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嬉しそうな顔をしている満が、必死になって取ってくれた仕事なのは重々承知している。それでも私は声を荒げずにはいられなかった。
「誰があんな真似をしてまで仕事を貰ってこいと言ったのよ。私をバカにしないで!」
投げつけたスマホが満の背後のドアに当たり、ひび割れる音がした。壊れたのだろうが、そんなのを気にしていられる精神状態ではない。
瞬時に満は、どうして自分が叱りつけられているのかを理解したみたいだった。
「申し訳ありません。あのような形でお願いしなければならないのは、すべて私の力不足です」
決して私を責めたりしない。彼はいつでも失敗を自分の責任として背負い込む。
私はそれをずっと当たり前だと思っていた。何故なら誰もが賞賛し、崇拝する美の女神こそが優綺美麗なのだから。
だからといって感謝はできない。満の行動は、主たる私の価値をも下げてしまう。
「私を侮らないで! 黙っていても準主演程度の仕事ならくるわ!」
怒りに任せて言葉を吐き出すも、そんな状況でなくなりつつあるのは他の誰よりも自分自身が一番よく理解していた。
普通の女性ならここで気落ちするのかもしれないが、私の場合はだからこそ余計に自分の価値を取り戻したくなる。
しかし頼みの整形はできず、年齢という障害が美貌を崩すばかり。かつて私をチヤホヤしていた連中も態度を変えた。事務所の社長もその一人だ。
以前は何かとご機嫌取りをしていたが、現在では勝手にしろとばかりに放置気味だ。
「失礼しました。では今回の仕事はキャンセルしますか?」
「……いいえ、出るわ。貴方の顔を立ててあげる。ありがたく思いなさい」
価値を高めるには仕事をするしかない。誰かに言われるまでもなくわかっている。
撮影現場に到着し、椅子に座って出番を待つ私に代わって満が各方面への挨拶を行う。
前々からの恒例行事だったが、周囲の反応は異なった。偉そうに、などの陰口が聞こえてくる。
不愉快さから席を立ちたくなったが、瞼の裏に焼き付いている満の土下座姿がそれを許してくれない。
一時の我慢よ。すぐに私の本来の価値をこの場にいる全員に――いいえ、世界中に思い出させてあげるわ。
強い決意で撮影に臨む。久しぶりのドラマ出演となったが、まずまずの出来だ。
本来はモデルでありながら、演技もこなせる。艶やかで気品に満ちた私の姿を見るために、視聴者はテレビの前から動けなくなることだろう。
「おや。これはこれは、美麗さんではないですか。お久しぶりです」
唐突に声をかけられた。何者かと振り返れば、下卑た顔つきの男が立っていた。
恰幅の良さは相変わらず、太陽の光に反射して禿げ頭が輝いている。男の名前は覚えていないが、肩書だけは知っている。
私が前に契約を切った会社の社長だ。スポンサーをしていた頃からいやらしい目で見てきて、不快な思いをさせられたのだけが印象に強く残っていた。
「知り合いに撮影のことを聞きましてな。様子を見に来たのですよ。そうしたら貴女がいるので驚きました」
わざとらしく表情を作る社長の隣には、もう一人男が立っていた。今回の仕事を取るために、満が事務所で土下座をしていた相手である。
気に食わないとはいえ社長と呼ばれる人間と一緒なのだから、この男もそれなりの立場にあるのだろう。そうでなければ準主演とはいえ、自分の意向で好きなタレントをドラマに押し込めない。
社長の言葉を真に受けて、本当に偶然だと思ったりはしない。隣の男と懇意にしているなら、話の種に私の出演情報が出てもおかしくはなかった。マネージャーに土下座をさせてまで、かつて天下を誇っていた優綺美麗が仕事を求めてきた。第三者からすれば面白い話題だ。
とりわけ私にコケにされた経験もある者なら尚更だろう。逆の立場だったらどうするか。偶然を装って撮影現場にお邪魔し、落ちぶれた姿をせせら笑っては溜飲を下げる。つまり、社長が今していることである。
「ええ、本当に偶然ですわね」
相手から視線を外す。冗談でしょとやり返してもよかったが、縁の切れた相手の挑発じみた言動に反応して騒ぎを起こす必要はない。
「フフ。少しは聞き分けがよくなったようですな」
「すぐに撮影が再開します。集中したいので、お喋りはまた今度にしてもらえますかしら」
「そうだね。では今夜なんてどうかな。君にとっても魅力ある提案をさせてもらうよ」
首の横から社長の右手が差し出される。横目で確認すると、指で名刺を挟んでいる。裏側には走り書きの文字も見える。
やや悩んでから受け取る。私が本来あるべき場所へ戻るために、この男を利用するのも悪くないと考えたためだ。
「利口な判断だよ。マネージャーは連れず、一人で来たまえ」
二人の男は連れだって私のそばを離れる。監督と何事かを話しに行ったみたいだった。
周りに誰もいなくなったところで、手にした名刺を裏返す。そこにはホテルの名前と部屋の番号、時間と思われる数字が書いてあった。
指定された午後十時になり、約束通り私は一人で例の部屋を訪れた。
日中と同じスーツ姿の男――社長は私を中へ招き入れるなり、ツインのベッドに腰掛けた。
「よく来てくれたね。君も座ったらどうかな。私の隣でも構わないよ」
一笑して、近くにあったソファへ座る。洋風の部屋はかなり広く豪華だ。2LDKはあるだろうか。
ワンピースにカーディガンを羽織った格好の私を、相変わらずのいやらしい下品な視線で眺める。この時点で全身に鳥肌が立ちそうだった。
「部屋の中は適温にしてある。カーディガンを脱いだらどうかね」
媚を売るつもりはないが、利用するなら多少のご褒美は必要だろう。飼い犬に餌をやるくらいの気持ちで、カーディガンを脱ぐ。
歪みきった欲望に目を光らせた男は涎を垂らしそうにしながら、ベッドの中に手を入れた。
「……どういうつもりかしら」
私が見下ろす先には札束がある。男がベッドの中から取り出し、こちらへ放り投げたものだ。
「素直に脱いでくれたことへの対価だよ。実は私はいまだに優綺美麗のファンでね。フフフ」
気色悪いことこの上ない。不快げに眉をしかめるも、男はどんどん己の欲望へ忠実になっていく。
「次は何を脱いでくれるのかな。一枚脱ぐごとに百万円だ。悪い商売ではないだろう?」
ベッドをめくると、札束が無造作に置かれていた。その数は二桁を超えている。
「下着は一枚三百万円にしようか」
男の言葉に、私は何も答えない。屈辱と恥辱に肩を震わせるだけだ。
「一糸纏わぬ姿になったら床に頭と膝をつき、どうか愛人にしてくださいとお願いしてみろ。そうすればここにある金だけでなく、今後の支援も約束してやろう」
過去の栄光を忘れられず、落ちていくのを許容できない女なら間違いなく飛びつく。
かつて高慢ちきに接せられ、侮辱された悔しさを晴らすにはまたとない機会だ。
自分を見下し、舐めきっていた女に全裸で土下座させて足を舐めさせる。相手からすれば、それだけで昇天しそうになるかもしれない。
けれど期待に胸を躍らせている男は、大きな勘違いをしていた。それは私がそこらの女ではなく、優綺美麗だという点だ。
微笑み、ソファから立ち上がる。右肩の部分の紐だけを滑らせる。露わになった鎖骨と胸元に男の目が吸いつき、テントを張った股間を隠そうと前かがみになる。
その瞬間を私は見逃さなかった。ゆっくりと近づき、胸元を見せつけるようにしながら相手の頭を掴んだ。乳房に押しつけるためではない。
「ぶごっ!」
豚みたいに醜く、だけどとてもよく似合ってる悲鳴を上げて男が倒れる。私に上から押されたせいだ。
腰掛けていたベッドから落ち、うつ伏せになった男の頭を鷲掴みにして持ち上げる。
「汚らしいワンちゃんに相応しい恰好になったわね。自分の顔を鏡で見たことがあるの? アンタみたいなブ男が欲望を私にぶちまけようなんて夢物語でしかないのよ!」
再び相手の顔を床に叩きつけ、呻いているところを上から踏みつける。
「こういうのが欲しかったんでしょ? よかったわね、相手をしてもらえて。嬉しかったらワンと鳴いてみなさいよ」
スリッパを履いた足をグリグリすれば、くぐもった悲鳴が相手の口から漏れる。尖っていたはずの股間は憐れにも平らに戻っている。
散々蹴りつけて満足し、呼吸を整える。男が顔を上げようとしたので、スカートを覗くつもりかとスリッパの底を顔面にご馳走した。
「前に言わなかったかしら。私をそこらの安い女と一緒にしないで」
「……プライドでは、何もなきないぞ」
「かもしれないわね。だけどプライドを失ったら優綺美麗ではなくなるの。そんな女に価値などあるのかしら」
吐き捨てるように言い、私は本来泊まるべきホテルへと戻る。
翌朝。私は撮影現場へ行かなかった。
昨夜のうちに満へ連絡が入り、演技の実力不足による降板が決定したと監督から通告されたせいだ。
言葉通りの理由ではなく、足蹴にしてやった男の報復なのは明らかだった。
「金と権力を使っても抱けなかった女を恨んで、虐めのごとき仕返しをする。子供でも大人でもやることは変わらないわね」
撮影に参加しなくてもいいと言われた以上、この地に留まる理由はない。
部屋を出て、満が帰りの車を用意しているであろう玄関へ向かう。
「あら、お手洗いかしら」
普段は立って待っているはずの満が車の側にいない。どうしたことかと周囲を見渡してみるも、影も形もなかった。
多々あるのなら気にもしないが、こうしたケースは珍しい。アクシデントでもあったのかと思い、少しだけ彼を探してみる。
ホテルの玄関前からやや離れた建物の陰に満はいた。彼が土下座までして、今回の仕事のお願いをしたスポンサーの男と一緒に。
「君には申し訳ないが、優綺美麗にもう上がり目はない」
男の言葉を、身じろぎ一つせずに満は聞く。
「君が必死になって手に入れた今回のチャンスも、彼女はくだらないプライドでふいにした。とても許せることではないはずだ」
「……いえ。それが美麗さんの決めたことであれば、私に異論はありません」
「どうしてそこまで肩入れする。君はとても優秀な人材だ。彼女に固執しなければ、もっと上を目指せる。どうだ。今の事務所を辞めて、私の元で働かないか?」
明確な引き抜きだった。私の付き人を盗み取ろうとするなんて最低ね。出て行ってそう言ってやりたいのに、足が震えて動けない。優綺美麗になってから、初めての経験だった。
引き止めることはできない。今回の一件で、ほぼ間違いなく私の仕事はさらに減る。
付き人だからこそ理解しているはずなのに、淀みのない声で満は男に返事をする。
「ありがたいお誘いですが、お断りさせていただきます。私にとっては優綺美麗こそがすべてなのです。彼女のそばで働き、見守れる今の立場を捨てるつもりはありません」
やや強めの口調で断言されたことで、男は諦めたように肩を竦めた。
「なるほど。君の忠誠心は凄いな。ますます欲しくなったよ。おっと、変な意味ではないよ?」
「承知しております。ご用件がそれだけでしたら、私はこれで失礼させていただきます。美麗さんが待っているはずですので」
涙がこぼれないようにしながら、早歩きで満より先に玄関前へ戻る。
私は優綺美麗。演技だってできる女よ。自分に言い聞かせ、満の姿を見つけるなり整っている眉を吊り上げる。
「私を待たせて何をしているの」
「申し訳ありません」
言い訳は何一つせず、真摯な態度で謝罪されれば許さないわけにもいかない。怒っているの自体、盗み聞きを知られないための演技だったが。
「貴方は私の――優綺美麗の付き人なのよ。自覚を持って行動してちょうだい」
「はい。では参りましょう」
開けてもらったドアから乗り込む。その際に見た満の顔は、普段と変わらない穏やかな微笑みを浮かべていた。




