江戸時代【2】
(5)諸藩の名君
水戸藩主徳川光圀(黄門)や岡山藩主池田光政は、基礎力により名君になった。会津藩主保科正之は、異彩力。加賀藩主前田綱紀は、向上心による。
混乱混迷期を安定させる点で、基礎力は重要。難題があるときは、向上心が対処できる。異彩力は、新風を巻き起こす。
(6)8代徳川吉宗
吉宗は、名君のイメージがあるが、実像は内向きの組織指導力の持ち主だった。民にとっては、増税時代。安定したことは、間違いない。
財政を任せた水野忠之に人望を期待したが、老成せず。
大岡忠相は、外交力あり、幕府内の統合や民との融和に成功した。
青木昆陽は、知略政略に秀で、薩摩芋を普及させている。
室鳩巣は、組織指導力あり、学界教育界が確立した。
(7)9代徳川家重
家重は、異彩力の持ち主。言語不明瞭将軍として有名。
介護した側用人大岡忠光がワイロまみれのレッテルを貼られてるが、組織指導力ある優秀な官僚だった。
(8)10代徳川家治
江戸時代最大級の異彩力の持ち主、田沼意次の政治は、幕府伝統の農村課税から革新的な商人課税への転換だった。もし成功していたら、日本で世界最初の産業革命が起き、日本に国際連合の本部ができていた。幕府の普通の人には理解不能だったため、悪の権化扱いされている。
意次の子、意知は、知略政略に秀で政権を支えた。彼の暗殺により、政権は崩壊した。
田沼を登用した将軍家治は、正義力あり、良かれと判断してのことだった。当を得ていた。
(9)11代徳川家斉
50人余の子だくさん将軍家斉は、正義力あり、長年の在職により幕府は卑屈役人の巣窟と化した。
寛政改革老中・松平定信は、外交力の持ち主で、「悪」田沼で「混乱」した幕府を統合し元の姿に復帰させた。
定信と共に老中となった松平乗定も、外交力あり、幕府の平常回帰に尽力した。
老中本多忠籌は、正義力あり。老中戸田氏教は、基礎力あり。
定信の後継老中首座の松平信明は、外交力あり、つまり定信の平常回帰路線を継続した。
信明を継いだ老中水野忠成は、正義力ある田沼意正(意次の子)を側用人に登用したが、組織指導力があり、幕府は安定していた。
(10)
12代徳川家慶
突進力ある大塩平八郎の乱の余波は巨大で、全国各地から支持を集めた。
家慶は、基礎力があり、この混乱を鎮めた。
天保改革の老中・水野忠邦は、基礎力があり、派手な政策は失敗したが混乱は鎮めた。
(11)薩摩・長州
薩摩藩主島津重豪は、向上心に富み、藩政改革を成し遂げた。
薩摩改革を主導した調所広郷は、突進力あり、借金踏み倒しなど突飛な政策で支持を集め改革を貫徹させた。
長州藩主毛利敬親は、正義力あり、攘夷などこれと信じた方針を貫いた。
長州改革を主導した村田清風は、陰謀力あり、各方面からの反発を激化させた。長州に政論の気風を作ったのである。