破壊神な少年 後編
身投げ少年を助けた翌日。
今日も私を扱きにやって来た鬼コーチは挨拶もそこそこに近づいて来ると、ちょっと失礼、と眼鏡の奥の目を細めて私のお腹に軽く手を当てる。
い、いきなり何をされますか、本当に失礼過ぎますけど! お腹が出ていると仰いますか!?
「昨日何かずいぶんと大怪我をされたようですね。ですがちゃんと治癒しているようです。ご無事で何より」
「なっ何でそれをご存知なのですか? まさか、昨日のあれもどこかで噂になってしまっているんですか? 誰も見ていないと思っていたのに」
「噂? いえ、違います。ただ貴女の体内の魔力が大幅に減っていましたので、きっと深い傷を負い、その回復にでも消費したのだろうと思ったのです。大体当たっているでしょう?」
へー、見る人が見れば、そんな事も分かってしまうのねぇ。
怪我したせいでリハーサルの時間は大幅に短縮されてしまったものの、何とか成功だったと伝えると彼は珍しく満足そうに微笑んだ。うわー貴重だわ。
いよいよ明日の夜が儀式。
私は神官様達と打ち合わせを終えた後、与えられた部屋で一人で休んでいた。
今日はこのまま神殿に泊まらせてもらって身を清めておくんだって。
巫女の衣装も無事に仕上がってきているし、準備のほうはバッチリ。
後は私が本番でトチらなければいいだけ。これが一番心配よね。もう緊張してるしきっと今夜は一睡も出来ないわ。
それと、今私が直面している心配事は儀式の件ともう一つ。
そのタネである物は脇の机の上に置かれている。もう時間がないのに未だにこれをどうするか、考えあぐねていた。
先日のリハーサルを終えて自宅に戻った後。あの身投げの子を助けた日の事ね。
結局、神殿から法衣を貸してもらって帰ったんだけど、血の付いたドレスを勿体ないから洗ってもらおうとした時。
ポケットにあの子が渡してくれたハンカチを入れっぱなしだったのに気が付いたの。
血だらけで丸まっていたけれど洗ってみて綺麗になったらちゃんと返そうと思って、そのハンカチを広げてみた私は驚愕した。
同時に、あの少年が何であんなに悩んでいたのか、そして彼が何者なのかも理解した。
心を決めた私は目立たないシンプルなワンピースに着替えて、そっと神殿を出る。あ、勿論、外出の旨はちゃんと伝えてあるわ。
そのハンカチに気付いた洗濯係の人もこれはヤバイ代物だと思ったようで、徹底的ににシミ抜きをしてくれたんだろう、生地が傷むほどに洗われていた。
ちなみにドレスのほうはダメでした、とそれきり帰ってもこなかったわ。部屋着にならまだ使えたのに……。
その少しゴワついたハンカチをピッチリと畳みポケットに入れると、裏路地を歩き出した。
ちょっと道を間違えたものの何とか先日の家に辿り着いたわ。運良くあの豚顔のオジサンがいるといいんけど。
ノックを何度かするとお婆さんが出てきた。あ、あの時台所にいた人。オジサンのお母さんだわ。
オジサンは仕事に行っているそうで不在だった。ハンカチを返したいからあの子に連絡を取りたいと言うと、よく遊び場にしているという場所を教えてくれた。
程近い場所にその遊び場はあった。
まあ、公園みたいなところね。遊具なんてないし、ベンチと謎のオブジェが置かれただけの広場なんだけど。
この辺りの子供達の遊び場らしく、あちこちに走ったり飛んだり埋まったりしている姿が見える。
あの子は来ているかしら。数時間の捜索をした後、ついに公園の入り口で暗い色のローブを引き摺る華奢な少年を発見した。
私が来る時間が少し早すぎたらしい。
公園に来たものの遊び友達はいないらしく、遊んでる集団にちょっと近づいては彼等に睨まれて離れる、を繰り返し結局一人でそこらをプラプラしている。
とうとうベンチに腰掛けて、徐にアヤトリらしき遊びを始めた。
一連の様子を私は木陰から見ていた。
彼が友達と遊び始めたら邪魔をするのは申し訳ないと考えて、離れて観察していたの。
でも一人でアヤトリを始めたのを見て、今がチャンスと接近を開始した。
「あのぉー。ちょっといいでしょうか?」
「ひっ」
近づいて声をかけると彼はビクリと震えて顔を上げた。
アヤトリは無残に絡まっていて、別に得意というわけではないみたい。
私だと分かると、怯えた表情を緩ませた。
「あっ……、うん。この間の。もう、大丈夫なの?」
アヤトリの塊をポケットに突っ込むと、立ち上がって聞いてくる。
私は畳んだハンカチを取り出し、彼に差し出した。
「あ、ハンカチを返しに来てくれたんだ。あ、ありがと」
「はい……その、刺繍されてる、お名前も見ちゃいまして」
「そ、そっかぁ、すぐに分かっちゃうよね……」
彼は眉をハの字に下げると、ベンチに脱力したようにペタリと座る。
彼はこの国の王子様だ。
魔王様の数多い子供のうちの一人。
ハンカチには魔王の一族の一員である事を示す、魔王の紋章と彼の名前――ヴァレイオスが刺繍されていた。
魔王様は多くの奥方とさらに多くのお子様達をお持ちなので、町のほうにはその中でも権力の強い有名な方々の噂しか流れてこない。
正直ヴァレイオスという名前を聞いた覚えはないし、母上が誰かも分からない。決して立場が強いほうではないという事だろう。
それどころか、息子が魔力を持たないというのであれば、母子共に日陰の存在のはずだ。
魔物というのは清々しいほどの実力主義であり、その頭の中はは力こそパワー、と考えているといって差し支えない。
力は膂力の強さでも、魔力の強さでもいい。財力や権力より、魔物は純粋な強さそのものを好む。
故にどちらも持たない者は、身分があろうがなかろうが弱者である、というのがこの国。
下克上上等、強い者が偉いのである。
周囲で遊んでいるみすぼらしい服を着た子供にも、全く相手をしてもらえないこの子を見れば良く分かると思う。
オマケにこの子は気まで弱そうだし……。人の事は言えないけど。
ヴァレイオスは未だ私の手にあるハンカチを見つめながら、メソメソと泣き始めた。
滂沱の涙と鼻水を垂らす彼に、どうぞとハンカチを渡す。
それを顔に押し当てる姿に、元はこんな気弱で泣き虫な性格だったのね、と感慨深く思った。
そう、このヴァレイオスもまた、私が探している対象者の一人であった。
名前を見るまで気付かなかったわ。見た目が違うし、何よりもまず性格が全く違っていたから。
ヴァレイオスとはパッケージイラストでいうところの暗そうなヤツ、である。
ゲームでの彼は確かに無口で暗い目付きの青年ではあったが、超攻撃的というか、破壊的で破滅的な性格の持ち主だった。
根暗な戦闘狂といえばいいかしら。確か暴虐なる王子、がキャッチコピーだったと思う。
不健康に痩せた褐色の肌の身体の半身をミイラ男よろしく包帯や呪符で覆い隠し。
さらに顔も包帯とボサボサの長い前髪で半分を隠している。
白い髪の間から覗く片方だけの赤い瞳が暗い喜びに満ちるのは、自らの強烈な魔力で敵を虐殺する時のみ。
まあ典型的な厨二キャラとも言えるわね。ステータス的には魔法攻撃を得意とする、高火力の紙装甲。分かりやすい。
戦闘不能時のボイスも笑い声だったっけ。クハハッその程度か、みたいな。
前衛を務めるヒロインと、打たれ弱いものの砲台としてガンガン遠距離攻撃してくれるヴァレイオスは、ゲーム的にはバランスのいいパーティで初心者向けだったけどね。
でも、今目の前にいる子供の彼は自分に魔力がないのを嘆いているでしょう?
その訳は何故ゲームでの彼が包帯で自分の半身を隠しているのかにある。
それは彼の魔力をもってしても癒しきれなかった大きな怪我の傷跡を隠すため。
あの身投げで負った瀕死の重傷から自らの命を救うために、初めて彼の中に眠る強い魔力が目覚めるのだ。
つまり自分の命が危機に晒された事が引き金になって、やっと本来の力を使えるようになったわけね。
それまでとは打って変わって強大な力を得た彼は、邪魔するヤツは完全破壊をモットーに生きるようになり魔王の子供達の中でも有数の強者になる。
何ていうか。本当、両極端な人である。きっと真面目過ぎるんだわ。極端から極端へ突っ走ってしまうのね。
でも、この世界では私の介入により、彼は傷を負わずに済んでしまい、魔力も目覚めなかった。
私のお節介がストーリーを変えてしまったのだ。
これが未来にどんな影響を与える事になるのだろう。戦闘能力を持たないヴァレイオスでは将来、ヒロインを助けるヒーローになれないのではないか。
そうなったらヒロインが仲良くなる可能性のあるキャラを一人減らしてしまった事になる。
……自分の首を絞めてしまった!
嘘でしょう、まだヒロインが登場してもいないのに、バッドエンドへ一歩進んでしまったじゃないの!
絶望に沈む私を前に、ヴァレイオスはやっと涙が尽きてきたらしくハンカチで顔を拭き、鼻をかむ。
「魔王の子供なのに、魔力がないなんて……僕なんて生まれて来なければ良かったんだ。何の力もないんだから。ううう、ずっと年下の兄弟にも勝てないんだもん……僕なんてぇ」
ああ、湧き出す負のオーラに飲み込まれそうだわ! しかも妙に馴染んでしまいそうなのが怖い!
「……魔力がダメなら剣でもやってみたらどうでしょう? 体力のほうで強くなれば……」
悪足掻きでそう提案すると、彼は目を伏せて頭をフリフリと振る。
「僕、運動オンチなんだ。駆けっこも遅いし、泳げないし、腕力もないの」
ないない尽くしね……。
こんなままでは成長したって戦いに赴くとは思えない。
でも対象者は彼以外にもまだ兄を含めて四人いるのよ。私のほうにはまだ可能性は残っていると言える。
こうなったらストーリーには関係ないキャラになるのかもしれないけど、彼には生きていってもらいたいわ、せっかくこっちが命懸けで助けたんだから。
「今思い出すとあんな事したの、ホントに怖い。君が怪我したのを見て、痛い思いをするのはやっぱり嫌だって思って。痛かったよね、ごめん。ごめんね」
血塗れの私の姿を思い出したのか、また泣きそうになりながらそう言う。
「私も思わずあんな事をしましたけど。あまりに痛くて、死んでしまうかと思いました」
人間の体だったら絶対死んでたわ。胴が千切れたかと思ったもの。
彼はすまなそうな顔をして、またごめん、と繰り返す。今度はウジウジが始まったようだ。
これでは例え身分が王子だろうと、魔物としては生き延びられるか心配だわ。
「でも、私普段は本当に勇気なんてないんですよ? 気弱で臆病でドジで鈍臭くて何もうまく出来なくて……家庭教師の方にはいつもムチで打たれてるんです」
ヴァレイオスは深く首を縦に振る。
……。
え? 何でそこ否定してくれないの? そんな事ないよとか。私、仮にも貴方の命の恩人だよ? もう忘れちゃったの?
何故かしら。彼はもう私から同類の臭いを嗅ぎ取ったのかしら。
一瞬の間に様々な考えが頭をよぎったが、気を取り直して話を続ける。
「明日になったら分かってしまうだろうから、今言っておきます。闇の巫女に選ばれたの、私なんです。何故だか分からないんですけど……」
意を決してそう伝えると、ヴァレイオスはえ、というようにポカンとした表情でこちらを見る。見開かれた目玉がこぼれ落ちそう。
「君がっ、ええっ! ウソ、本当に?」
「はい。だから私があの場に居合わせて、貴方を助けたのもきっと何かのお引き合わせです。まだ死んではいけないという事です」
大昔に絶大無比な力によってあらゆる魔物の頂点に立ち、この国の礎を築いた初代の魔王――それが暗黒神様。魔物にとっては絶対的な存在だ。
巫女は、その寵愛を得た者として大神官様に勝るとも劣らない位置に置かれる。
だからその巫女の言葉も大神官様のお言葉と同等。
それ即ち、言われたからには何があろうと遂行せよ、である。
魔物であるからには、例え王子であっても。
そちらで理解したのか、神からの救いだと思う事にしたのかは私には分からないが、ヴァレイオスは次第に真剣な顔付きになると。
コクリ、と神妙に頷いてくれた。




