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何度経験しても緊張する手術が終わり、呼びかけられて目を覚ます。
これで私はまた女帝として、女神として君臨できる。里亜砂なんていう新人に、頂点の座を脅かされずに済む。
私こそが最高の女。もう何も悩む必要はなくなったんだわ。
じわじわとこみあげる歓喜の感情。ずっと浸っていたかったが、執刀した医師により強制的に幸せな気分を没収される。
「……何度も繰り返し説明をした。成功よりも失敗する確率の方が高い手術だと」
最初、沈痛な面持ちの意思が何を言ってるのか理解できなかった。
途中でつまずきはしたが、私の歩くべきカーペットは綺麗に整理され、再びバラ色に塗り替えられたはずだ。なのにどうして悲しそうにしているのか。
興奮と喜びが、暗い色に侵食され始める。晴れ渡っていた心の中の空に分厚い雲がかかり、灰色を通り越して真っ黒に染まる。
「結論を言おう。手術は失敗した。どのような状態になったのかは、包帯が取れた際に君自身の目で確認してくれ。なお事前の取決め通り、訴訟などに関しては――」
医師の言葉はもう耳に入らなかった。
失敗? 何が? 整形手術が?
では私はどうなるの? 優綺美麗でなくなるの?
私は……私は……東雲杏里に戻ってしまうの?
残っている麻酔の影響を吹き飛ばすくらい、衝撃とショックは凄まじい。
上手く呂律が回らない。泣くこともできない。
それでも私は叫んだ。絶望の嗚咽を院内へ響かせ続けた。
一縷の望みを託した整形手術は失敗に終わった。
ホラー映画に出てくる怪人みたいに崩れた顔面にはならなかったが、それでも以前と比べれば目鼻立ちの違和感が目立つ。
再度の手術を要求したが、今度ばかりは医師も承諾しなかった。あまりしつこいと今後は受診を拒否するとまで言われた。
他の整形外科への紹介も断られた。恐らく引き受けてくれるところはないだろうという理由で。
ならばと自身の力で美の維持に努めようとしたが、なんとかなるのであれば最初から整形手術に頼る必要などない。
結果として意地もできず、ネットなどで劣化したとの話題が目立つようになった。
元々整形疑惑があったので、手術が失敗したのではないかといったコメントもあった。大半の意見が並べられているが、大半が批判的な内容だった。
中には擁護するコメントもあったが、本人乙と袋叩きにされて終わりだ。肉体と精神の調子が悪くなる一方なのに、ネットで自分の情報を見るのをやめられない。
こんな有様なのだから、付き人の満がどれだけ頑張っても移籍の話がまとまるわけはなかった。
だからといって元の事務所を解雇されたりもしていない。最初から社長は私が移籍を申し出た場合には、円満に認めるつもりだったらしい。
仮に失敗したとしても放り出さない。満にそう告げて、私の好きなようにさせてやれとも付け加えたみたいだった。
周りから憐れみを向けられ、同情される。美の化身である私がだ。
暗い感情に支配されて余計に周りへ当たり散らすようになり、余計に誰も私に近づかなくなる。
「こんなはずじゃなかった……私は……幸せになるはずだったのに!」
事務所の個室で憤り、テーブルに乗っていたカップを床へぶちまける。
アップルティーが床で水たまりのようになった時、音を聞いた満が室内へやってきた。
尋ねる前に目にした惨状で何が起きたのか理解したらしく、テキパキと片づけをする。
その姿を見てるうちに、私は一体何をしてるのだろうという気持ちが強くなる。
「……すまないわね。せっかく用意してくれた紅茶をこぼしてしまったわ」
「気にしないでください。掃除も私の仕事です。美麗さんのフォローはすべて任せてください」
頼もしい台詞を口にした満は、掃除を終えると私に今日のスケジュールを伝えた。
「今朝はテレビ局での番組収録となります。バラエティのゲストなのですが……」
「キャンセルよ。映画の宣伝でもない限り、出るつもりはないわ。私は優綺美麗なのよ、安売りをしてはいけないの! 貴方もわかっているでしょう!」
「失礼しました。ではそのように調整します」
深々と頭を下げて満は出ていく。キャンセルの後処理をするのだろうが、その前に一度戻ってきて新しいアップルティーの入ったカップを置いていった。
どうして彼は私にここまで尽くしてくれるのだろうか。男女の関係を求めているわけでないのは、これまで何度となく誘っても応じなかったことからわかる。
「本来は世界中の誰もが糸原みたいであるべきなのに。どうしてこの私に跪かないの……!」
両手で叩いたテーブルが揺れ、乗せているカップに危険な音を鳴らさせる。もう少しで綺麗にしてもらったばかりの床をまた汚すところだった。
気を遣って力を加減したわけではない。汚れたらまた他の誰かが掃除をすればいいだけだ。私の、優綺美麗のために働けるのだから感謝してやるべきなのだ。
「私は……私は優綺美麗なのよ。氷の女帝で美の女神。それが何故、ネットなんかで文句を言われなければならないの!」
手にしていたスマホをソファの上に叩きつける。柔らかい素材の上で跳ねて、床に落ちた。
人気絶頂の頃はネットの掲示板は私への賛美で溢れていた。老若男女の誰もが私を崇拝していた。あれこそが、民衆のあるべき姿だった。
なのに今では手のひら返しをするように私を不愉快な言葉で叩く。許せるはずがなかった。
だからといって私自身が書き込みをするなど愚の骨頂だ。ネットの意見など気にしなければいい。
頭では理解していても、時間が経過すればまた見てしまう。まるで中毒の症状である。
「……少し歩いて気分を変えましょう」
誰にともなく呟いて部屋を出る。
廊下に人影はない。スタッフは業務用の部屋で仕事をしており、タレントと話す場合などは会議室などを利用する。廊下で立ち話をしている方が珍しいので、気になる点はない。
黙って歩いていると、トイレの前から誰かの話し声が聞こえた。みっともないと思いながらも、陰に隠れて様子を見る。
男性用のトイレから出てきたばかりの大城に、里亜砂が自分のハンカチを渡している場面が視界に飛び込んできた。
「どうぞ、大城さん」
「悪いね。美麗君も里亜砂君みたいな性格だったなら、もっと天下が長続きしたろうにね」
「そんな、私なんてまだまだです。それに美麗さんは今でも事務所のトップですよ。あの方がいなければ、私はここまで順調に仕事を増やすことはできなかったと思います」
「謙遜だよ。彼女がいなくとも、君は売れていた。現時点で当時の美麗君より人気は高い。やはり天然物の美しさの方が人々の目を引くのだろうね」
大城の発言に、心臓が握り潰されたような衝撃と痛みを受けた。
他人の話を盗み聞きしている無様さとともに、落ちぶれた自分自身を強烈に認識させられる。
「優綺美麗はもう終わった存在だ。これからは里亜砂君の時代だよ。私も全力で支援させてもらう」
「ありがとうございます、大城さん。でも、私は皆さんが思ってるほど純粋ではありませんよ?」
里亜砂の顔がほのかに淫らさを含む。小悪魔的な仕草と相まって、妖艶な雰囲気が全身に宿る。
少なくとも私の周りには清純な女性はいない。似たようなのが集まっているだけかもしれないが。
「だからこそ、私は支援しているんだよ。計算高くなければ生き残れないからね」
「あとは後ろ盾です。今後もよろしくお願いしますね」
微笑んだ里亜砂がそっと大城の腕を取る。乳房を押しつけたりはしない。あくまでも一瞬のスキンシップに留める。
あと少しで口説けるかもしれない。男にそう思わせておいて協力させる。里亜砂はそういうタイプの女性みたいだった。
二人がこちら側へ来ようとする気配を見せたので、急いでかつ静かに場を離れる。
個室に戻った私はソファに腰を下ろして大きなため息をつく。
里亜砂は私よりずっと若く、魅力に溢れている。
だが本来の優綺美麗が正面から戦えば絶対に負けない。自信があった。
「私らしさを存分に発揮できる仕事がないのが悪いのよ。糸原によく言っておかないと……!」
床に落ちていたスマホを拾って呼び出そうとするも、電源を切っているみたいで繋がらない。
内線で勤務室にかけてみるも、そこにはいないとのことだった。
「糸原さんなら、恐らく会議室にいるはずです。ですが、その、クライアントの方が見えていたので今は呼び出すのを控えた方がいいと思います」
電話を取った若い女性社員が怯えた様子で忠告した。
「そんなことは私が決めるわ。貴女程度が指図しないで!」
「す、すみません」
ひとしきり怒鳴りつけてから受話器を置く。
すぐに会議室へかけ直そうとしたが、途中で止める。
内線電話で女性社員は、会議室にクライアントが来ていると言っていた。ならば私も同席すればいい。天下の優綺美麗が一緒なら下手な依頼はできないはずだ。
服や髪を手で軽く整え、会議室のドアをノックもせずに開けようとする。私に遠慮なんてものは不要だ。
けれど勢いよく明け切る前に、私の動きは硬直した。微かにできたドアの隙間から見えた光景のせいだ。
「お願いします! どうか……どうか! 美麗さんに……優綺美麗に仕事をください!」
椅子に座るスーツ姿の男の前で、糸原満は土下座をしていた。床に頭を擦りつけ、何度も同じ懇願を繰り返す。
「君の熱意は買うよ。ただね、今の彼女にドラマの主演は難しい。スポンサーとしても推せないよ。演技も特別に上手いわけではないしね。テレビ局に推すなら美麗君よりも里亜砂君の方だ。彼女は演技の勉強も頑張っているからね。若いのにたいしたものだよ」
「ですが、美麗さんも負けてはいません。彼女が出演するだけで華やかさはグッと増します! 私が保証します! ですのでどうぞ再考をお願いします!」
求められれば靴でも舐めかねない勢いだった。
「ふむ、困ったな。バラエティ番組のゲストくらいなら出資している番組に推せるだろうが、美麗君は気に入らない仕事はキャンセルするだろう?」
「だからこそのドラマ主演なのです。気に入った仕事であれば、並々ならぬ情熱を注ぎ、最高の作品にしてくれると確信しております!」
「そういう言い方もできるか。それにしても君は熱心だね。ほとんどの人が優綺美麗を見限り出しているというのに」
名前も顔も知らない男の言葉が耳に入り、トイレ前で見た大城と里亜砂のやりとりを思い出す。
悔しさで唇を噛みつつ、私は理解する。くだらないと一笑に付してきた仕事でも毎日のように入っていたのは、すべて付き人である満のおかげだったのだ。
知らないうちに作っていた両手の握り拳に力が入る。手のひらから血が滲みだしそうになり、痛みでようやく我に返る。
会議室に乱入する意欲を失った私は音がしないよう慎重にドアを閉め、個室へと戻った。
テレビもつけずスマホもいじらず、どのくらいかもわからないほど正面だけを無言で見つめ続けていた。
控えめにドアがノックされ、抑揚のない声で応じると満が中へ入って来た。
「連続ドラマの仕事が入りました。主演ではないのですが、準主演で見せ場も多いです。これなら美麗さんの魅力も十分に活かせるはずです」




