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飛鳥奈良平安【4】

(9)宇多天皇親政


宇多天皇は、外交力あり、藤原氏と他の勢力を均衡させ親政をした。


政権の中心に期待された組織指導力ある橘広相が阿衡事件で失脚したが、後を受けた菅原道真の人望力により、政権は安定した。


藤原時平は、基礎力あり、菅原を失脚させはしたが政権は動揺しなかった。


(10)延喜天暦の治


摂関を置かず天皇親政した70年間。

醍醐天皇は、突進力と向上心を兼ね備えた人物。藤原氏を抑圧し、荘園整理や法整備を進めた。のち、後醍醐天皇が模範にした。


朱雀天皇は、知略政略に秀でた。


村上天皇は、組織指導力あり、安定した。


村上天皇が後継に目していた為平親王も、組織指導力があった。


(11)摂関政治確立


藤原師尹は、組織指導力があり、正義力ある武士・源満仲を用いて政敵を失脚させた。


政敵・源高明も、正義力があったが、支持者が少ないところにつけこまれた。


藤原氏同士の政争は、陰謀による泥仕合だった。

藤原伊尹、藤原兼家、藤原道長らは、まさに陰謀力の3人だった。


藤原道隆は、向上心があったがゆえに、道長に抗い敗れた。


藤原伊周は、組織指導力があったが、それは安定期に発揮される能力であり、政争期ではかすんだ。


藤原隆家は、知略政略に秀で、来襲した女真を九州で撃退した。


藤原頼通は、突進力により、朝廷を50年近く支配した。

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