悪いこと
今回短め
すがくんはため息をつきながら僕近づいてきた。
そばで座りこむと整った顔立ちと黑い瞳がよく見える。
そして荒々しく僕の髪を撫でる。整えているつまりなのだろう。
顔には不機嫌という表札を下げている彼が僕の衣服を整えてくれた。
おかしいことかもしれない。けれど怖さは感じず可笑しな彼に笑いが込み上げてきた。
(すがくんが優しい、顔はその逆だけれども)
彼は僕の顔を見て殊更に顔を歪ませる。
「あんたわかってんの?」
声に苛立ちを隠さず真正面から見つめてくる須賀くんは少し怖い。けれど心は震えなかった。
「そんなんだから襲われんだよ、これじゃあんな状況になっても文句言えない。」
その言葉に先ほどの光景が思い出され体が震え始める。それを両手で止めようとしたけど叶わない。けれど…言わないと。
「し、っていた。この店で何人か、の人に、好意、寄せられていること。だから、それを甘くみた、私のせい。あの人は、」
須賀君は再びため息をつく。何か間違ったこと言ったんだろうか。
少し不安になり顔を上げる。その時おでこに指弾され、痛さのあまり悶えた。
「バカだな。」
「えぇ、」
おでこを押さえながら須賀君を見上げる。やはり不機嫌そうな顔をした須賀君が立っていた。
この人はよく分からない人だ。
「悪いことやった方が悪いに決まってる、確かにあんたにも否があったけど全部あんたのせいってわけじゃない。長島が一番悪んだよ。」
「悪いことやったって…?」
「はぁぁぁ、もう。今回の場合、行動で自分の想いを示したってこと!」
「行動で自分の思い示したら悪いことなの?」
「場合によるが、基本相手の意に背く形になるのを分かっていて行動するのは悪いことだろ!?ちがうか!?」
「・・・そうなんだ。」
色々思い出す。
(あれは悪いことなの?…分からない。だって)
自分の過去の深みに嵌りそうになった。これ以上考えないように考えを振り払う。止めよう。もう過去の事。振り返っても何にもならない。
「覚えておくね、悪いことの定義。」
そういうとやっぱり須賀君は不機嫌な顔をした。それを見て僕は何故か笑ってしまった。
難しい人だけれど可笑しな人だ。
「もおおおハルちゃん大丈夫!?」
「はい、マスター」
トイレから出て私服に着替え終わる。
更衣室を後にすると廊下に立っていたのは血相を変えたマスターだった。
見た目は20代くらいのお兄さんって感じの人だ。
よく甘いマスクと呼ばれるその容姿はガキの僕でさえドキドキする。
愛嬌がある垂れ目や色っぽさを感じる口元、シミひとつない肌を持つ。
そんなマスターは僕をぺたぺた触り「何処も怪我はないわね!?」「ああっちょっと手擦りむいてるじゃない!!」と必要以上に心配している。
「マスター、心配しすぎですよ。僕平気です。」
「そんなわけないじゃない!!ハルちゃんはおんn」
「わーわーわー、マスターここ廊下ですよ!!」
慌ててマスターの口を手で塞ぐ。マスターの身長は僕と頭1個分違う。狙いはずれて顎と口を微妙に隠すという失態を犯してしまったが、そこは僕の声で誤魔化す。
「…ごっめーん」
チロリと舌を出すマスターは女顔負けの可愛さを持っていた。僕は謝りながら両手を下す。マスターは怒っている様子はなく寧ろ機嫌が良かった。そしてふと疑問に思ったことを口にする。
「そういえばマスター今日不在なんじゃ…」
「そうだったんだけれど、尊から連絡があって。ハルちゃんが大変な目にあったってさ。もう仕事を放って来ちゃった」
「そ、それ大丈夫なんですか?」
「うーんまずいかな」
笑いながら言われても説得力に欠けていた。
しかし、普通に考えて自分の首を絞める状況になっているに違いない。
カリスマ性がある人はそれすらもスパイスにして人生を謳歌するのだろうか。
マスターは僕が妙な顔をしていたのに気づき、困った顔をしながら僕の頭を撫でる。その手つきはまるで手のかかる子供をあやすようだった。
「心配だけれど私は行くね。やっぱりまずいから」
「その方が良いですよ!僕は大丈夫です。」
大丈夫といったがマスターの顔の憂いは晴れなかった。
少しマスターは考える素振りをみせる。そして何か思いついたようにバックに花を咲かせ声を上げる。
「みことーそこにいるんでしょう?」
廊下の奥に話しかけているようだがそこには誰もいない。
マスターの不可解な行動に不安になったがすぐに霧散する。
奥の曲がり角から人の姿が現れた。黒髪にすらりとした体躯を持つその人はつい先刻まで一緒にいた須賀君だった。やはり不機嫌そうな顔をしていたが心なしか嬉しそうである。
マスターはそんな須賀君に驚く科白を言い放つ。
「尊ハルちゃんの送りよろしくね」
ウィンクしながら茶目っ気たっぷりに吐いた言葉に言葉を失った。須賀君は舌打ちしながら拒否どころか文句の一つも言わなかった。
「えぇ、マスター僕は大丈夫なんですが」
控えめに一人で帰ると意を伝える。マスターは指でバツ印を作り無言の拒否を示す。
マスターはこういうごり押しを時々する。
いつもは我儘聞いてくれるけれど自分の意にそわないものは拒否をするし従わせる。
何を言っても無駄だと分かっていたから須賀君は何も言わなかったのだろう。
「ちゃんと仕事してくださいよ」
須賀君は最後にそういい残すと僕の手を引っ張って歩き出す。混乱しながら須賀君についていく。マスターのことが気になり後ろを振り返るとそこには誰もいなかった。