非情なる婚約破棄
巫女の衣装と化粧を施して、魔王城へと向かう馬車に乗る。距離としてはたいして離れていないから徒歩で行けるんだけどね。形式というものだ。
城門を通り、城の前の階段に降り立った。
ひゃあー。
始めてこんなに近くで魔王城を見るわ。神殿も大きかったけどこっちはさらに大きい。というか高い。
一体何階まであるのかしら。
大神殿が白いのに対してこちらは真っ黒な建物。
暗い夜の闇に溶け込む、黒い艶のある石を削り出して建てられているようだ。無数の尖塔が聳え立ち、上のほうはあまりの高さに良く見えない程。
漆黒の壁を彩るように、蔓性の薔薇が這っていて濃い赤の花をちらほらと咲かせている。
窓からボンヤリと明かりが漏れているのが、暗闇で輝く魔獣の瞳のようだ。
あちこちに置かれている装飾兼警備を担当するガーゴイルを始めとする精緻な石像達が油断なく侵入者に目を光らせている。
美しいけど不安感を煽る不吉な様相。暗雲と遠くで光る稲妻がお誂え向きだ。
圧倒されて足を踏み入れるのが恐ろしくなってくる。前に立つ大神官様ですらも緊張しているみたいだし。
目の前にある大扉がまたとてつもなく大きい。ゴゴゴと地響きを立てて、ゆっくりと開かれていく。
中に入ると、内側は外と違って煌びやかで絢爛だった。至る所に装飾品が飾られ、目に痛いくらい。
角と大きなコウモリの羽根を持つ案内人に導かれ、奥へと進んでいく。
苦悶の表情を浮かべた人間達が幾重にも連なった彫像が高い天井を支える柱になっていて、ダークな雰囲気が満載だ。
何だか、地の底から絞り出されるような苦痛の声が充満しているような気がするわ。
「ふう、さすがに緊張しますね。しかしこの亡者共の苦痛に喘ぐ声が心を沈めてくれるようです」
緊張に震える私に大神官様がハンカチで額を拭きながらそっと声をかけてくれる。
あら、やっぱり聞き違いじゃないのね! 怖っ!
長い階段が幾つも交差する城内はまさしく迷路だ。
本来の用途をなさぬ、途中で途切れている階段も多い。何故かというと。
「こちらへ」
案内人が示す階段は十段程で終わる短いもの。その先は直径五メートル程の磨かれた石の台座のようになっている。
私達がそこへ乗るのを確認して、最後に案内人も上がってくる。小さな合図と共にその台座が空中にフワリと浮き上がり、そのままゆっくりと浮上していった。
ゲームでのラストダンジョンであるこの城はこういうギミックが多い。正解のルートを通らないと上に昇れずループしてしまうのよね。
実際に乗ってみると凄い。近い物で例えれば、エレベーターのようなものね。違うのは魔力で動かしている事。
乗っている私達にはほとんど振動もないし、音もしない。あっという間に目も眩む高さにまで来た。
怖いのは、何かのアクシデントでナナメになってしまって滑り落ちてしまったら、とかだけど……。
そんな事を考えたら下腹部の辺りがヒュンとしたわ。
私が一人でヒュンヒュンしている間に目的地に到着していたらしい。
透かしやら宝石やらで飾られた美しい両開きの扉の目に降り立った。両脇には武器を構えたガーゴイル兵が不動の姿勢で立っている。
「あの巫女殿、魔王様の前ではご自分のことは妾、ですよ。難しいとは思いますが、あまり謙らないように」
大神官様がそっと耳打ちしてくるが、何とも無理な注文だ、王の前で謙るなって!
えええ~、不敬罪とかで打ち首にされたりしないよね!?
「え、ええっ、そんな、どうすれば?」
「威厳を保って、といってもいきなりですからね、とにかく落ち着いていてください。話すのは私に任せてくれれば大丈夫ですから」
そう言って微笑む大神官様。ああ、何て頼りになって優しいのかしら。
衛兵と一言二言交わした案内人が扉に手を掛けたので、話を切り上げ、前を向く。
大きな扉がゆっくりと開いていき、中からほんのりと薄紫色の明かりが漏れてきた。
謁見の間は広く、とても奥に長い。
黒い壁に灰色の床。壁の悪魔を模した彫像に紫の魔法の明かりが灯っている。
深い赤の絨毯の続く先に玉座が置かれていて、ここからでも数人がいるのが見えた。
ゆっくり歩く大神官様の後ろにピッタリ付いて進んでいく。
中央の大きな玉座に座っているのは魔王様。顔はあのポスターで見たのと同じ。いや、それよりずっと格好良い。
自信に満ちた表情の力強さと、爛々と輝く金色の瞳にはやはり王者の風格がある。
銀で縁取られた漆黒のローブに、同色のマント。
この魔物の国の支配者にして、あのヴァレイオス君のお父上でもある。でも彼とは顔はあんまり似てないみたい。ヴァレイオスは母親似なのね。
ゲームでの魔王様は王らしく尊大な口調と態度の傲岸不遜なキャラだった。
パートナーとしては、敵が遠ければ魔法で、近ければ大鎌でとオールレンジの万能タイプで隙がない。さらには全ルート共通のラスボスでもある。
夜間の町で一定確率でお忍びで城下を歩いている時にヒロインと出会うイベントが起きて、以後は酒場やお店など町のどこかにランダム出現するようになりパーティに誘えるようになる。
最初はヒロインを小馬鹿にした態度だが、仲良くなるにつれてだんだんと認めてくれるようになるのだ。
でも実際の魔王様はどんな方なのかしら。
そして玉座の側に控える美しい女性達は魔王様の奥方様達だ。
今この場にいるのは筆頭の三人だけ。第一番目の王妃を先頭に、後ろに第二番目、第三番目の王妃。
謁見の間には衛兵の姿はない。
何故なら、あの奥方様達はただの綺麗な飾り物などではなく、この謁見の間に来た者が少しでも不穏な動きを見せれば即座にその牙と爪を突き立てる、美しくも猛々しい護衛者でもあるから。
大神官様達が挨拶と礼をするのに合わせて私も礼をする。
いよいよ私の番。
震える足で一歩前に進み出て、深くお辞儀をしてから打ち合わせ通りに口上を述べる。
「この度、暗黒神の巫女の啓示を受けました、ミザリー・フォン・カラミティに御座います」
何とか突っかからずに言い終えた。相談して考え出した最短の口上だ。そして私はこれっきり喋らないでいいはずだったんだけど。
「うむ。新たなる巫女に我が祈りを。そう、先日、伯爵が伝えに来たぞ、娘が巫女に選ばれたとな。その時に思い出したが、そなたは余の婚約者であったのう」
ニヤニヤと笑いながら魔王様が話しかけてきたのだ。始めて聞いたその声は、酷く低音だけど艶のあるなんともお腹に響くもの。
えっ! その話も今するの? すっかり失念していたわ!
「え、えっ? あっ、はいぃ、左様で、わた、妾、ですぅ」
突如として起きたイレギュラーにあっという間に私は崩れ落ちてしまった。
わたわたと挙動不審に陥った私に、大神官様がさっと前に進み出る。その背中の何て頼りがいのありそうなこと!
「それは……初耳にございますな。しかしながら、魔王様ならお分かりかとは思いまするが、巫女に選ばれたという事は……」
「ふむ、分かっておるとも大神官よ。巫女となれば暗黒神に娶られたも同然、余との婚約は破棄とする他あるまい」
え、あ、そうなの?
婚約者と聞いた途端クワッと目付きを鋭くしていた第二、第三王妃の表情が緩む。第一王妃は表面上はずっと泰然とした微笑を浮かべたままだったけど。
特に武闘派で有名な第三王妃の目は怖かった。半竜族であるそのしなやかな筋肉は肩や背中、脛などが青い鱗に覆われていて艶かしさと力強さが同居している。
戦闘においては多少の攻撃など弾き返してしまうその鱗と、強靭な筋力による肉弾戦を得意とし、その強さで他の候補者を打ち倒し、第三の座を勝ち取ったと聞く。
非常に好戦的な性格で新参の王妃は一度は彼女と決闘を行う破目になるらしい。
良かった。破棄されったことは、彼女と戦わないで済むってことよね? あんな人と戦わされたら、私なんて消し炭にされて終わりだし!
視線だけで串刺しにされた気分だったけど、命が助かったと思ったら急に落ち着いてきた。私も現金なものです。
「くくっ。そう慌てるでない。残念なのか? まあ昔からの決まり事でな、あまりに権力が集中してしまうのを防ぐためもあって、魔王は巫女である者を妻とするのは控えよ、というわけだな」
激変を繰り返す私の顔色に、喉の奥で忍び笑いを漏らした魔王様がそう説明してくれる。
なるほどー、確かに。この魔物の国は、暗黒神を信奉しているけど国家権力とは別にあるべきという考えなのね。だからその象徴である巫女と結婚するのはよろしくないと。
「故に公には出来ぬが。……そなたにその気があるのなら内密に輿入れも可能だ。どうだ、してみるか?」
さっきまでの威厳ある雰囲気から一変、ちょっとお行儀悪く足を組んでその膝に肘を突き頬杖をしてニッと笑う。何だかそういう顔をしていると恐ろしい魔王というよりだいぶ……気の良いお兄ちゃんといった風情になる。
「い、いえ! そんなめ、滅相もございません! いきなり巫女も輿入れもだなんて、わた、妾には荷が重過ぎますっ!」
か、軽く言わないでくださいっ!
コロリと言う事を変えて悪戯っぽい笑みを浮かべる魔王様に私は必死で辞退の意を伝えようとする。
再び第二、第三王妃の顔が厳しいものに変わってるわ。
「魔王様、何しろ久方ぶりに選ばれた巫女でございます。少なくとも今しばらくはこちらに専念させたほうがよろしいかと……」
「うむうむ、分かっておるわ。言ってみただけよ。まあ余も今は新しく連れて来た人間の姫の相手で忙しくて……」
魔王様が上機嫌でそこまで言うと、それまで静かに微笑んでいた第一王妃が口を開いた。
「まあ、まだ先の娘も故郷に返していないのに、新しいのだなんて……お気が多すぎませんこと?」
あ、王妃様、密かに魔王様の長い尻尾の先をヒールで踏ん付けてる……。
魔王様は何事もないように涼しい顔だ。
さ、さすが魔王様ね、……色々な意味で。
こうして実にあっさりと、私の婚約はなかったことになった。
魔王様が意外と親しみやすい性格、というか奥方様達に睨まれてもニコニコの笑顔で切り抜けてしまう、あっけらかんとしたタイプだったためか、謁見はその後、巫女就任の儀式の時に撮った念写オーブの上映会をやろうと言い出した魔王様によりグダグダのまま終了した。
いつの間にか、皆で(案内人さんも)一緒に一つの円卓を囲みながら飲み物片手に、このとき変な顔で映ってる~アハハ、などと笑いあう雰囲気になってしまったのには、ふと我に返った時にたまげたわ。
この御方の他者を巻き込む能力はとんでもないと。精神魔法でも使われたのかと思ったわ。
さすが魔王様、恐れ入りました!




