飛鳥奈良平安【2】
(3)壬申の乱
大友皇子(弘文天皇)は、外交力を持っていた。唐の攻撃が予想されるなか、国内を統合し唐と交渉し戦いを回避できる才能である。中大兄が、溺愛するというか重視したのはあながち誤りではなかった。ただこの才能は、変動期には有効だが、安定期には指導力がなく組織が安定しない。
大海人皇子(天武天皇)は、前述の通り組織指導力があり、変動期には外交力を欠くため冷遇される。唐の脅威が去った安定期に必要な人材といえた。
天武政権の首相を務めた高市皇子は、基礎力により政権を確固たるものにした。
持統女帝は、外交力があり、唐との通交再開時に国内を統合し当たった。
持統政権は、基礎担当高市皇子、組織指導担当丹比嶋により安定した。
若い文武天皇が継いだが、人望力があり、朝廷に多くの人材が集まった。
(4)奈良朝の政争
前代から仕えた藤原不比等は、知略政略に秀で、律令制定に尽力し政権を握った。
元明女帝は、異彩力により、藤原氏勢力を牽制してしまい波乱を巻き起こすことになる。
元明女帝の政権の中心に立った長屋王は、外交力があり、その下には藤原4兄弟の次男・房前もいた。
藤原房前も、外交力を持ち、皇親対貴族の対立緩和に努力した。
藤原4兄弟の長男・武智麻呂は、正義力があり、自己の正義を押し通し長屋王勢力を倒した。長屋王は、この者のごり押しにより亡きものにされたのである。
だが立てられた光明皇后は、外交力・正義力を兼ね備えた人物だった。皇親・藤原氏のかすがいとして対立緩和に努力したが、伝染病により藤原兄弟が全員亡くなった。
皇親の橘諸兄は、陰謀力があり、藤原氏を次々に粛清した。
藤原広嗣は、正義力があり、橘の陰謀に怒りの反乱を起こし政権を大きく揺さぶった。
橘政権の陰惨さを補ったのは、吉備真備の人望力で、有為な人材が集まった。
ただもう一人の橘ブレーン玄ボウは、向上心に富み、仏教界の政治進出を進め腐敗の原因を作った。
孝謙(称徳)女帝は、異彩力あり、愛人藤原仲麻呂を重用したり内縁夫道鏡を天皇にしようとするなど波乱を巻き起こした。
しかし藤原仲麻呂(恵美押勝)は、組織指導力があり、その政権は安定した。中途から陰謀力も兼ね備え、政敵の粛清によりさらに安定したが、恨みも買った。
道鏡は、しかし知略政略に秀で、巧みに政権を運営した。
この仏教界主導「安定」政権に楔を打ったのは、異彩力ある2人、和気清麻呂と藤原百川だった。百川と和気のウルトラCにより、道鏡の即位を阻止した。百川は称徳女帝の遺言を捏造するウルトラCをした。