惨劇の食卓
翌朝。といっても暗い。窓にはカーテンがかかったままだけど、それにしても暗い。天気が悪いのか、日当たりが悪いのか、まだ夜みたいだ。
でも体はもう痛くない。
まさかと思って吊られた足を揺すってみたけど、痛くもなければ動かすのに不自由もなさそうだ。
一晩かと思ったら何日も過ぎてたの?
またあのメイド看護師さんが来た。おはようございます、お加減はいかがですかと聞いてくるので、大丈夫みたいですと伝えると。
「安心いたしました。それならお支度をお手伝いいたします。じきに朝食のお時間ですので」
そう言うと私の体の包帯を外し、そのパワフルな手で寝巻きまで剥ごうとしてくる。
「え! だ、大丈夫です! 自分で着替えられますから」
着替え介助までは要りませんって!
信じられないが、どうやら本当に治っているらしく問題なく起き上がり、床の上に降り立つことができた。
ん? 慣れない部屋のせいか、妙に目線が低い気が。
看護師さんがクローゼットらしきものに向かっている間に、着せられていたネグリジェみたいなのを脱ぐ。確かにこんなスケスケレースのネグリジェでは人前には出られない。
ツルペターン。
え?
あれ?
下を向いて確認してみる。
ペッタン娘?
もう少しだけ胸があった気がするんですが。大病をして痩せちゃった?
手足を見てもずいぶんか細くなってしまっている。まるで子供だ。肌も病的に青白い。
固まっている私に看護師さんが手に着替えを持って声をかけてくる。
「お嬢様、どちらがよろしいでしょうか? こちらの夜空のように深い紺? それとも血のように鮮やかな赤?」
何故にそんなドレスを見せてくるの?
ドレスなんて着ないってば。ああ、ここではこれだってこと?
他にないなら仕方ないと、脱いだネグリジェで前を隠しながらそちらに向かう。
でも気になるのはそれらがやけに派手な上に子供っぽいデザインだということ。生地が上等なのは触れれば分かったけど。真っ赤はアレなので紺を選んだ。
その後、髪を梳かれて結んでもらう。変なところでサービスいいのね。
でも変。あれ、私こんなに髪長かったっけ? せいぜい鎖骨くらいの長さだったはず。今結われてる感覚では背中まではありそうだ。
気になるけど、化粧台なのにどこにも鏡が置いてないから確かめることが出来ない。
「あの、すいません。鏡ありませんか?」
私の質問に看護師さんは不思議そうに目を瞬く。でも、かしこまりました、とエプロンのポケットから手鏡を出して渡してくれた。
私は自分の頭が映るように手鏡を持ち上げる。
あれ?
何で映らないの?
後ろにいる看護師さんが小さく映ってる。その前に私がいるはずなんだけど!
何度やっても映らない。何かのトリックなの?
「えっと、私が映らないんですけど」
「ええ……。それは仕方がないかと。姿をご覧になりたいなら鏡ではなく、絵を描かせるしかございません」
看護師さんはちょっと戸惑ったような顔をしていたが、こちらのドレスでの姿絵はまだございませんが、良くお似合いです、ご安心くださいとか何とか。
困惑しながらも部屋を出るとさらなる混乱が私を待っていた。
「すいません、ご飯の前にトイレに行きたいんですが」
実は催してきたのをさっきから我慢していた。こんな面倒な服を着せられるなら先に行けば良かったと後悔しつつ言うと、看護師さんが目をパチクリさせている。そんなに変な事言った?
「まあ、お珍しい。お供いたします」
そう言うと手燭を持ち先導してくれる。所々ロウソクが燃えているけど廊下は暗い。この建物は全体的に窓が少ないうえに分厚いカーテンが締め切りらしい。
怪しすぎる。本当に何なの、ここ。お化け屋敷病院? コンセプトカフェとかあるもんねぇ。
連れて行かれた先で厚い木の扉を開けてくれる。
しかしその小部屋の中には、今まで私が見た事もない物体が鎮座していた。
えーと、木製の椅子みたいなものの真ん中に穴が開いている。
つまり椅子型のおまるだ。
何と、臭いからして汲み取り式らしい。
うそ! とんでもないド田舎の病院なの? いや偏見じゃないんだけど。どこなの、ここ?
中に入れられ扉を閉められるが、もはや尿意は引っ込んでいたのですぐに外に出た。
連れて来られたのは、広い豪華な食堂。大きな椅子を引いてもらって腰掛けるが、真っ白なクロスの敷かれたテーブルには赤い液体の注がれたワイングラスが置いてあるだけ。
ブドウジュースかと顔を近づけるとムワッと生臭いような鉄臭いようなニオイ。ちょっとトロッとしている。口を付けずにすぐにグラスをテーブルに戻した。得体の知れない液体だ。健康ドリンクかな? 以前母が手作りした、恐ろしく不味い赤紫色のドロドロした野菜スムージーを思い出した。
それをあの三人が美味しそうに傾けている。向こう側に旦那様と奥様、こちら側に若い男の人で、その隣が私。
「ああ、やはり私の言った通りだろう、一晩ゆっくり休めばすぐに怪我など治るって。さあ、体力を回復させるためにも早く食事をしなさい」
「まあ、本当に良かったわ。もうどこも痛むところはないのね?」
旦那様という男性は壮年の美丈夫で、艶のある黒髪をオールバックに撫でつけ、口ひげを蓄えている。鷹のように鋭い瞳は金色。高い鼻はちょっと鷲鼻気味だ。体格は立派だけど、病的なほど色白で朝からタキシードのような格好でめかし込んでいる。
奥様も同様。長い黒髪を結い上げていて、ゆったりめの漆黒のドレス。ネックレスにイヤリング、指輪に髪飾りと至るところに宝石を散りばめ、着飾っている。でもそれにも全く負けない程の凄まじい美女。年齢は全く分からない。お化粧バッチリの切れ長の目元はキツい印象を与えるが、同時に色っぽく、真っ赤な唇が弧を描いている。
若い男のほうは少年から青年になりかけといった年齢。旦那様に良く似ていて、血の繋がった父子だと見ればすぐに分かる。長身で痩せ型。違うところはヒゲがないのと、黒髪は同じくオールバックだけど彼のほうが長く伸ばしている事と、母譲りらしい濡れたように濃く赤い唇。同じく黒尽くめの服装だけど二人ほど着飾ってはいない。
「ほう。そのドレスは初めて見るな、少しデザインが地味じゃないか?」
「そう? でも素敵な色でしょう? 私とお揃いで作ったのよ。でももっと派手でも良かったかもしれないわねぇ」
「今は昔ほど派手なドレスは流行っていないんですよ。シンプルというかカジュアルなほうが人気なんです」
私を置いて三人はグラスの中身をゆっくりと飲みつつ、ファッション談義を始めた。勝手にしろ。
いつまでたっても他のものが出てくる気配がないので、お腹の空いた私はそのグラスを持ち上げ、顔を近づける。
う、やっぱり変なニオイ。
少し舌の上に流し込んだ次の瞬間。私はそれを吹き出した。
「ぶはっ!」
何これ! この鉄の味は。
これって血じゃない!
何でこの人達こんなの飲んでるの!?
テーブルクロスに出来た赤いシミを見つめ、反射的に口を押さえた。
吐きそうになった私はフッと体から力が抜け椅子から崩れ落ちそうになる。
「どうしたのミザリー! やっぱりまだどこか具合が悪いのね? カミュ、急いでベッドに運んであげて!」
奥様が悲鳴に近い声を上げ、カミュ、と呼ばれた息子のほうが慌てて立ち上がった。
カミュ?
何だか聞き覚えのある名前。
近付いて私を抱き起こす黒髪の青年の顔を見つめる。
大丈夫かと聞いてくるその声。パッと脳裏に何かが浮かんだ。この綺麗な顔をもう少し大人にしてアニメチックに描き出したら。
吸血鬼一族の伯爵の子息、カミュ・フォン・カラミティ。
昔プレイした、とあるゲームの登場人物だ。