江戸時代【1】
(1)3代徳川家光
家光は、突進力の持ち主だった。
突進力と正義力は、よく似ている。どちらも、信念をもって邁進していく。違うところは、正義力が例え独善的になってでもしゃにむに進んでしまい結果として支持を失うのに対し、突進力は確かに突飛で皆があっけにとられるようではあるがなぜか支持を集める点である。正義力には抑止力が必要で、突進力にはアフターケアが必要ではあるが。
家光のキリシタン対策、鎖国政策は明らかに急激過激だった。戦国の混乱が身に染みていたのか、支持された。
家光を支えたのは、向上心に富む松平信綱と、外交力のある阿部忠秋である。松平は、九州の大争乱を鎮めた。
初代・家康の知略政略で創立された幕府は、2代・秀忠の基礎力により安定し、3代・家光の突進力により巨大政策が実現し、4代・家綱の組織指導力により確固たるものになった。
2代・秀忠は影が薄いが、基礎力のある人間は表に出ることがあまりない。
(2)4代徳川家綱
家綱も影が薄いが、組織指導力の能力は地味である。どちらかというと内向きの能力で、華々しさはない。しかし確立し定着させることは困難な分野といえ、こと安定期においては最重要である。
先代への殉死で失われた人材は、突進力の堀田正盛、基礎力の阿部重次だった。大きな痛手といえる。
残った人材は、異彩力の保科正之、同じく異彩力の酒井忠清だった。保科は、徳川一族なのに幕政に参与した変わり種。(ちなみに、2代秀忠に仕えた徳川一族の土井利勝も異彩力の持ち主)また、酒井は、徳川氏を無視して皇族を将軍に迎えようとするなど物議をかもした。
(3)5代徳川綱吉
綱吉は、陰謀力の持ち主。この時代を文治政治と呼ぶが、これは前代までの力見せつけから、力ちら見せに変わったということ。政治は、陰湿化した。
初期、組織指導力ある堀田正俊が生きていた間は、まだ素直な政治だった。
側用人柳沢吉保に替わると、陰湿化した。柳沢本人は悪玉のイメージだが、実は基礎力ある普通の官僚にすぎず、むしろ柳沢の基礎力の裏付けゆえの陰謀力だった。
陰謀政治をカモフラージュした儒教は、人望力ある林鳳岡の存在による。
奇しくも陰謀政治であると露見したきっかけは、突進力ある荻原重秀の辣腕だった。
(4)6代徳川家宣
家宣は、将軍になる前は外交力があり、陰謀により分裂した幕府内の統合が期待されたが、将軍になってからは混迷した。
つまり新井白石の登用が、失敗だった。新井は学者だが、陰謀力の持ち主で、その陰謀政治により幕府内は益々混乱した。陰謀も陰湿的ならまだましだが、あからさまだと不満を呼ぶ。
7代家継はまだ幼く、能力があっても発揮できなかった。