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ただ美しく……  作者: 桐条京介
第2部 4章 美麗と杏里
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 旅館で過ごした日の夜、私は改めてプロポーズをされた。すでに承諾の返事をしているのにである。もちろんお相手は糸原満だ。

 満は優綺美麗にずっと尽くしてくれた。そんな彼女も望む綺麗さを残したままで終われた。

 最後に結構なインパクトを残したことで、ある程度は人々の記憶にも残るはずだ。

 悩んだ末に優綺美麗の名前を捨てた私は、東雲杏里として生きていくしかない。

 そして満は、その東雲杏里へ正式に求婚したのである。大学入学時にはすでに整形していた事実を告白しても、彼の気持ちは微塵も変わらなかった。

 だからこそ私は結婚の報告も兼ねて実家へ連れ帰り、満に本来の東雲杏里の写真を見せようと思ったのである。

 長年帰っていなくとも、さすがに地元は忘れない。電車などは使わず、満の運転で移動した。

 最近はカーナビも発達しているので、思ったほど迷いもせずに道を知っているところまで着いた。

 家の前で降りる。引っ越していたらどうしようかと思ったが、表札は相変わらず東雲のままだった。

 止まった車のエンジン音を聞きつけたからか、玄関から一人の女性が出てきた。外見の印象は中年より老年だ。すぐに母親だとわかった。

 ずいぶんと老けたな。それが久しぶりに見た母親の感想だった。

「我が家にご用ですか? あの……どちら様でしょうか」

 覚悟を決めてここまで来たはずが、母親の顔を見るなり何も言えなくなってしまう。

 そんな時に、不審げだった母親の目が唐突に見開かれた。

「まさか……杏里? 杏里なのね!」

 駆け寄った母親が、私の両肩を掴む。

「お母さん……ただいま……」

 勝手に溢れた涙で声が変になる。

「……おかえり。まったくもう、どこまで遊びに行ってたのよ……!」

 叱りもせず、母親はそう言って私を抱きしめた。

 母親が叫ぶように言った杏里という名前を聞き、慌てた様子で父親も外へ出てきた。

「杏里なのか。無事だったんだな!」

 家族三人が輪になって再会を喜ぶのを、満はただ優しく見守っていた。


 家の中へ上げてもらえ、居間で満も含めた四人でお茶を飲む。

 父親の要望で居間は畳が敷かれ、その上に座布団と昔ながらの食卓が置かれている。

「本当に心配したのよ。お母さん、貴女の大学の近くで必死になって探したけど、結局見つけられなくて……」

 事件性も見られないと警察は家出と断定。両親は日々、私の遺体発見の報が入らないことだけを祈り続けたという。

 私が優綺美麗として活動中の間に父親は定年を迎え、今では年金暮らしになっているみたいだった。

 積極的な捜索をあまり行わないようになったのは、私の親友だった轟和美がきっと生きていると断言したからだという。

「嘘をつくような子ではなかったからね。もしかしたら和美ちゃんにだけは、何か連絡が入ってると思ったのよ。それなら杏里が帰ってくるまで、ずっと待っていようとお父さんと決めたの」

「ごめんなさい。ありがとう」

 しばらくはそれしか言えなかった。

 勝手な真似しかしていなかった私を当たり前のように受け入れ、再び娘として接してくれる。感謝以外の気持ちがあろうはずもなかった。

「しかし、しばらく見ない間にずいぶんと別嬪さんになったもんだな」

 父親の言葉に、デリカシーがないと怒るような態度を母親は見せたが、私は一向に構わなかった。見た目が変わっているのは誰の目にも明らかであり、絶対に避けては通れない話題なのは理解している。

 整形自体に後悔はないとはいえ、親からもらった顔を変えたことには若干の後ろめたさがあった。だからこそすべてを変えて、別の人間として生きたがったのかもしれない。

 黙っていれば楽だが、延々と口を閉じているのも失礼だ。覚悟を決めて私は口を開く。最初に告げたのは、やはり謝罪の言葉だった。

「ごめんなさい。お父さん、お母さん、ごめんなさい……」

 泣いて謝る私の隣に移動し、母親は両手で力一杯抱き締めた。

 長方形のテーブルで取り残されたように向かい合っている父親と満は、会話するでもなく静かに私を見守っている。

 やや落ち着いてきたところで、母親の背中を軽く叩いてもう大丈夫だと合図する。

 手を解いた母親を正面から見て、しっかりと自分の言葉で整形手術をした事実を伝える。

「私ね、ずっと自分の顔が嫌だった。お父さんとお母さんから貰ったものなのにね。それで大学に入ってから、整形手術をしたの」

 そこから先に事件があり、優綺美麗となってさらに色々あるのだが、申し訳なく思いながらもその点は嘘をついた。

「お母さんは知ってる? 優綺美麗という人がいたんだ。その人に憧れて同じ顔になりたかったんだけど、結局駄目だったみたい」

 悪戯がバレた子供みたいに舌を出すが、大爆笑とはならなかった。

 再び母親に抱き締められる。老いて細くなった彼女の手は震えていた。

「ごめんね、綺麗に産んであげられなくて。貴女が悩んでいるのは知っていたけど、お母さんにはどうにもできなかった。きっと悩んだでしょう。それでも貴女が、杏里が決めたことなのだから、他の誰が何を言っても私だけは応援するわ」

「ありがとう、お母さん。でも、もういいの」

 間近で相手の目を見て話す。頬に熱い感覚が伝わる。私も母親と同じように泣いていた。

「優綺美麗に憧れて、生まれ変わろうとして頑張ってきたけど、彼女が行方不明になったの。それで傷心というわけじゃないけど、地元に戻ってみようと思ったのよ」

 説明になってないかもしれないが、両親は納得してくれた。どこまでも私の意思を尊重してくれるのがありがたかった。

「しかし整形というのは凄いものだな。本当に別嬪さんになった。俺がもっと若ければな」

「お父さん。親子でしょ」

 母親にジト目で怒られ、すまんと父親は頭を掻いた。場を和ませる冗談なのは、言われなくとも全員がわかっている。

「そういえば……」母親が思い出すように言った。「お母さん、その優綺美麗さんと会ったことがあるわ」

「そうなの?」

「ええ。貴女を探してチラシを配ってる時に声をかけられたのよ。凄く綺麗なお嬢さんだったから、よく覚えているわ。それに和美ちゃんが大ファンなのよね。だから行方不明になったのも知っているわ」

 高校時代の親友だった轟和美には、明確ではないにしろ正体を告げてある。彼女はその秘密を誰にも知らせず、ずっと応援し続けてくれていたのだろう。

 それに昔に一度会っただけなのに、優綺美麗だった姿を覚えていてもらえたのも嬉しかった。あの時に完全な別離を覚悟したのに、今こうして会えている。捨てたようでいて、完全には捨てきれない。それが親子の縁や地元との絆なのかもしれない。

 微かな東雲杏里の面影と、優綺美麗の名残。中途半端といえばそれまでだが、どちらの特色も持っているのが現在の私である。

「何にせよ、杏里が生きててくれて俺は嬉しいよ。顔が変わっていたって構わないさ。娘だというのは同じなんだからな」

 父親が豪快に笑う。目元には涙が光っている。両親には多大な迷惑と心配をかけてしまった。

 改めて謝ろうとする私を、察したお父さんが手で制する。

「もういいさ。それより何か食べよう。せっかくだから寿司でもとろうか」

「いいわね。早速注文するわ。それと――」

 ここでようやく、ずっと気になっていたであろう満に両親の視線が注がれた。

 放浪娘の突然の帰還に驚いた両親が、更なる驚きでひっくり返りそうになる姿が目に浮かぶ。

 悪戯心を刺激された私がどう紹介しようと悩んでいたら、インターホンが鳴った。それも忙しなく、矢継ぎ早に何度もである。

 急いでいるのがわかったので、慌てて母親が玄関へ向かう。室内で対応しなかったのを見ると、誰が来たのかは予測がついているみたいだった。

 ドアの開閉音がしたと思ったら、瞬く間に足音が大きくなった。全員でくつろいでいた居間に、一人の女性が姿を現す。年齢を重ねているはずなのに、高校時代とほとんど変わりない轟和美だった。

「杏里ちゃん! 無事でよかった!」

 私の顔を見るなり号泣し、飛び込むように抱きついてきた。体重は向こうが上なので、押された私はそのまま畳の上で仰向けに倒れる。

「私、私、心配で……うわああん!」

「ちょ、ちょっと、和美。私なら大丈夫だから」

 考えてみれば和美は優綺美麗が元は誰なのかを悟っていた。消息不明のニュースが出て、肝を冷やしたに違いない。

 私の両親に真実を告げようとしては迷い、何も言えなくなる。そんな和美の姿が容易に想像できた。

「色々と事情があったのよ。あとで和美にだけは教えるわね」

「うん……うん……!」

 何度も頷く和美を背後から支えようとしたのは、彼女の夫と思われる男性だった。名前は知らないが、以前に一度だけ会ったことがある。

「ほら、和美。杏里さんが困っているだろう。再会の喜びはそれくらいにしとおきなよ」

「そ、そうだね。ぐすっ。でもよかった。杏里ちゃんが生きててくれて」

 事情を知らない両親は、私が無事に生きていたのを単純に和美は喜んでいるだけと思っているだろう。あながち間違いでもないので、あえて訂正はしない。

「ところで、和美はどうしてここに?」

「杏里ちゃんが帰ってきたって連絡を貰って、慌てて来たのよ。会社も早退しちゃったんだから」

 拗ねるように軽く膨らんだ和美の頬を、なんとかく指でつついてみる。ぷにぷにと、とても柔らかい。

「何よ。杏里ちゃんてば、自分だけ痩せたからって。ほら、お土産にドーナツ買ってきたよ」

 紙袋を和美がテーブルの上に置くと、母親がすぐに人数分のお皿とフォークを用意してくれた。

 場がさらに賑やかになったところで、ようやく和美が所在なさげにしていた満の存在に気づく。

「あれ? こちらはどなたですか?」

 きょとんとする和美の質問に、ドーナツを分けた母親が畳に座りながら頷く。

 両親もずっと気になっていたはずなので、私が自分の口から満の説明をする。

「この人は糸原満さん。私の夫よ」

「へえ、杏里ちゃんの旦那さんなんだ……って、えええ――っ!」

 吃驚しすぎて勢いよく畳の上にひっくり返ったのは、予想に反して和美だった。

 逆に両親は大体の想像ができていたらしく、大げさに取り乱したりはしなかった。

「はじめまして、糸原満です。夫と紹介してもらいましたが、正確にはまだなんです。プロポーズは済ませてあるのですが、婚姻届けの提出はまだなので。その前に杏里さんのご両親に挨拶させてほしいとお願いして、今回はこのような機会を作っていただきました。突然のご訪問になり、まことに申し訳ありません」

「構わないよ」父親は言った。「恐らく君という存在がなければ、杏里はまだ実家に戻ってきてくれなかっただろうしな」

「そうね。急に見知らぬ男性を連れて家に帰って来たんだもの。結婚の報告と考えるのが妥当よね。ところで、孫はまだなのかしら」

 表情を緩めてとんでもない質問をぶつける母親に、満は苦笑いしか返せていなかった。

 だが両親ともに満の第一印象は悪くないみたいで、先ほどの発言から考えても結婚の許可は貰えたも同然だった。

「今日は目出度いな。母さん、早く寿司の注文をしてくれ」

「わかったわ。和美ちゃんたちも食べていってね」

「はい。杏里ちゃんともお話したいし」

 勝手な真似ばかりしておいて、生まれ持った顔まで変えていきなり帰ったのに、こんなにも泣いて喜んでくれる人達がいる。

 優綺美麗としての人生も後悔はしてないが、東雲杏里としての人生も捨てたものではないのかもしれない。

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