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飛鳥奈良平安【3】

(5)平安遷都


その前段階、光仁天皇は、知略政略に秀で、奈良朝の政争の収拾に当たった。


光仁天皇を支えた藤原良継は、陰謀力があり、道鏡を追放するなど対立勢力を粛清して政権を安定させた。


藤原百川は、異彩力により、道鏡後継の称徳女帝の遺言がなかったのに乗じ、白壁皇子(光仁天皇)後継の遺言を捏造した。


桓武天皇は、組織指導力があり、律令新体制を確固たるものにした。


渡来人を生母とする山部皇子(桓武天皇)は到底天皇になれるはずがなかったが、皇子の能力を見抜いた藤原百川が、異彩力により、皇太子にした。


桓武朝の初期の首相・藤原種継は、外交力あり、期待されたが暗殺された。


和気清麻呂は、異彩力により、作りかけの長岡京放棄(暗殺事件や怨霊噂で混迷)と平安京遷都を意見した。一度始めた事業をストップさせるのは、並大抵ではできない。まさに、異彩力の出番だった。


菅野真道は、人望力あり、実質的な朝廷指導者だった。


蝦夷(奥州住民を差別的に呼んだ)征服では、坂上田村麻呂が、陰謀力により、いわば騙し討ちにより、成功した。その後任・文屋綿麻呂が、人望力により、支配を安定させた。


政治介入で腐敗していた仏教界は、最澄・空海の外交力により、統合されまた唐風の導入もなされた。


(6)大同政権


平城天皇は、異彩力と突進力により、平城京復帰を企んだが失敗した。


政権指導者藤原仲成は、人望力を期待されたが老成せず。


天皇の愛妃藤原薬子は、異彩力あり。異彩力は、扱いが難しい。波乱を巻き起こせなかったときは、ただの変わり種に終わる。


(7)嵯峨淳和仁明


天皇親政時代として有名な時代。嵯峨天皇・淳和天皇は、共に陰謀力あり、反対勢力を粛清していた可能性がある。


藤原冬嗣は、正義力あり、強烈な個性で藤原政権を作ろうとしたが失敗した。


それは、同じく正義力を持つ巨勢野足が嵯峨天皇により冬嗣と同職の蔵人頭に任命され、冬嗣を牽制したからである。


仁明天皇は、人望を期待されたが老成せず、藤原氏と反藤原勢力の狭間を浮遊した。


(8)摂関政治創始


仁明天皇の外戚・橘逸勢は、組織指導力あり、藤原氏に脅威を覚えさせたようである。


橘が天皇に推した恒貞親王は、正義力あり、しかし押しが強すぎ支持が少なかった。


橘と組んだ伴健岑は、正義力あり、やはり支持がなかった。


彼らの謀反を処理した藤原良房は、基礎力あり、地盤を地道に固め日々の努力により摂政太政大臣に上り詰めた。


文徳天皇は、向上心に富んでいたが、藤原氏が全権力を握ったので虚しかった。


伴善男は、異彩力あり、応天門に放火してしまった。


藤原基経は、人望力があり、関白に上り詰めた。



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