3 僕の幸せ
――泣いている女は美しい。それが僕の持論である。
何を隠そう、僕は同性が泣くのを見るのが大好きなのだ。
女というのは、我ながら哀れで仕方ない生き物である。人付き合いのしがらみの中、自分を自由に表現することもできずに、常に他者の存在を意識している。そんな我々が、他者の存在を忘れ己のためだけに声を振り絞る。なんと尊く、感動的な行為ではないか。
特に今回は羽水レンの、心身ともに折れてしまいそうな線の細さが気に入った。あんな華奢な体から、どうやってあの感動的な泣き声を上げるのか。もはや人類の神秘としか言いようが無い。
であるからして、僕が取るべき行動はただ一つ。いかにして羽水レンを泣かせるかである。
ファミレスで別れた後、レンは母親を迎えに駅に行った。僕はレンのアパートへ行き、彼女から預かった鍵で中へと入った。
そして部屋の異様さに、改めて驚嘆した。
「なんだ、こりゃあ……」
部屋の入り口に積まれた新聞紙で気づかなかったが、そのもう少し奥、部屋の中央にはコンビニ弁当の空き容器が、綺麗に洗って並べてあった。
手に取って観察してみる。これは今年の1月のもの、隣は2月、3月……
「買った日付順に並べてあるのか? でも何のために?」
さらに部屋の奥へと進むと、テレビの周りにレンタルビデオ店のロゴが入った青い布の袋が複数置いてあった。返却日は……来週だな。
気になって机の引き出しを開けてみると、様々なレシートが日付順に束ねられて収納されていた。
僕は、この部屋が作られた意味を考えた。いわゆるゴミ屋敷ではない。不要になったものを清潔な状態にして、日付順に並べてある。並大抵の手間ではないはずだ。
――その部屋を掃除しろとは、どういうことだろう?
「うーん、部屋を思いっきり汚してやって、お母さんを怒らせてやろうと思ったんだけどなあ……ちょっと怖いよ、この部屋」
しばし迷った末、僕は何もしないことにして部屋を出た。
そうして部屋の鍵を郵便受けに突っ込むと、アパートの外周を囲う塀にもたれてレンの到着を待った。この辺りは学生街なので、アパートの前に女生徒が立っていたところで、とがめる者は居るまい。
ところが、通りかかった女の人が急に話しかけて来た。
「ねえ、あなた清水高校の学生? この近くのアパートで、201号室に住んでる女の子を探してるんだけど、知らないかなあ?」
思わず相手の顔を、まじまじと見てしまった。髪は金色に染めてあり、ゆるやかなパーマがかかっている。カラフルなボーダーのシャツに、浅葱色の上着。理由は無いが「遊んでそうだな」と感じた。
しかし201号室には、これから修羅場と化してもらわねばならない。僕は心を鬼にして、知らないと嘘をついた。女の人は、あっそう、と去って行った。
しばらくして獲物――じゃなかった、レンが帰ってきた。隣には華やかなヒョウ柄のコートを着て帽子をかぶった女性が一緒である。おそらく、これが母親だろう。手にはデパートの紙袋を提げている。娘に似て唇は薄いが、キュッと端が吊り上がっていて自己主張の強さを感じる。あいにく目元は見えなかった。
二人がアパートに入っていった数分後。大きな怒鳴り声と、ジャングルの奥地で極彩色の鳥が歌っているかのような泣き声が、夜のしじまを揺るがした。
僕は、その泣き声の美しさに、時が過ぎるのを忘れて酔いしれたのであった。
春が近いとは言え、三月の夜はまだ冷える。
帰り道、僕は暖房の効いたコンビニのフードコートで、頬杖をついてホットコーヒーを飲んでいた。
僕が子供だった頃、母さんは毎日のように父さんとケンカしては、わんわん泣いていた。人が近寄ろうものなら突き飛ばす程の激しさで周囲を拒絶し、ただ自分のために泣くのだ。
それを子守歌にして育った僕は、人の泣き声を聞くと母の泣き声と比較してしまう癖がある。羽水レンの泣き声は、母さんと比較して実に美しい。母さんよりも気の弱い泣き方なのに、しっかり聞き取ることができ、声の質においても全く劣らない。
とは言え、僕はレンからの頼みを一方的に破棄してしまった。次に会っても口をきいてくれるかさえ怪しい。
――卒業までに、なんとかもう一度泣かせられたらラッキーかな。
僕は、ちょっと残念な気持ちを鎮めるべく、さらにコーヒーをすすった。
天井に設置されたスピーカーからはラブソングが流れてくる。店外では赤い服を着て白い袋を担いだ女性が歩いていた。もう3月だというのに、サンタクロースのコスプレだろうか。
コーヒーを飲もうとして、喉が空気を飲み込んでグッと鳴った。カップを覗くと、いつの間に飲んでしまったのか、もう空っぽになっている。
――帰るか。
窓の外を見ると冷たい小雨が降り始め、静かにアスファルトを濡らしている。
どうしよう、ビニール傘を買って帰るか、家まで走るか。そんなことを考えながら席を立った、その時だった。
自動ドアが開き、カップルが笑いながら入店してくる。そのとき小声で女のほうが「なにあれ、キモーイ」と言ったのが耳についた。
――キモイって誰が? まさか僕じゃないだろうな。
キョロキョロ店内を見回していると、女がさらに声を上げた。
「嘘、アイツ駅にも居たよね? やだぁ、また来るよ!」
「季節感0じゃん、マジヤベぇな。目を合わせるなよ」
……また? またって何だ?
店外に視線を送る。すると先ほど目についたサンタコスの女が自動ドアをくぐって店内に入ってくるところだった。
しかし彼女の姿を間近で見たとき、僕は驚きの声を上げずにいられなかった。
彼女が抱えている袋は、白いビニールのゴミ袋だったのだ。服だって、よく見れば赤い服に白いマフラーをしているだけ。サンタでも何でもない。
そして肝心な顔を見た瞬間の、あの感動はどう表現したらいいのか。
――泣いていた。
なぜだか赤い服に着替えた羽水レンが、泣きながらゴミを担いで入ってきたのだ!
僕のテンションは一気に高まった。