話器の向こうから複数の人の声が聞こえる。
ざわめきの中、僕とモリセンは不思議な沈黙の中に居た。まあいいよ、と沈黙を破ったのはモリセンの方だった。
『お前に電話したのは他でもない。期末試験も終わったし、羽水が入院している海浜病院へ、お見舞いに行かないかと思ってな』
「お見舞いですか?」
『そう、俺とお前とでだ。骨折したところの手術は終了して、もう面会可能らしい』
少しの間、何を言われているのか分からなかった。ところが休日に森田先生とお出かけできると理解した途端、僕の体は首筋から耳にかけて、お湯をかぶったみたいに熱くなってしまった。
――断ろう。
とっさに、そう思った。自分がみじめになるのが目に見えていたからだ。
僕が告白して以来、モリセンとの関係はギクシャクしている。きっとモリセンは気を遣って、僕たちの関係をただの教師と生徒のそれに戻そうとしているのだ。着いて行く必要は無い。
けれど。
『鐘梨。お前は社交性というものを磨く必要がある。今回は特に、親御さんが感謝の言葉を伝えたいと仰っているんだ。お会いして話をする、社会人になるなら経験しておくべきことだと思わないか?』
「ううっ」
モリセンは、正論という、人の心に一番刺さる武器を使って来た。
『どうする、鐘梨?』
「……行きます」
片思いをこじらせると大変である。自分が何かに魂を売り渡す瞬間の音を、僕は確かにこの耳で聞いた。